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小春日和。―雨降り世界の暖かな時間―

――――――――――――――――――――――――――――


 それは、まるで天啓のように。
「……フランドール」
 心に浮かんだ答えに導かれるまま、私は妹の名を呼び、
「何かしら、お姉様?」
「……ん、」
 無造作に、その細い身体を抱き締めた。
「え? ――え?」
 困惑する妹の羽がピンと伸びて、その硝子のような羽根がしゃらりと揺れる。その様子に、『嗚呼、この子は私の妹なんだなぁ』と、酷く今更な事を思った。
 そのまま、体温の無い、けれど暖かな体をぎゅっと強く抱き締め、その細い首元に顔を埋めた。すると、ミルクのような甘いにおいと共に、視界が柔らかな金色に染まり――その間から皆の姿を窺うと、咲夜と小悪魔は驚きに眼を見開いていて、パチェは既に魔道書へ視線を戻していて、遅れてやってきた美鈴はちょっとビックリした表情を浮かべた後、嬉しそうに微笑んだ。……ああ、くすぐったい。
 あれね、これは妹の髪がサラサラだからね。そうに決まっているわ。
「お、お姉様?」
 と、周囲に意識を飛ばしていたところに、困惑から抜け出せていないのだろう妹の声が来た。とはいえ、妹はこちらを突っぱねたりせず、自然に体を預けてくれている。まぁ、その体は強張っているけれど……でも、それは私も同じだ。全く、慣れない事をするものじゃない。
 ……ともあれ、ある程度思考を誤魔化したところで、本題。
「……ごめんね、フランドール」
 一言告げて、妹を解放する。
 そうしたら途端に恥ずかしくなって――私は体を霧に変えると、皆の前から逃げ出したのだった。



