さもしくない。

――――――――――――――――――――――――――――



 気付けば、一ヶ月ほど経っていた。
 日々を蓬莱人形と過ごし続けた結果、彼女は次第に魔理沙の命令も実行出来るようになり、アリスの組み込んだ命令以外の行動からもぎこちなさが抜け始めた。
 そうしていく内に、魔理沙の中に蓬莱に対する愛着が湧き、今まで以上に彼女を『アリスの人形と同じぐらいに動かしてやりたい』という気持ちが強くなっていった(アリスの動かす蓬莱の姿を知っているから、余計にそう思ったのかもしれない)。
 だからという訳では無いが、魔理沙は日々の殆どを蓬莱と一緒に過ごした。離れているのは風呂やトイレの時ぐらいで、食事や眠る時も一緒に過ごし、互いの繋がりを強めていく。それは、『そうする事でより自然に動かせるようになる』とアリスからアドバイスを貰ったからでもあったのだが――それ以上に、『人形遊び』とはまた違う蓬莱との生活に、魔理沙自身が楽しさを感じていたからでもあった。
 朝は同じベッドで目覚め、互いの髪に櫛を通し、一緒に料理を作って、魔法の研究と蓬莱を動かす練習を行う。そんな日々の中で、蓬莱用の洋服や小物を用意し始めて……気付けば魔理沙の部屋に蓬莱用のスペースが出来上がるほどになっていた。
 以前の魔理沙ならば、そんな今の状況を『さもしい一人芝居』だと笑っただろう。だが、実際に蓬莱と暮らし始めて、そこに『意思』を感じられる程度に動かせるようになってくると、その感覚も変わってくる。
 それは、羽を――いや、解り易く言うならば、指先を動かす感覚と似ていた。例えば右手の人差し指を動かす時、『人差し指よ、動け!』と念じながら動かす訳ではない。指を曲げるという信号が脳から発せられ、意識した瞬間には指は曲がっている。それと同じように、『○○をしたい』と思う魔理沙の意思がそのまま蓬莱を動かす。つまり、『○○をしたい』と思った時、既に彼女は動いているのだ。
 だから――魔理沙が笑えば、同じように蓬莱も笑う。魔法によって可能になったその反応の速さがあるから、アリスは大量の人形達を自分の手足のように扱い、激しい弾幕ごっこを行う事すら可能にしているのだ。
 とはいえ、
「私は、お前をそうやって乱暴に扱えそうにないけどな」
「んー?」
 可愛らしく小首を傾げる蓬莱を抱き締めて、無理だよなぁ、と改めて呟きを漏らす。
 この一ヵ月、喜怒哀楽の全てを蓬莱と共有してきた。いや、共有する事が出来てしまった。蓬莱が自分の思い通りに動く『人形』だと解っていても、実際に反応が返って来る以上、そこに『意思』を感じてしまうからだ。
 だからこそ、可愛い蓬莱を弾幕ごっこの『道具』として使う事は出来そうにない。『パートナー』として一緒に戦うなら未だしも、放り投げたり、自爆させたりするのは絶対に嫌だった。
「アリスに言ったら、子供だって笑われるかもな」
 だが、そう思えるほどに蓬莱への愛着が湧いているのだ。
「そうだ。何かあった時の為に、蓬莱へ防御魔法を掛けといてやろう」
「ぼうぎょー?」
「アリスの盾より安全、安心だぜ?」
 笑みと共に言いながら、魔理沙は魔法を発動させる。
 大切なものの一人となった蓬莱を、失わない為に。



