さもしくない。

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 暗く鬱蒼とした魔法の森を歩く事、数分。森の入り口に程近いその場所に、白い外壁の邸宅が建っている。
 以前は明確な呼び名の無かったその邸宅は、今では家主の名を取って『マーガトロイド邸』と呼ばれており……その玄関扉に掛けられた鍵をあっさり開錠すると、霧雨・魔理沙は屋敷の奥へと這入っていく。
 暗い森の中にある為か、日の高い内から廊下には照明が灯されており、居間へと続くそこが綺麗に整理されている事が見て取れる。と、その一角に置かれた花瓶――その隣に腰掛けていた人形が不意にこちらを見上げ、少々慌てた様子で居間へと飛んでいった。
 何も知らない人間ならば腰を抜かすかもしれないその様子も、魔理沙にしてみれば慣れた物だ。彼女は「可愛い侵入者対策だよな」と他人事のように呟きながら廊下を進み、居間へと顔を覗かせると、開かれていたその扉を軽くノックし、
「よぅアリス、遊びに来たぜ」
 笑みと共に告げた先、椅子に座って読書を行っている様子のアリス・マーガトロイドは、一歩居間に入った魔理沙へと視線を向ける事も無く、
「人の家へ勝手に這入り込んで来る人間を、私は客人だと思いたくないのだけれど」
「ノックはしたぜ?」
「そういう問題じゃないわ」
 小さく溜め息。その様子に肩をすくめつつ、しかし『帰れ』と言われない事を好意的に解釈し、魔理沙は勝手にアリスの対面に腰掛けた。対するアリスはそれに一瞬だけ視線を向け、まるで我が儘な妹に呆れる姉のような表情で、
「期待してても、お茶は出ないわよ」
「解ってるよ。後で自分で淹れさせて貰う」
 勝手知ったる他人の家、という事なのかどうなのか、魔理沙はマーガトロイド邸のキッチン周りに精通している。とはいえ相手の言いたい事はそういう意味ではなかったようで、全く、と言わんばかりに一息吐いて、アリスは再び手元へと視線を戻してしまった。
 それに苦笑しつつ彼女の様子を眺めると、アリス自身は小さくも厚い本に目を通しており、机の上には三体の人形が座っていた。髪形や服装から何もかも違う人形達は、自身の半分ほどあるカラフルな紙を一生懸命折っていて、
「折り紙か」
 そう自然と出た言葉にアリスが頷き、
「ええ。小棚の奥に仕舞ってあったのを見付けたの」
 その言葉と共に、読んでいた本の表紙が魔理沙に向けられた。表紙に『おりがみ大百科』と書かれたそれは恐らく外の世界の本で、彼女はそこにある折り方を元に人形へ指示を出しているらしい。
 とはいえ、人形の折っているものは全てバラバラだ。鶴や風船といった一般的なものから、象やペンギン、果てには何十枚ものパーツを組み合わせた手鞠のようなものまである。そんな、広い机の大半が折り紙で埋まっている様はどこか奇妙で幻想的だった。
「でも、なんで人形に折らせてるんだ?」
 目の前で鶴を折り終わった人形の頭を無意識に撫でながらそう問い掛けると、アリスは少しだけ顔を上げ、
「日々の鍛練よ。魔理沙の努力と一緒」
「……私はこんな地味な努力はしないぜ?」
 嘘にしか聞こえない嘘を吐きながら、魔理沙は人形――その紅いドレスと金髪を見るに、蓬莱人形だろうか――の折った赤い鶴を手に取ってみた。見ればそれは降り方の手本のようにズレ無く綺麗に折られており、頭を作るところでどうしてもズレが生まれてしまう魔理沙には考えられない芸当だった。
 これは凄いな。純粋にそう思いながら、魔理沙は鶴を眺め、次いで人形を眺める。すると今度は青色の折り紙を手に取った蓬莱人形が、こちらの視線に気付いたかのように顔を上げた。試しに折り紙を奪ってみると「かえしてー」。……可愛らしい。