「……あー、恥ずかしかった」
 棺桶の中のように暗い場所で、私は一人呟きを漏らす。未だに顔が熱く、動いていない筈の心臓がバクバクと脈打っているかのようだ。
「……」
 でも私は、一体何に対して恥ずかしさを感じているのだろうか。
 妹を抱き締めた事?
 皆の前でそんな事をした事?
 或いはその両方?
「んー……」
 私は、自分が『子供』である事を理解している。何せ普段から『がおー』と突拍子も無い事をして咲夜を困らせたり、無理難題を美鈴に言い付けて半泣きにさせてみたりしているのだから(まぁ、それでも二人は仕事をこなしてみせるのだけれど)。
 なので、今更何をやったところで恥ずかしがる事はない。というか、羞恥を感じるほど皆と距離が離れている訳ではない。だから平気で色々な事をやって来て……でも、どうして私は恥ずかしがっているのだろう?
「むー……」
 ……まぁ、実はもう気付いているのだけれど。でも、気付かないフリをした方が、色々と問題を直視しないで済む気がするのだ。……ああ、なんて駄目な姉だろう。
「で、どうしてこんなところに収まっているのかしら」
「あ。パチェ」
 少々眉を寄せた表情で覗き込んできた友人の顔を見上げて、私はそこから――本棚と本棚の狭い空間から外に出る。そこはあつらえたかのように私一人がすっぽりと入り込めるスペースが開いていて、しかも奥行きがあるので羽も邪魔にならない。そこに背中から入って座り込み、膝を抱えたりしてみると、周囲の世界から切り離されるような気がするのだ。だから私はこの場所が好きだった。
 棺桶の中と違って、外へと繋がっているからね。
 そんな風に思いながらいると、友人は椅子へと戻りながら、
「自分の部屋だと咲夜や妹様に見付かるからって、何も図書館に逃げ込まなくても良いんじゃない?」
「だって、ここが一番見付かり難いのよ。パチェも黙っててくれるし」
「まぁ、確かにそうだけれどね」
 二重の意味で頷いて、パチェが椅子に腰掛け、机の上に積んであった魔道書を開きだす。私はその様子を何となく見つめながら、彼女の対面にある椅子へ腰掛けた。
 ギシリ、と小さく音を上げる椅子は、その古めかしい見た目に反して座り心地が良い。それはパチェの魔法が掛けられているからで、多分咲夜も知らないちょっとした優しさだ。……まぁ、本人はそれを口に出したりしないけれど。
 そんな優しい友人の姿をぼんやり眺めていると、パチェが上目遣いに私を見やり、「……さっきの続きだけれど」と前置きしてから、
「ここに逃げ込んでくるのは構わないわ。でも、屋敷の外に逃げる、という選択肢はないの?」
「それも考えたけど、最近はずっと雨が降っているからね。外に出たくても出られないのよ」
『女心と秋の空』なんていうけれど、最近の乙女は泣いてばかりなのか、ぐずぐずとした雨の天気が続いている。ようやく晴れたと思えば日中の間だけだったり、こうして昼間に起き出してみれば朝から雨が降ってきたりと、どうにも安定しないのだ。
 上手くいかないな、と思いつつ、私は椅子の背もたれに体重を預けた。
 圧迫された羽が擦れて、ちょっと痛い。
「あー……」
 今日は室内で出来る遊びでもしようと考えて、パチェや美鈴を部屋に呼んだのだ。そんな時に、私は妹を抱き締めて……その場から逃げ出した。多分、咲夜達は今も私を見付けようと屋敷の中を走り回っているに違いない。
 でも、こうして雨が降り続いている以上、私は屋敷の外へ逃げる事は出来ず、だからってどんな顔をしてあの子に逢えば良いのかも解らない。
 ……良し、今日はこのまま図書館で時間を潰そう。静かに遊んでいれば、パチェに追い出される事も無いし。
 そんな風に思いながら、足をぶらぶら。手をぶらぶら。
 なんだか、落ち着かない。
「……ん、」
 取り敢えず両手を机の上に乗せると、指先から蝙蝠を生み出してみる。
 右手から一匹。左手から一匹。
 黒色のそれを静かに羽ばたかせると、机の上で小さな小さな弾幕ごっこを行わせ、それの観客を気取ってみた。
 頑張れ右! 負けるな左! ああ、そこでボムるのか左! 隙間は無いぞ右! 嗚呼、嗚呼!
「……さもしい一人遊びね」
「だったら早く止めてよ」
 パチン、と虫でも潰すかのように。ふよふよと飛んでいた蝙蝠を、退屈でつまらない自分自身を両手で叩き潰して、私は友人を軽く睨む。でも、今更そんなものはパチェには通じない。
 たった百年しか生きていないこの幼い魔女は、私よりもずっと強いのだ。色々な意味で。
 そう思う私を前に、パチェは読み進めていた本に栞を挟み、それを静かに閉じると、
「じゃあ聞いてあげる。……何故あんな事をしたの」
「なんのことー?」
 解らないフリをしてみた。  
 でも、今の私はボム無し残機ゼロ。その上、密度の高い弾幕の中だ。つまるところ、逃げ場無し。まるで降り続ける雨の中に突き飛ばされたみたいに、身動きすら取れない。
 だから、睨み返された。
「しらばっくれないの。レミィは普段から突拍子も無い事を仕出かすけれど、アレはいつにも増して唐突だったわ。一体どんな心境の変化が起こったというの?」
「……」
「或いは、アレすらもただのお遊――」
「――パチュリー・ノーレッジ」
「残念。その程度の脅しで脅えるようなら、吸血鬼と友人関係を築いていないわ」
 ちぇっ。悔しいけど、やっぱりパチェの方が数枚上手か。
 私は小さく息を吐きながら、その眼前へ突き付けていたグングニルを送還する。こうして思わず手が出てしまうほどには妹を愛しているつもりで、しかしパチェにはそれが奇異に写るのだろう。
 何故なら、
「五百年近く放置していた妹に対して、今更何をし始めたのか? ……つまりはそれを聞いている訳でしょう?」
「物分りが悪い」
「パチェが回りくどいのよ」
「直接言っても答えない癖に。レミィは挑発にもならない言葉でマジギレするようなお子様なんだから」
「うぐっ」
 うわーん、パチェが虐めるよ咲夜ー! そう呟けば、虚空の彼方からパーフェクトな私のメイドが現れて目の前の魔女をぎったんぎったんのめったんめったんにした上で、今日の夕飯はパチェの嫌いなものフルコース(食べきるまで笑顔で監視)になるに違いないのだけれど、そうすると逃げ出した意味が無くなるので自粛。