 そうして日々を過ごしていたある日、魔理沙のところへ――いや、霧雨魔法店店主・霧雨魔理沙のところに一つの依頼が舞い込んだ。
 それは、妖精退治。魔理沙の力で、とある場所に集まっている妖精を蹴散らして欲しい、というものだった。
 丁度買い物に出掛けようと思っていた時期でもあった為、魔理沙はその依頼を了承し……スペルカードとミニ八卦炉をスカートのポケットに突っ込むと、箒に跨がり、鬱蒼とした魔法の森から飛び立った。
「……しっかし、世間様はすっかり春になってたんだな」
 今年は雪が少なく、幻想郷全体が白く沈む事も無かったから、森に居ても季節変化が解り難かった。それでも一度上空に舞い上がれば、太陽の暖かな日差しと、柔らかな彩りに包まれた幻想郷の景色に『春』を実感出来た。
 そんな中を人里の方へと進み――更にその奥、湖を囲む桜並木の先に、目的である桜の大木があった。
「……やっぱりデカいな、この桜は」
 魔理沙が里で暮らしていた頃から、春と言えば、この桜の元で大宴会を行うのが里人達の恒例となっていた。妖怪達が博麗神社に集まって宴会を開くように、人間達もまた、咲き誇る桜を愛でる為に宴会を開くのだ。
 とはいえ、人間が集まる場所には妖精が現れる事が多い。彼女達は悪戯好きで、騒がしい事に敏感であり……その数が少なければまだ良いが、多くなれば笑い事に出来ない脅威になる。だからこそ、魔理沙のところへ依頼が入ったのだ。
 見たところ、桜は今にも咲き出しそうな状況で――と、暢気に桜の様子を確認していると、数匹の妖精が現れ、魔理沙の姿に気が付いた。彼女達は一様に驚きの表情を浮かべ、すぐに逃げ出すかと思いきや、声を上げて仲間を呼び始めた。
 だが、相手は所詮妖精だ。十匹二十匹現れたところで物の数では無いし、簡単に依頼を成功させる事が出来るだろう。
 そう思っていたのだが――
「……」
 ――大きく揺れた桜の枝、そしてその大木の背後から、一斉に妖精が飛び出してきた。
 その数、数百。
 あっという間に視界は妖精で埋め尽くされ、『妖精退治? 楽勝楽勝』と楽観していた自分を殴りたくなるような状況が完成していた。
「……こりゃ、流石の魔理沙さんでも不味いかもな」
 引きつった笑みを浮かべつつ、夏の蝉時雨よりも騒がしくなってしまった目の前の状況に呟きを漏らす。
 冬の間は数を減らしていた妖精達も、春と共に幻想郷という大きな自然が目覚めた事で再び大量に生まれたのだろう。そんな彼女達が、何を思ったかこの場所に集い……結果的に、この数になった。こうなってしまうと里人達では対処出来ず、妖怪退治の専門家に任せるしかない。
 面倒な依頼を引き受けちまったもんだぜ。そう思いつつ、魔理沙は帽子を深く被り直し、
「……さて、どうしたもんかな」
 改めて、妖精を見やる。どうやら大半の妖精はこちらに気付いていないようで、ぎゃーぎゃーと騒いでいるだけのように見える。つまり、妖精全体の敵意がこちらに向いている訳では無く……いや、楽観は不味い。一匹が攻撃を始めれば、他の妖精は面白半分にそれに続き、結果的にその全てが魔理沙に攻撃を行ってくる。そんな妖精を全て退治しなければならないのだ。つまるところ、今も増え続けているような気がする妖精達全員が敵という事になる。
「景気良くマスパ……いや、ダメだ。桜が傷付く」
 魔理沙の魔法は高威力のものが多く、それは弾幕ごっこという括りの中でも器物を呆気なく破壊する程度の力を持つ。かといって、スターダストレヴァリエなどの広範囲魔法は、展開が速くても正確さが低く、ちょこまかと動き回る妖精を捉えられるとは言い難い。更に、流れ弾が桜を傷付けてしまう可能性があった。
 或いは高高度からドラゴンメテオで一掃するという手もあるが、妖精を全滅させるよりも先に、大きく大地を抉って宴会会場を滅茶苦茶にしてしまう確率の方が高い。
「……アリスを連れてくりゃ良かったな」
 物量戦となれば、アリスの人形は何よりも力強い味方になる。だが、今更そんな事を考えても後の祭りだ。
 ツイてないな、と思いながらも、霧雨・魔理沙は幻視する。桜が咲き始めるという事は、即ち宴会シーズンがスタートするという事だ。そしてそれは、蓬莱を披露する機会が生まれるという事でもある。
 まだアリスのように自在に動かす事は出来ないが、それでも一緒に笑って一緒に泣けるぐらいのコミュニケーションは取れるようになってきた。とは言っても、人形遣いを名乗るにはまだまだだが……本来の持ち主であるアリスは無理でも、霊夢達は驚かせたい。そう思いながら、魔理沙は目の前に居る妖精達を見やり、取り敢えず声を掛けてみようとして――警告無しに放たれた複数の妖弾を軽く回避し、
「交渉も何も無いか」
 膨大な数の妖精に包囲された時点で解っていた事だが、どうやら問答無用で魔理沙を立ち退かせたいらしい。
 向かってくる妖弾を更に回避しながら、魔理沙は二つの魔法陣を展開。白く輝くそれに、マジックミサイルをありったけ装填し、
「仕方ない。――行くぜ!」
 叫びと共に、一気に撃ち出した。



 急激な加速に帽子が吹き飛ばされぬようにしながら、魔理沙はアクロバティックな飛行を繰り返し繰り返し繰り返し、四方八方に放たれる妖弾の間を潜り抜け、小隊を組むかのように列を成した妖精を一気に撃ち落していく。
 妖精達の放つ妖弾は小さく、速度も遅い為、普段ならば然程脅威にはならない。だが、今は相手の数が膨大だ。一斉に放たれたそれは一瞬で身動きが取れぬほどの密度となり、急停止した体の側を連続で掠めて行き――気を抜けば一瞬で大量の妖弾に被弾しかねない状況に冷や汗が流れる。それでも魔理沙は竹箒の柄を握り直すと、一瞬だけ生まれた弾幕の隙間へ穂先を向け、躊躇い無く加速。高密度の弾幕を突っ切り、驚愕に動きを止める妖精達へミサイルをぶっ放す。
 そのまま出来るだけ弾幕の密度が薄いところを目指して飛び回りながら、撃ち漏らしの無いように妖精達を倒していき……だが、その数が減ったように感じられない。
 いや、違う。
 向こう見ずに突っ込んできていた妖精達は粗方撃ち落した。だが、次第に他の妖精よりも力のある、体の大きな妖精が前に出始めてきたのだ。それに気付いた刹那、魔理沙はその妖精へ急接近しながらマジックミサイルを連続で撃ち込み、
「これだけ撃ち込めば落ち、落ち――落ちねぇ!」
 ほぼ零距離での撃ち込みに耐え切った妖精が全方位に赤い妖弾をばら撒き、どうしようもない距離のそれを思い切り体を倒して無理矢理に回避。だがその瞬間にも妖弾は放たれ続けていて、耳元を高速で弾が流れていく。その事実に総毛立ち、早くも緊張と興奮が最高潮に達した。
 無駄な思考が嫌でも削ぎ落とされ、ただ目の前の弾幕を回避する為だけに全神経を使い――
 ――往く。 
 飛んで行きそうになった帽子を内側から押さえて貰いつつ、高速で流れる妖弾を追い駆けるように追従し、魔理沙一人分あるか無いかの隙間を斜めに突っ切り、我武者羅に妖弾を放ち続ける妖精を今度こそ撃ち落す。
 刹那、後方から現れた妖精が魔理沙狙いの小弾を大量に放った。それに対し、魔理沙は自身の左右に展開させていた魔法陣を前面へ。移動速度をぐっと落としながら、こちら狙いの弾幕を回避(グレイズ)していく。そのまま移動を続け、視界に入った妖精を一気に蹴散らしていき――
 ――刹那、大量の高速撃ち返しが来た。
「ケーイブ?!」
 何だか良く解らない言葉を叫びつつ、超高速で迫るそれを必死に回避し、続くように妖弾を放つ別の妖精へとマジックミサイルを撃ち続ける。だが、相手の数に対して攻撃力が足りず、少しずつ魔理沙の中に焦りが生まれ始めてきた。
 それでも――再び密度を増し始めた弾幕と高速で迫る撃ち返しにてんやわんやになりながらも、霧雨・魔理沙は挫けない。不条理の代名詞とも言える博麗・霊夢相手に弾幕ごっこを繰り返し、更には様々な異変を解決して来た事で、魔理沙の中にはどんな状況にも対処出来るだけの力が備わっているのだから。
 だが、それでも、不測の事態は存在する。
 それは本当に突然だった。
 一つの宣言と共に、世界が凍り付いたのだ。
「――パーフェクトフリーズッ!」
「ッ?!」
 予想など、全くしていなかった。
 だが、ここは湖の近くで、その存在が大量の妖精達の中に混じっているのは予想してしかるべきだった。何より彼女は、こうした騒ぎに人一倍敏感だというのに!
「チルノ!」
 叫びと共に、青いドレスの氷精の姿を探す。探す、探す探す探す――
 ――居た。
 妖精達の最奥、桜の大木の正面で仁王立ちするチルノを見付けた瞬間、彼女が堂々と宣言した。
「ここはあたい達がお花見をする場所なの! 人間なんかに邪魔はさせないよ!」
「だからこんなに集まってたのか……。だがな、花見をするにも限度があるだろ!」
 肝心の桜はまだ咲いてないしな! そう叫びつつ、追撃を行ってくるチルノにマジックミサイルを撃ち込もうとしたところで、スペルの効力によって停止していた弾幕が一斉に、そして不規則に流れ始めた。それは完全に方向性を失い、安地が一瞬で失われる混乱を巻き起こす。
 だが、霧雨・魔理沙は止まらない。
 一瞬前までの攻撃的なムードから一転、混乱と共に惑い始めた妖精達へと容赦なく攻撃を行いつつ、一瞬の判断を連続で繰り返しながら迫り来る弾幕を全て回避し――しかし、ついに恐怖に駆られ始めたのだろう妖精達は、周囲の被害など考えず、めったやたらに妖弾を放ち出した。
 その結果、今まで無傷だったのが奇跡だったように、桜の枝葉が妖弾によって吹き飛ばされ、明日にも咲き始めるかもしれなかった桜の蕾が無残にも散り始めてしまった。
 途端、流石にそれは不味いと気付いたのか、一部の妖精が攻撃の手を止め始めた。だから魔理沙は、あくまでもこちらを狙い続けるチルノだけへと狙いを定め、それでも決して密度が減ったとは思えない弾幕の中を突っ切っていく。
 それに焦りを覚えたのか、チルノがスペルを乱発し始めた。冷気を纏うそれに周囲の温度が下がり始め、活発に動き回っていた妖精達の動きも鈍り出す。だがそれは、高密度だった弾幕が消えていくという事でもあった。それを好機と見た魔理沙は一気にチルノへと接近し、桜の花びらが舞い散る中でマジックミサイルを連続で撃ち込み――
「って?」
 一瞬、強烈な違和感が魔理沙を襲った。だが、目の前でチルノがスペルを発動し、その違和感の正体に気付く間もなく回避行動に移らざるを得なくなる。だがその瞬間、何かに気付いたのだろうチルノが大きく口を開き、叫んだ。
「――!!」
 飛び交う弾幕と惑う妖精達の声の中、チルノが何を叫んだのか魔理沙には理解出来なかった。
 だが、それでも解ったのは、まだ花を咲かせていなかった筈の桜が嘘のように花開いている事、そして満開である桜の中に、柔らかな暖かさを持った桜の花びらが混じっている事だった。
 それが『春度』と呼ばれる、数年前に妖夢が必死に集めていた物だと気付いた刹那、過剰に分泌されたアドレナリンによる幻覚か幻聴か、緊張と興奮で極限状態にあった魔理沙の横っ面を殴り付けるかのような警告音が脳裏に鳴り響き、