 何か良い言い訳はないかなーと思うものの、これ以上逃げ回っても自分の首を絞めるだけだろうし……何よりパチェになら、話を聞いて貰っても良いだろうと思えた。
 でも、ここだと小悪魔が……って、
「そういえば小悪魔は?」
「美鈴と一緒に夕飯の準備をしているわ。どうせレミィは図書館に居るだろうと思っていたし、先手を打っておいたの」
「……ふーん」ありがとう、と素直に伝えられない私の馬鹿。それはともかく、「なんで美鈴がご飯を作ってるの? 咲夜は?」
「妹様と一緒にレミィを探索中。いくら時間を操作出来ると言っても、その間に調理を行える訳ではないもの。だからって妖精に任せれば……」
「『自然!』としか言えないようなものが出てくるからねぇ……」
 そう、あれは妖精をメイドとして使い始めたばかりの事。当時のメイド長と喧嘩をした私が無理矢理妖精達に料理を作らせた事があったのだ。でも、簡単な掃除の方法すら間違える事のある妖精達に料理など出来る訳も無く、出てきたのは泥の付いた野菜という、サラダとも言えないブツだった。
「あれから何年経ったかしら」
「幻想郷にやってきた当初の頃だから、もう結構経つわね。あれからすぐに咲夜がやって来て、レミィが異変を起こして――丸くなった」
「太ってないけど」
「精神が、よ。昔だったら怪獣ごっこなんて絶対にやらなかったでしょう。でも、今では自分からがおーって」
「がおー」
『たべちゃうぞー』あ、ハモった。あ、パチェが紅くなった。
「……一瞬、緑色の恐竜の子供が頭に浮かんだのだけれど、何かしらこれ」
「赤毛のイエティと戯れれば良いと思うわ」
「……そうね。
 じゃあ、話を戻すわよ?」そう律儀に前置きしてから、パチェは真面目な顔に戻り、「霊夢達に負けて、妹様も倒されて……あの頃から、貴女は妹が地下から出てくる事を咎めなくなった。……いえ、逆ね。妹様の方が、自分から地下から出てくるようになった」
「……」
「私は、妹様は……フランドール・スカーレットは、地下に『封じられている』と聞いていたわ。でも、考えてみればおかしな話なのよね。ありとあらゆるものを破壊出来る吸血鬼を封じる方法なんて、この世界には存在しない。あるとすれば、それは妹様自身が――」
「……そうよ。あの子は自分で地下に潜ったの。自分が恐れられる存在なのだと知らないままね」
 それは、遠い遠い昔の話。
「……一応、地下に封印は存在していたわ。満月下の私でも破れないぐらいに凶悪なやつがね。でも、あの子は右手をぎゅっとするだけでその封印を破壊出来る。それなのに、この五百年間それをしてこなかった」
「……何故?」
「両親が言い付けたのよ。……『お前はここで暮らしなさい』ってね」
「そんな……。たったそれだけの事で、五百年も地下に……?」
 理解出来ない、という顔をするパチェは、実のところ人間に近いイキモノだ。だからその時間の感覚も人間に近い。でも、純粋なる異形である私達にとってみれば――不死である存在からしてみれば、時間の概念などあってないようなもの。だからこの五百年間も然程長かったとは感じていなかった。……まぁ、最近は一日一日をしっかり生きているから、一年が長く感じられるけどね。
「それにあの子は、退屈も知らなければ、苦痛も、孤独も知らない。辛いって事がどういう事なのか、解らなくなっているの」
「だから、気が触れていると?」
「そういう事。他者を理解出来ないという事は、他者からも理解されないという事。つまりそれは異形の中の異形であり――狂っているとしか、言いようがなかったのよ」
 でも、幸運な事に、妹はそうしたありとあらゆる感情を理解出来ないのではなく、ただ忘れていただけだった。
 だからあの日、霊夢と魔理沙に負けたあの日から、妹の人生は大きく変化したのだろう。
 私の見ている運命が現実になるのなら、これからあの子はちょっと我が儘で、私の事を『アイツ』と鼻で笑うような少女に――正しくレミリア・スカーレットの妹と言える少女に成長して行く筈だ。……というか、してもらわないと隕石が落下してくるので結構困る。
 でも、
「でも私は、そんな妹を理解して来なかった。だから今まで放っておいて、今も好き勝手にさせているわ。……それがあの子の為でしょうから」
「……なら、どうして急に抱き締めたりしたの? 突然姉の愛情に目覚めたとか?」
「姉としての愛情なら、ずっと持っていたつもりよ?」
 って、言いながら視線が下がりそうになった。でも、それを止める事が出来なくて、私はパチェから机のテーブルクロスへと視線を落とし、
「言い訳に聞こえるかもしれないけど、私は本当にあの子を想って生きてきた。けど、それをどう表現して良いのかが解らなくて……。でもあの時、天啓みたいにある事を閃いたの」
 いや、あれは、
「思い出したって言った方が良いかもしれない。……そう、私はあの時――」「――失礼しまーす。晩御飯出来ましたよってうわぁ!!」
「空気読めー!!」シリアスな空気が吹っ飛んだわ!
 そう叫びつつ、思わずぶん投げたグングニルを紙一重で回避した美鈴を睨み付ける。対する彼女は姿勢を戻すと、「い、一体何なんですか?」とおっかなびっくり私達の元へやってきた。そして彼女は大きく体を捻った瞬間にも決して落とさなかった二つの蒸籠を机の上に置きながら、
「いくら私でも、扉の向こうの空気までは読めませんて」
「じゃあ、お前の能力は何の為にあるのよ!」
「……天気予報?」
「この駄目門番!」
 むきー!
「全くお前は駄目な奴だ! で、この蒸籠の中身は何なのよ!」
「あ、オーソドックスに肉まんとあんまんです。熱いから注意してくださいね」
「ハ! この私を誰だと思っているの? 泣く子も黙るレミリア・スカーレッあっつ! 熱ッ――!!」
「わぁ、お水お水!」
「うわーん、咲夜ー!! 舌火傷したー!!」
「お呼びですか、お嬢様――って、今までどこに居られたのですか?! 探したのですよ!」
「わーん、更に自爆ー!!」




「……ごめんパチェ。真面目な話はまた後でね」
「自分から騒いでおいて良く言うわ……」
 ああ、友人に軽蔑気味の溜め息吐かれた! どうしよう泣きそう!
 と、ちょっとリアルに涙目なったところで、咲夜が間に入ってくれた。
「パチュリー様、あまりお嬢様を虐めないでください」「咲夜が甘やかし過ぎなのよ。大体ね、貴女はメイドなんだからもう少し主人の立場を弁えた行動を――」「私はメイドとして最善の行動を取っているだけです。それよりも、パチュリー様こそ――」「私は――」「ですから――」「――」「――」「――」「――」「――」
「……」
 言い合うパチェ達を前に、私はこっそりと席を立った。自分の主張を曲げない彼女達は良くこうして口論を始め、けれどすぐに仲直りが出来るほどに互いを信頼している。だから私はそれを止めない事にしているのだ。
 でも、小悪魔は違ったようで、彼女は二人を止める為にその間に割って入り、「まぁまぁお二人とも、喧嘩は――」『貴女は黙ってて!』「ひーん!」……そんな光景を見つつ図書館を出ると、私はその大きな扉を閉めた。
「……」
 ……自分から騒ぎ出したのは、弱い私がそこに逃げ場を見付けてしまったからだ。決してパチェに対して不満がある訳じゃない。友人はそれを解ってくれるだろうけれど、でも、今のは軽蔑されても仕方ないと納得している自分も居た。
「……はぁ」
 溜め息一つ。
「幸せが逃げますよ」
「だったら掴まえてきて。命令よ」
 倒れるように力を抜いて、すぐ後ろに立つ美鈴に寄り掛かる。別に深い意味は無かったけれど、そのまま抱き締められた。
「……はい、掴まえました」
「どういうこと?」
「私にとって、お嬢様達が『幸せ』だって事です」
「……何よ、良い事言ったつもり?」
「いえ、日頃から思っている事を」
「……そう」
 ……妹は、美鈴>咲夜>小悪魔>>>パチェといった順で心を許している、らしい(咲夜曰く、小悪魔の順位が高いのは意外にあの子と馬が合うからで、でも図書館で騒いでいると怒られるからパチェの事は苦手、との事だった)。
 けれど、何故美鈴が一番好かれているのか、その理由について今まで良く解っていなかった。単純に、『この紅魔館の中では一番年上で、それなりに強く、体も丈夫だから、妹の遊び相手には丁度良いのだろう』程度にしか考えていなかったのだ。
 でも実際には、それ以外の大きな理由がある。こうして抱き締められていたら、それが理解出来た。
「……普段は昼寝ばかりして、咲夜やパチェに怒られてる癖に」
「あはははは……」
「お母さんって呼ぶわよ」
「構いませんよ、レミリア」
「……恥ずかしいからやっぱ無し」
「あら残念」
「その分、妹を可愛がって頂戴」
 そう言って、名残惜しさを感じつつも美鈴から離れ、その場でくるりと回って彼女を見上げた。すると、美鈴は少々真面目な顔で、
「それは命令ですか?」
「……門番の癖に、主人の言葉に問い返すの?」
「では、命令と受け取って宜しいのですね?」
「……」
 ……過去に、美鈴がメイドをやっていた頃の事を思い出す。
 あの頃、彼女は一切昼寝をしていなかった。今のように四六時中外に立って仕事をしていた訳ではなく、私へと奉仕する為に夜型の生活を行っていた為だ。というか、今は昼寝をしている姿が目立っているだけで、決して仕事をしていない訳ではない。侵入者が来れば反応するし、私が命令すれば一週間は寝ずに門を護り続ける。それが紅・美鈴という女なのだ。……まぁ、一度ボケモードにスイッチが入ると、とことん情けなくなってしまうのだけれど。
 そんな美鈴は、過去にほぼ一人で屋敷の仕事を行っていた(時間を止められない分、咲夜より忙しかったに違いない)。だから今のように気を緩める暇も無かったようで……彼女はいつも真面目で、そして一切の妥協を許さなかった。
 言い換えるなら、厳しいメイドだったのだ。でも、鞭の後に与える飴の甘さを知っているメイドだったから、私は彼女を追い出さずにその奉仕を、躾を受け続けた。
 今ではこうして我が儘ばかり言っているけれど、当時は常に『お嬢様』である事を強いられていたのだ。
 だからそう、今目の前に立つ彼女は門番ではなく、過去の私に甘えを許さなかったメイド長であり、
 私も気の抜けた主人ではなく、スカーレット家を背負うお嬢様として彼女と向かい合う必要があった。
 でも、きっと、赤い髪をした私の部下は、当時の私の答えを求めている訳ではない。
 それは、矛盾した誠意の要求。でも私は彼女の主人だから、その問い掛けに答える義務がある。
 故に、告げる。
「――当たり前よ。命令として受け止めなさい」
 でも、
「私の言った事をただ愚直に実行するほど、お前は愚かじゃないだろう? ――って、痛っ」
 頭コツかれた。
「……全く、お嬢様のお臍はどこまで曲がっているんですか?」
「し、失礼ね、世の男共がひれ伏すぐらいに綺麗なお臍よ!」
「なら、今夜は一緒にお風呂に入りましょう。丹念に洗ってあげますね」
「やー! お風呂やー!」
「猫じゃないんですから!」
 逃げようとしたところで再び後ろから抱き締められ、抱え上げられてしまった。そのまま体が中に浮き、あわわ、と思った時にはお姫様抱っこされていた。
 顔が近い。
「……」
 美人だなと、改めて思った。
「……お嬢様。何度となく繰り返したあの言葉を、私はもう繰り返したくはありません」
「……解ってるわよ」
 それは、妹と触れ合え、といったニュアンスの言葉。言い方は違っても、内容は全てそれだった。
 当時は毎日のように聞かされていたそれも、咲夜の登場で段々と聞かなくなって、気付いたら言われていた事すらも忘れるような毎日がやって来ていた。何せ、今では当たり前のようにあの子が私の隣に居るのだから。
 だからこそ、美鈴は私にもう一歩前へ進む事を望んでいる。
「解ってるけど……でも、私がそれを出来なかった事も、お前は知っているだろう?」
「まぁ、そうですけど……でも、『無理だ』って逃げ続けるのは良くありませんよ。……フランドール様を抱き締めたのは、その一歩だったんでしょう?」
 優しい瞳に見つめられて、思わず視線を下へ。図星だと頷く心の中の自分を、その目に見透かされてしまっているような気がした。
 でも、自然と口は開く。
 それは、パチェに言い掛けた言葉の続き。
「……私はあの時、異変を起こした直後の事を思い出したの」
 夏の太陽が憎たらしいから、霧で幻想郷を被ってやったあの異変。一般には紅霧異変とも呼ばれているらしいそれが終わった後、今日と同じように皆を部屋に集めた事があったのだ。
 あの時は特に何も感じていなかったけれど、あの異変から数年経った今、私は別の事に想いを馳せる事が出来るようになっていた。
「あの日も、今日みたいに雨が降っていたわ。異変の後にパチェが降らせた人工的なものではなくて、自然の雨が。だから、地下から出てきた妹を咲夜に紹介する意味も含めて、みんなを部屋に集めたの」
「あの日までは、私がフランドール様のところへお食事を運んでいましたからね」
 当時は、まだ咲夜の事をそこまで信頼していなかった。それに、人間を見た事の無い妹が咲夜相手に何を思うか全く解らなくて、予想も出来なくて、だからその日までずっと美鈴に世話を任せていたのだ。
 でも、妹はすんなり咲夜の存在を受け入れて、薄々妹の存在に気付いていた咲夜もすぐにあの子を受け入れてくれた。
 そうして、今日まで時間が流れて……
「……今日、みんなを部屋に集めた時、私は酷く退屈してた。何日も外に出られなくて、暇を持て余して、自由に行動出来ない事に苛々を感じていたの。だから、それを解消する為にみんなで遊ぼうと思ってた。いつものように我が儘を言って、咲夜や美鈴を困らせて、パチェと小悪魔に呆れられて、妹が笑ってくれればそれで良いって、そう思ってた。
 だけど私は、天啓のように、異変を起こした直後の事を思い出した。そうしたらね、ある事に思い至ったのよ」
 それは、私が今まで理解してこなかった事。
「私が感じていた苛々や退屈は――それを本人が理解していなかったとはいえ――あの子が五百年間ずっと感じてきたものだった。それを、私は初めて理解出来たの」
 とはいっても、その程度は比べ物にならないほどに違う。実際、比べる気にもならない。でも私は、そこで初めて妹の気持ちを想像し、理解する事が出来たのだ。
 今まで妹の事を理解しようとしてこなかった分、それはとても衝撃的であり……だから私は、胸の内から湧き上がる衝動に突き動かされるように妹を抱き締めていた。
 そして『ごめん』と、言うのもおこがましい言葉をあの子に告げた……。
 彼女に対して恥ずかしさがあったのは、妹と触れ合う事に慣れていないから。今までも彼女の事を想って来たけれど、それがようやく具体的な感情として――愛情を持って接せられるのだと解ったからだ。
 例えるなら、今までずっと想像上にいた恋人が、突然目の前に現れた感覚だろうか。
 自分の中であやふやだった妹の存在が、明確になった感覚。
「つまりお嬢様は、フランドール様の事が大好きで堪らないのですね」
「……そうとも、言うわ」
「本当?」
 ――その瞬間。美鈴の背後、という全く予想していなかった場所から声が響いてきたと思ったら、その直後に小さな着地音が一つ。お姫様抱っこされ続けていた私は、それに少々慌てながら床に降り――視線を上げたすぐ目の前に、妹の姿があった。恐らく、蝙蝠の一匹を美鈴の近くに漂わせ、私達の会話を聞いていて……そして、私の言葉に思わず実体化したのだろう。
 妹は真っ赤な顔で、でもきらきらと輝く瞳で私を見つめてきている。強く握り締めたその小さな手は、弾けそうな感情を押さえ込んでいるようで可愛らしく――なんて、冷静に妹の様子を観察して落ち着きを取り戻そうとしていたところで、
「私も、お姉様が大好き!」
「わっ!」
 ぎゅーっと抱き締められ、って、え? えぇ?!
 何が起こったのか良く解らないまま、けれど自分の顔がどんどんと熱くなっていって、そのまま蒸発してしまいそうなほどの恥ずかしさに襲われ始めてもうどうしたら良いの?!
 でも、凄く嬉しくて、生まれて初めて『死んでも良い』とすら思えた。
 だって、こうやって妹が真っ直ぐに好意を向けてくれたのは初めてだったから……いや、違う。
 こうやって、妹の好意を真っ直ぐに受け止められたのは、これが初めてだったのだ。
「で、でも、なんで?」
 あうあうと唇を振るわせつつ、質問になってない言葉が生まれた。すると、妹は少しだけ抱擁を緩め、私と見つめ合うと、
「今日、お姉様がこうして抱き締めてくれたでしょう? その理由を咲夜に聞いたら、『抱擁は、相手の事を思う気持ちの現れなのですよ』って教えてくれたの」
 抱擁とは、つまり愛情を籠めて相手を抱き締める事だ。だから咲夜の説明は間違いじゃなくて、つまり妹の行動は、
「お姉様は、私を大事に思ってくれているから、だからああして抱き締めてくれたんでしょう? だから私もお姉様を抱き締めるの!」
 うあ、笑顔全開の妹を直視出来ない! 太陽よりも眩しいわ、この子……!
 それでも、私はなんとかその言葉に「有り難う、フランドール」と頷き返して、そっとその背に手を回す。
 抱き返す。
 そうして、その柔らかな髪に顔を埋めて……
「……」