 ――Caution!

 目の前に、『春』そのものであるかのような、優しさと暖かさを持つ"興奮気味"な笑みが現れて、
 
 ――Lily Appeared!

「こんな、時に――ッ!」
 春ですよ! そんな叫びが聞こえそうな笑みが通り抜けていった刹那、腹に強い衝撃。それにぐらりと体勢を崩しながら、それでも魔理沙は思考する。
 くるりと回転しながら空へと舞い上がるリリーホワイトは、恐らく幻想郷に春を伝え終わった後なのだろう。その表情はかつて雲の上で遭遇した時よりも嬉しげで、だからこそ興奮と共にばら撒かれた妖弾はとんでもない密度をしていた。
 当然のように妖精達がそれに巻き込まれ、腹に数発貰った魔理沙は一面に広がる桜と弾幕を眺めながら、それでもガッツを振り絞り、復活を果たそうと顔を上げ――その瞬間、背に重い衝撃が走った。
 それがチルノの放ったスペルだったと気付く間も無く、魔理沙の意識が一瞬飛んだ。
 ガッツが消える。
 残機が無くなる。
 それはこの弾幕ごっこに負けた事を意味していて――だがその刹那、被弾から一秒にも満たない瞬間に、内側から押さえて貰っていた魔理沙の帽子が跳ね上がり、