 ――後悔が、溢れた。

「――」
 妹の力が顕現したのは、彼女が十歳ぐらいの時だ。
 当時、私は既に吸血鬼として認められていた。でも、妹はまだ成長の途中で、不死性も無く、吸血鬼の力を存分に発揮出来ない体だった。
 そんな私達が暮らす屋敷には、両親を慕う沢山の吸血鬼や魔法使いがやって来ていて、私達は彼等から多くの事を学ぶ毎日を過ごしていた。そんな生活の中で、先に一人前になっていた私は、後ろを付いてくる妹よりも色々な事が出来た。
 空を飛べた。霧を生み出せた。蝙蝠や狼になれた。私はそうした力で妹をからかい、毎日のように彼女を泣かせていたのだ。
 妹にはそれが羨ましかったのだろう。妬ましかったのだろう。
 それを証明するかのように、妹は、屋敷の魔法使い達が封じていた自身の力を――破壊の力を解放してしまった。本来ならば解けない筈のそれは、しかし吸血鬼として成人になりつつある妹の前では無意味だったのだ。
 とはいえ、妹はその破壊の力と向き合っていく為の鍛練を重ねていく筈だった。それが十分に出来るだけの時間と猶予を、その封印は与えてくれる筈だった。
 けれど、妹の幼い右手は、その『運命』を破壊した。
「……」
 多分、あの時、妹は未来を失ったのだろう。そして、過去から続いていた連続性すら破壊し、孤立してしまった。
 それは、アカシックレコードからの消滅。
 歴史からの消失。
 そんな彼女を止める為に何人もの吸血鬼、魔法使いが――不死である筈の者達が犠牲になった。
 私はそれをただ眺める事しか出来ず、恐怖に震え……しかし、『ソレ』と眼が合ってしまった。
 未だに、あれを越える恐怖を感じた事はない。
『ソレ』は、目視した全てを破壊する悪魔だった。その右手には、この星の命さえも握られているように思えた。だから当然のように私は逃げ出そうとして、でも、
「……お姉様?」
 そうだ。あの時も、こうしていつもと変わらぬ妹の声を聞いた。

『ソレ』は、私の妹、フランドール・スカーレットだったのだ。

 彼女にとってみれば、それは私と同じように、吸血鬼としての力を手に入れた事の証明でしかなかった。
 そう、幼い彼女は、自分が行った事の重大さを理解していなかったのだ。
 それに気付いた瞬間、走馬灯のようにフランドールと過ごした日々が蘇り、同時に私は「何をやっているのよ、フランドール!」と、『姉』として叫び上げ――それが再び、『妹』の運命を繋ぎ合わせた。
 私の拙い力が、しかし世界から切り離されそうになっていた『フランドール』を繋ぎ止めたのだ。そうして再び未来へと至る道を手に入れたフランドールは、しかし以前とは大きく変わってしまっていた。
 その髪は何物にも染まらない金色となり、蝙蝠の羽は硝子のように硬質化した歪なものとなった。そして引っ込み思案だった性格は、明るく、しかし歪んでしまって――結果的に、妹は何も解らなくなっていた。
 そこに過去の記憶はあれど、彼女は過去に覚えた感情を、『自分』という存在を破壊してしまっていたのだ。
 その後、フランドールは両親の言い付けを護って地下で暮らすようになり……
 ……あれから五百年近く。私は妹を護り続け、しかし彼女と一切顔を合わさずに暮らしてきた。
「……」
 妹を心配し、愛する気持ちはずっと存在していた。でも、それでもフランドールと触れ合う事が出来なかったのは、力の暴走以前の彼女がどんな少女だったのか、全く思い出せなくなってしまっていたからだ。
 記憶が残っている以上、一緒に遊んだ事、自分の後を付いてきていた事、良く泣かせてしまった事などは覚えている。それなのに、その時のフランドールがどんな表情で、どんな格好で、どんな風に私を見ていたのか、それが全く思い出せない。つまりそう、あの惨状の中、私もその力の余波を受けており……結果的に、フランドールとの思い出を破壊されてしまっていたのだ。そしてそれは、両親も、生き残った魔法使い達も同様だった。
 そうして、次第にフランドールの存在は忘れ去られていき、しかし彼女の運命を繋ぎ止めた私だけは屋敷に残り、妹を護り続けた。
 ……だが、妹を無視したその行為は、ただの自己満足だと言われても仕方のないものだったのかもしれない。フランドールからすれば、余計なお世話だったのかもしれない。或いは、とても嬉しい行為だったのかもしれない。
 私には何が正解なのか解らない。フランドールが私をどう思っているのか、何を感じているのか、それすらも理解しようとしてこなかったのだから。
 ……私は、本当に馬鹿だ。
「……ごめんね、フランドール……」
 そう謝った途端、涙が溢れ出してきて。
 私は、生まれて初めて、妹の前で涙を流した。



 その日の、夜。
 フランドールの前で沢山泣いた後、私は図書館へ戻ってパチェ達に詳しい話をした。……今更考えると『私は妹を愛しているの!』という宣言を皆の前で行ったようなものなのだけれど、暖かく受け入れて貰ったから深くは考えないようにしよう。
 で、その後、皆で追加の肉まんを食べて、腹ごなしにゲームを行う事にした。
 題材は、咲夜が香霖堂で買ってきたボードゲーム。人生を追体験するらしいそのゲームは、最終的に沢山の子宝に恵まれたフランドールが一位となり、私はゴール手前で振り出しに戻されるという不条理を喰らってドロップアウト。最下位となったのだった。……結構シビアなゲームね。面白かったけど。
 その後、美鈴の提案で、皆と一緒にお風呂に入った。
 とはいえ、流れる水を渡れない私達姉妹は、浴槽の中に入る事は出来ない。でもだからって、水に濡れると体が溶ける、という訳でもない。
 結果、私は美鈴に体の隅々まで洗われ、酷い羞恥を受ける事になった。のだが、それでもフランドールの頭を洗ってあげる事は出来たし、彼女に背中を流して貰えたから、悪くない入浴だったと思う(まぁ、お湯を掛けられた後は暫く体が動かなかったけれど)。
 そうしてお風呂から出て、フランドールと小悪魔に引っ張られる形で美鈴とパチェが再びボードゲームを始めて……それを何となしに眺めていたら、隣に咲夜がやって来た。
「ボードゲームはお楽しみ頂けましたか?」
「ええ。思っていた以上に面白かったわ」
 そう答える私へ嬉しそうに微笑む咲夜に、私は感謝を伝えようとして……でも上手く言葉に出せなくて、ただ彼女を見つめ続ける。
 美鈴達と同じように、咲夜もフランドールを恐れずに接してくれた。それがどれだけあの子に笑顔を与えたのか計り知れない。
 彼女達の存在が無かったら……こうして地上が楽しい場所だと知る事が無かったら、今もフランドールは両親の言い付けを護って地下に籠り続けていただろう。そして私は、そんな彼女を想いながらも、どう接して良いのか解らないまま日々を過ごし続けていたに違いない。
 だからそう――吸血鬼にとってはアレな例えだけれど――私達姉妹にとって、咲夜達は輝ける太陽なのだ。
 私とフランドールの間には常に雨雲が存在していて、でも私達は雨の中を歩いていく事が出来ない。だからその距離はずっと縮まる事が無かった。それを、咲夜達という太陽が張らしてくれたのだ。
 そんな咲夜達に対して『有り難う』と告げるのが、主として、というか姉として一番しなければならない事なのだけれど……へそ曲がりで我が儘な性根が邪魔をして、上手く言葉に出せない。
 対する咲夜は、そんな私の心情を全て察したように微笑むのだ。
「……」
 でも、今日は、今日だけは素直になろう。
 そうと決めると、私は椅子から立ち上がり――思い切って、咲夜をぎゅっと抱き締めた。彼女がフランドールに伝えた『抱擁』の意味を、咲夜自身に伝えるように。
 ……けど、私と咲夜とでは身長差があるから、まるで母親に抱き付く子供のような構図になっているのかもしれず。実際、今も咲夜の胸に顔を押し付けるような形になってしまっているし。
 それでも恥ずかしさに顔を上げられなくて、私はその胸に顔を押し付けたまま、ぎゅっと咲夜を抱き締め……
「私も大好きですわ、お嬢様」
 という優しい声と共に、咲夜も私を抱き返してくれたのだった。
「……」
 なんだか、今日は色んな相手を抱き締めたり抱き締められたりしているなぁ……。そんな事を思いながら、小さく聞こえて来る咲夜の鼓動に耳を傾け……不意に、「あー!」という何かを見付けたかのようなフランドールの声が響いてきたと思ったら、
「私も私もー!」
「わぁ?!」
 ドン、と後ろから強い衝撃。数歩下がった咲夜と共にその衝撃に耐え、背後を確認しようとして、しかし私の体をがっちりと拘束するようにフランドールが抱き付いてきていた。
「ふ、フランドール、ちょっと苦しいのだけれど……」
「ほら、咲夜ももっとぎゅっとするの!」「ぎゅっとですか? ……ぎゅー」
 って、聞いてないどころか更に圧迫?! 何、プレスするの?! いや咲夜の胸とフランドールの胸に挟まれて逝くなんてある意味幸せなってそうじゃない!
 耳を咲夜の胸に押し付けてその心音を聞いていたから、まだ呼吸は苦しくないけど……って、
「美鈴、お前はどうしてそんなに良い笑顔でこっちに向かってきてい――むあっ!」
「ぎゅーっと」
 と、三位一体な状況の私達を更に抱き締めてみせるオトボケ門番。少々背中を丸めているのか、丁度私の顔がその柔らかな胸に埋まって悪い気分じゃないんだけど息苦しいっていうかあーもう良い匂いするなぁ!!
 そう混乱と動揺が良い感じに極まってきたところで、右腕辺りに「むきゅっ」「ぎゅうっ」と更に二人抱き付いてきた。多分フランドールに手招きされた小悪魔がパチェを引っ張り上げて、そのまま私達に抱き付いて来たに違いない。
 しかし、なんだろう、この六位一体紅魔館と言わんばかりの奇妙な状況は。
 そんな事を思いながら顔を上げ、やわっこい胸の感触を堪能しつつ美鈴を見上げてみると、彼女は何百年も前に亡くなったお母様を連想させる優しい微笑みを浮かべ、
「……改めて、幸せを掴まえてきましたよ」
「……、…………」何か、こう、言い返そうとして口を開いて、でも何も言えなくて。それでも解ったのは、うちの門番はとても優秀だと、そんな事ぐらいだった。
 ああ、確かに、美鈴は幸せを掴まえてきたのだろう。
 ここには暖かな幸せが存在していて、そしてその中心には私とフランドールが居る。だから私は、ここにきて初めて、幻想郷にやって来て良かったと思えたのだった。 
 ……って、あー、駄目だ。フランドールを抱き締めた時とは逆の、嬉しいからこその涙が溢れそうになる。でも流石にそれは恥ずかしいから我慢がま――ん?
 右肩に、フランドールの顎が乗った。そうして彼女は私の耳元で「えへへ」と小さく笑ってから、
「私ね、お姉様も、咲夜も、美鈴も、パチュリーも、小悪魔も、みんなみんな大好きよ!」
「……」
 未だ悪意を忘れたままの我が妹は、どこまでも純粋に自分の想いを口にする。
 その言葉に引っ張られるように、私も素直な言葉を告げていた。
「……私もよ、フランドール。私も、皆の事が好き。大好きよ」
 ああ、駄目だ。ようやく言えたのに、響いた声は涙声で。
 美鈴の胸に顔を埋めて、私はちょっとだけ、泣いた。