 ――目の前に、人形が一体飛び出していた。

 それはまるで、永夜異変の時のようだと、魔理沙は思った。
 だから彼女は無意識にアリスの名を呼び、けれど目の前のそれが上海人形ではないと気付き――同時に理解した。
 目の前の人形。
 被弾した自分。
 発動するスペル。
 この一ヵ月、いつも一緒に居て、行動を共にしていた蓬莱人形から――今日、始めて一緒に森の外へ出た蓬莱から魔力が溢れ出す。
 帽子の下に入れていたのは、まだ皆に見せたくなかったからだ。
 霊夢達を、驚かせようと思っていたからだ。
 だから、蓬莱は、この弾幕ごっことは無関係の筈だ。
 それなのに、
 それなのに。
「――嘘、だろ」
 それはアリスが組み込んでいた、魔理沙にとっては一番不要で、けれど決して消える事の無かった防衛魔法(ラストスペル)。
 リターンイナニメトネス。
「止めろ――!!」
 だが、制止は届かず、組み込まれた魔法はその命令通り発動した。
「――!」
 爆ぜる。
 鼓動するような閃光が、魔理沙の視界を埋め尽くす。
 それは妖弾を、それを放つ妖精を巻き込む魔法の爆発。
 敵と認識された全てが吹き飛ばされ、七色の閃光は魔理沙の絶叫すら掻き消していく。
 そして――世界が白く染まる、その刹那。 

 魔理沙へと振り向いた蓬莱人形は、確かに、笑っていたような気がした。
 

 
 妖精退治が終わった後、霧雨・魔理沙は桜の大木の前から動けずにいた。
 閃光に吹き飛ばされたのか、或いは逃げ出したのか、あれだけ多かった妖精達は綺麗に姿を消している。そして、当の桜は満開となっており――けれど魔理沙の視線は、どうにか拾い集めた蓬莱の断片へと注がれたまま動かない。
「……」
 こうして人形が爆発し、四散していく様は今までに何度も見てきており、以前地下へと降りた時にもその力で助けられた。とはいえそれは結局『アリスの人形』だったのであって、『可哀想だな』と思う事があっても、心が動かされる事は無かった。
 だが、人間とは愚かなもので、一度愛着が生まれたものに対しては、そう簡単に割り切れなくなる。
 様々な感情が心に渦巻き――同時に思うのは、アリス・マーガトロイドという人形遣いの心だ。彼女にとって、やはり人形はただの道具でしかないのだろうと、そう痛感させられる。
 だが、だからと言って、自分も同じように割り切れる訳ではない。
 短い間とはいえ、魔理沙と蓬莱の間には絆が生まれていた。だからこそ、大切な相棒を失った苦痛と喪失感が心を支配する。
「……蓬莱」
 形を失った人形は何も答えない。
 答える筈がなかった。

 ……そうして、どれほどの時間が経っただろうか。
「魔理沙?」
 響いてきた声に視線を上げれば、こちらを心配げに見つめるアリスの姿があった。いつものように数体の人形を引き連れた彼女に、「どうしてここが?」と小さく問い掛けると、アリスは魔理沙の隣に並びながら、
「魔理沙に渡した蓬莱人形には、私の命令が――スペルが残っていたでしょう? それが発動した事に気付いてやってきたの」
「そう、だったのか」
 小さく返事を返し、けれどそれ以上の言葉を続ける事が出来ない。すると、アリスの手がそっとこちらの手に触れた。そして彼女は、そこにある蓬莱の一部を手に取ると、
「大丈夫よ。すぐに元通りになるから」
 一瞬、言われた言葉が理解出来なかった。優しげな表情で蓬莱の断片を持つアリスの常識を疑いたくなった。今すぐその断片を奪い返し、胸に渦巻く想いを全てアリスにぶちまけてしまいたくなった。
 だが、アリス・マーガトロイドはこういった時に冗談を言うほど性根の腐った魔女ではない。
 だから、問い掛ける。自分では普通に発した筈なのに、酷く震えて、か細くなってしまった声で。
「どういう、事だ……?」
「ほら、これ」
 そう言って、アリスが蓬莱の断片――その割れた胸の中から、小さな紅い結晶を取り出した。アリスはそれをそっと握り締めると、腰の辺りに浮かんでいる上海へと視線を向け、その手が提げている鞄を受け取り、
「マリオネットを動かすには、その体に糸を取り付け、人形の頭上から操作する必要があるわ。それと同じように、私が操作する人形にも魔力による糸が必要で……その糸を括り付ける為に、私は人形の中に小さな魔力の結晶を埋め込んでいるの」
 その言葉と共に開かれた鞄の中には、蓬莱人形とそっくりの人形が三体並んでいた。アリスはその中の一体を手に取ると、改めて魔理沙を見つめ、
「ほら、涙を吹いて。今から魔理沙に質問をするから」
「しつもん……?」
「そう、簡単な問い掛けよ。……さて、この子の名前は何でしょう」
「……ほうらい、にんぎょう」
「正解」
 喪失感が大きくて上手く状況を理解出来ない魔理沙の前で、アリスが蓬莱人形の核を新たな人形の中へと埋め込み――それを魔理沙に手渡すと、その手に再び魔力の糸を繋ぎ合わせ、
「はい、リザレクション。これでその子は蘇ったわ。だからそんな呆然としない」
「……いや、だって、いくら『蓬莱』人形だからって、そんな……」
 動揺し、戸惑う魔理沙に、対するアリスは珍しく優しげに、
「魔理沙も魔法使いの端くれなら、私が何をしたか理解出来るでしょう?」
「……つまり、例え自爆しても、核さえ残っていれば復活出来るって事なのか……?」
「そういう事。私は人形をただの道具だと思っているけれど、だからって道具に対して全く愛着が無いという訳じゃないの」
 火薬を仕込んでいようが何だろうが、人形の魂と呼べる部分は傷付かないようにしてあるのだろう。だからアリスはああも簡単に人形を弾幕ごっこの道具にし……毎日のように新しい人形を作り、その補修を行っている。
 それを理解した途端、張り詰めていた緊張が一気に解けて、魔理沙は泣き笑いの顔のままその場に尻餅をついてしまった。そのまま彼女は乱暴に涙を拭うと、アリスへと笑みを向け、
「……全く、お前はへそ曲がりだな」
 そんなに人形を想っているとは思わなかったよ。そう言葉を続けようとして、やっぱり止めた。泣いているところを見られた気恥ずかしさが今更顔を出して、彼女の顔を直視出来なくなったからだ。
 でも、それでも、魔理沙は笑みを浮かべる。
 強い安堵と共に、蓬莱を胸に抱き締めながら。