 ……そうして、時間が過ぎて。
 私は、フランドールと一緒にベッドへ入っていた。
「えへへ、お姉様ー」
 そう嬉しげに笑うフランドールは、私の手をぎゅっと握ったまま放さない。私もその手を握り返して、恥ずかしさを感じながらも微笑み返す。
 数時間前、みんなで抱き締め合った後、私達は色々な話をした。
 過去の事、現在の事、未来の事。今までもそうして集まって話をする事はあったものの、今日はいつも以上に素直に話が出来たような気がした。
 そうやって暖かな時間は過ぎていって、私達はその場の空気を惜しみながらも眠る事にして……いつの間にかフランドールが私の手を握っていたから、そのまま部屋に引っ張ってきて、一緒のベッドに入ったのだった。
 こうして二人でベッドに入ると、クイーンサイズのベッドがどれだけ大きいのか思い知らされる。だから自然と『明日もこうしてフランドールと眠ろう』と思えて、私はそんな自分の変化が嬉しく、同時に彼女に対して申し訳なかった。
 遠い過去の日。確かに私は、こうしてフランドールと接していたのだ。けれど五百年近くそれは失われて……今更それを取り返そうと思うのは、都合の良い事だろうか。
 でも、物事に遅い事なんて無い。今までもそうだったように、私は妹を護り続けよう。今はまだ不安定な彼女の力を安定させて、地下に放っておくのではなく、昔のように一緒に暮らそう。
 微笑む妹を見つめながら、私はそう決意したのだった。
「……」
 ……しかしまぁ、私も丸くなったものだと、そう思う。
 でも、もう殆ど覚えていないけれど、幼い頃の私はこんな性格をしていたのかもしれない。つまり、これがレミリア・スカーレットの素なのだ。
 今まで私は、ずっと一人でフランドールを、大切なものを護ってきた。その為には誰にも負けない強い力と、どんな状況にも屈しない氷のような心、そして人間を恐怖させる威厳やカリスマが必要だった。
 だから私は心をガチガチに押し固めて、夜の王として恥ずかしくない生き方をしてきた(まぁ、『それでは気品が無い』と、美鈴からお嬢様らしい立ち振る舞いを仕込まれたけれど)。
 それは幻想郷にやって来た当初も変わっておらず……思い返してみれば、紅霧異変を起こした時も、全て自分の力でどうにか出来ると思い込んでいたのだ。
 でも、私はあっさりと霊夢達に負けて――その瞬間、心の中の何かがぽっきりと折れてしまった。
 その結果顔を出したのが、遠い昔に封じ込めた幼い本心――
「そりゃ、天狗に『カリスマブレイク!』とか書かれるわね……」
 気を張り続けていた私は、幼い私にがおーっと食べられてしまったのだ。スイッチが切り替わればある程度威厳は出せるだろうけれど、もう過去の私には戻れない。でも、不思議とそれを悪く思わなかった。
 今の私は咲夜達を心から信頼している。だからこそ思う存分我が儘を言えて、この屋敷を任せる事が出来るのだ。
 私はもう、一人ではない……と、そんな事を思いつつ、自然と閉じていた瞼を開くと、まだフランドールは眠らずに私を見つめていた。
「……眠れないの?」
「そうじゃないけれど……なんだか、眠ってしまうのが勿体無くて」
「そう……。でも、気持ちは解るけれど、もう」眠りなさい。そう言い掛けたところで、ちょっとだけデジャブが起こる。いや、違うか。遠い昔にもこうして妹と眠った事はあって……と、そう記憶を掘り起こしていたら、自然と言葉が生まれていた。
「……そうね。今度は二人で霊夢のところへ遊びに行きましょうか」
「え? ……お、お外に出て良いの?」
「えぇ。フランドールが良い子にしているならね」
 解った! と眼を輝かせながら頷く彼女の頭をそっと撫でて……これで、妹が両親からの言い付けに縛られる事は無くなるだろうと、そう思う。
 そもそも、フランドールが自分から地上へ出て来た事で、既にその強制は無くなっている筈だ。けれど、それはまだ『屋敷』という括りから外れている訳ではない。
 妹は、フランドール・スカーレットは、もっと自由になるべきなのだ。そしてその自由へのキップは、彼女の存在から眼を逸らし続けていた私が手渡さなければ意味が無い。
 そう。フランドールを外へ引っ張り出すのは、私でなければならない。それが、私の出来る唯一の贖罪なのだから。
「……だから、今日はもうお休みなさい。フランドールは、朝更かしをする悪い子じゃないでしょう?」
「うー……解ったわ」
 そうして瞼を閉じるフランドールに微笑みながら、私は既に亡くなって久しい両親へと感謝を告げる。
 妹の力が顕現したあの日、両親はフランドールを殺す事だって出来た。私達吸血鬼には弱点が多く、その最たるものは銀と日光だ。流石に銀の武器は用意出来ないしろ、屋根の無い部屋に妹を拘束しておけば、翌日には灰になっていた事だろう。でも、両親はそれをしなかった。
 それが親としての愛情だったのか、それとも異形に対する恐れからだったのかは解らない。でも、両親が屋敷の地下にフランドールを封じた事で……決して見捨てなかった事で、私はこうして再び姉として歩み出す事が出来たのだ。だから、心の中で『ありがとう』と感謝を告げる。
 私達吸血鬼は神に背いた悪魔の一つだ。そんな吸血鬼が死後どこへ向かうのかは解らない。けれど、きっと両親は笑顔でこの状況を受け入れてくれるだろう。
 ……と、そう思いながらフランドールを見つめていると、薄く妹が瞼を開き、「……大切な事を忘れてた」と小さく呟き、
「おやすみなさい、お姉様」
「おやすみ、フランドール」