 一週間後。
 例年通り毎日のように宴会が開かれるようになった春の幻想郷で、しかし幹事である魔理沙はあまり真剣に宴会の事を考えてはいなかった。今は神社の桜が見頃だし、何もしなくても勝手に人が集まるだろう、という考えがある為だ。
 そんな彼女は、その日も蓬莱人形と向き合っていた。 
 蓬莱の体が新しくなった事で、その体内に満たされていた魔理沙の魔力が消失し、彼女の動きはぎこちなくなってしまっている。当然アリスの命令も籠められておらず、その体は以前のように『意思』を感じられるような動きをしなくなった。だからこそ、魔理沙は彼女が『自立していない、ただの人形である』という事実を嫌というほど突き付けられ、
「ま、それが何だって話だけどな」
 彼女の『魂』は、魔理沙と一ヶ月以上の時を過ごした蓬莱人形のそれであり……自分を護る為に蓬莱が自爆してしまった事もあって、魔理沙はそのぎこちなさすらも愛しく受け入れていた。
 そんな中、二人は向かい合ってある作業をしていた。
「よし、出来た」
「できたー」
 出来上がったのは歪な折鶴。一つ折る毎に相手に手渡し、一緒に鶴を折ってみる事にしたのだ。だが、黄色の折り紙で出来たそれは酷く不恰好で、アリスの人形が作っていたそれとは比べ物にならない。それでも、これが二人で一緒に作った初めての折鶴でもあって、その完成度云々よりも喜びの方が大きかった。
 自然と微笑みが浮かぶのを感じつつ、魔理沙は机の上に腰掛けた蓬莱の頭を軽く撫で、
「打倒アリスにゃ程遠いが、これでまた一歩前進だな」
「そうだねー」
 そうして新しい折り紙を用意すると、魔理沙は新たな鶴を折り始め……目の前に腰掛ける蓬莱を見つつ、いつか彼女をちゃんと自立させてやりたいと、そう思う。
 何せこの状況は、他人から見たらさもしい一人芝居以外の何物でもない。魔理沙自身はそう思っていなくても、世間様はそういった判断を下すだろう(過去の自分が、アリスに対してそう思ったように)。
 だからこそ魔理沙は、こうして蓬莱と日々を過ごす。いつかアリスのように自在に彼女を動かし、皆にその『意思』を感じさせ、その自立の切っ掛けを作る為に。
「つっても、それで本当に自立して動き出すのかどうかは解らんけどな。……九十九神になるだけかもしれんし」
「わかんないよー?」
「今も好き勝手に動いてるって?」
「かもねー」
「だと良いんだけどなぁ」
 笑みと共にそう呟いて、魔理沙は蓬莱へ折り紙を手渡し、彼女が一生懸命に続きを折る姿を眺めていく。

 いつか、蓬莱が自分の意思で動き出す日が来る事を、夢見ながら。






end


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