 ……そうして響き出す、小さな寝息。
「……」
 ……。
「……ずっと一緒よ。愛しいフランドール」
 繋いだ手はそのままに、私も眠りに落ちて行ったのだった。










 ……夢を、見た。
 家族が全員集まって、満月の下で語り合う夢。
 誰もが笑顔な、暖かな夢。

 だから、想いは通じたのだろうと、そう思えた。










 数日後。
 ようやく天気が戻って来た、らしい。
 あの日から夜はずっと雨で、日中はフランドールと一緒に寝こけていたから良く解らなかったのだけれど、咲夜がそうだと教えてくれた。そして、明日ならば神社に遊びにもいけるだろう。と。
 だから私達は睡眠時間を大きくずらして、お昼前ぐらいに目を覚まし、らんらん気分で準備を完了。
 さーて、久々に霊夢を弄りに――
「って、どうしてまた雨が降ってるのよ!」
 勢い良く開いた玄関扉の前で、思わずそう声を上げる。見れば外は灰色の雲に覆われていて、冷たい北風を含んだ雨がザァザァと音を立てながら降り続いていた。
 冬の足音すら感じさせるそれに小さく震えながら扉を閉めて、溜め息と共にフランドールへ視線を向ける。すると彼女は私では無く閉ざされた扉の向こうを睨むように見つめていて、
「……うー……」
 悔しげに小さく唸るその姿に、私の心は絞り上げたかのような痛みを訴える。
 嗚呼、なんて嫌な天気だろう。二日三日晴天を続かせたって誰にも罰は当たらないだろうに。しかも私達は吸血鬼だ。空気を読んで快晴にするのが筋というものだろう。
 こうなったら、パチェの魔法で雨雲を吹き飛ばして貰おうかしら――なんて、半ば真面目に考えだしたところで、不意に玄関が開き、いつの間にか外出していたのだろう咲夜が、
 私達の太陽が――
「何やってるのレミリア。妹を泣かせたら駄目じゃないの」
 ――快晴を引き連れて、帰ってきた。 
「……れい、む?」
 どうしてここに? と思っている間に、自然な様子で霊夢がフランドールへと微笑みかけ「おっと、この私、霧雨・魔理沙さんを忘れちゃこま」黙れ白黒。アンタには聞いてないよ。「うぅ、レミリアが虐めるぜ……」「お姉様、魔理沙を虐めちゃダメよ」
「解った、解ったわ」
 フランドールの背後に隠れて泣くフリをする魔理沙を後でどう料理してやろうかと考えながら、私は降参の意を示すように軽く両手を上げて見せる。そのままぐっと手を伸ばし、濡れた傘を仕舞おうとしている咲夜のエプロンを掴み、損ねた。うあー、空を掻いた手がどうしようもなく恥ずかしいわね全く。
 そのまま意味も無く手をにぎにぎしつつ、こちらの様子に疑問符を浮かべている霊夢へ視線を戻し、
「で、その……これは一体どういう事なの?」 
「どうもこうも、私は咲夜に呼ばれただけよ?」「だぜ?」「『雨でお嬢様が神社へ遊びに行けないから、紅魔館に来て頂戴』ってね」「だぜだぜ」って、『茶々を入れるな!』
 霊夢と同時に魔理沙をどつき、構って貰えない事に真面目に凹んだらしい彼女がフランドールに慰められ始めたのを横目で見つつ、
「咲夜、これはどういう事」
「昨晩、お嬢様がお眠りになられた後、美鈴が『明日は雨になるかもしれない』と言い出しまして。なので、今朝方神社へ先回りし、そこで二人に屋敷に来るよう伝えておきました」
「私に黙って?」
「はい。お伝えすべきか迷いましたが……ですが、こうして『晴れ』ましたから」
 そう微笑んで告げる咲夜に、私は力の抜けた笑みで「……そうね」と返事を返す。
 嗚呼、本当に私の咲夜は有能になったものだわ。それに、美鈴にも後で感謝を伝えないと。……まぁ、素面で気の利いた事が言えるほど私は器用ではないし、回りくどい方法になるかもしれないけれど……それでも、自分の言葉で感謝を伝えよう。
 自身が子供である事に甘んじず、吸血鬼として、この紅魔館の主人として、そしてフランドールの姉として、恥ずかしくない存在になる為に。
 そんな風に思いながら、私はフランドール達へと振り返る。
 
 そこには、小春日和とでも言うのだろう、暖かな景色が拡がっていた。










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