 両手を伸ばして折り紙を取り返そうとする蓬莱人形の頭上でヒラヒラと青い紙を振り、必死にそれを取り返そうとする様子に魔理沙は微笑みを強め……はた、とある事に気付いて、視線をアリスに戻し、
「……そういや、この人形は全部お前が操ってるんだよな」
「そうよ」
 つまりこの、取り返す事の出来た青い紙にほっとした様子を見せ、魔理沙から隠れるように他の人形の後ろへ引っ込んで何かを折り始めた蓬莱人形に意思は無く、全てアリスの一人芝居という事になる。けれど今も本に意識を向けている彼女が、テーブルの上でバラバラの動きを、しかも一体一体微妙な個性を出しつつ動き回っている人形を操っているようには思えない。
 一度はさもしいと思ったそれも、こうして見ていると器用の度を越えている気がしてきた。というか、神業としか言いようが無い。
 だから、思わず声が出ていた。
「……いくら魔法だって言っても、ここまで正確に作業を行わせるのは」不可能だろう。と、そう言い掛けて、けれど魔理沙は先程アリスが言った言葉を思い出し、「……ああ、すまん。だから日々の鍛練か」
「そういう事」
 そうあっさりと答えるアリスは、身の回りの全てを人形にやらせている。掃除、洗濯、家事、裁縫――ありとあらゆる事を人形に行わせる事で、それを操る自身の技量を高めてきたのだろう。
 ……アリスも十分努力家だよな。そう思いながら魔理沙も折り紙を手に取り、人形達に倣うように鶴を一羽折ってみる事にした。
 だが、出来上がったそれはやはり頭となる部分が少しズレてしまっており、何だか悔しい。ともあれそれを机の上に置くと、青い紙で再び鶴を折っていたらしい蓬莱人形がこちらにやって来て、魔理沙の折った白い鶴の隣に自身の折った鶴を置き、双方を見比べ……勝った、と言わんばかりの顔をこちらに向けてきた。
「……うるせー」
 その様子に何も言われていないのにカチンときて、魔理沙は蓬莱人形の額にデコピンを一つ。だがそれはどこからか取り出された盾に防がれ、硬質な音と共に地味な痛みが指先に走る。そのまさかの防御に、魔理沙は思わず蓬莱人形の頭を掴もうと手を伸ばし――はた、と再び気付き、
「……やっぱりこれ、自立してんじゃないのか?」
「してないわ。全部私が動かしてるの」
「……むぅ」
 痛む中指を軽く振りながら唸ると、蓬莱人形が心配げな顔を向けてきた。流石に盾でデコピンを防いだのは不味かったと思ったらしい。それに「平気だぜ?」と思わず呟きながら指先を差し出してみると、蓬莱人形が小さな手で中指を撫で始めた。その様子に嬉しさを感じつつ視線を上げると、操り主であるアリスは顔色一つ変えずに本へと視線を落とし続けており……尚更に、人形が自立しているような錯覚を感じる。
 だが、当のアリスが違うと言うのだから、魔理沙にそれを覆す手段は無い。「もう大丈夫だ」の一言と共に蓬莱人形の頭を撫でると、お茶を淹れる為にキッチンへ向かう事にした。
 マーガトロイド邸のキッチンは、リビングから延びる廊下を進んだ先にある。とはいえ、そこに至るまでの短い通路には大量の人形が鎮座しており……今では見慣れたその風景も、改めて見ると不気味この上ない。だがそれは物言わぬ人形が大量に並んでいるから恐ろしいのであって、一体一体が愛嬌良く動き回っていれば恐怖は薄れ、むしろ可愛らしさを感じられるだろう。
「……まぁ、流石に市松人形は不気味かもしれないがな」
 どうやら散髪を済ませたらしい市松人形の頭を軽く撫でて、キッチンの照明を灯し、魔理沙は手際良くお茶の準備を進めていく。すると、背後から足音が響き、
「そっちの茶葉は使わないで。少し湿気てしまったから」
「あいよー」
「……良い返事を返されても困るんだけどね」
「そう言うなよ。ミルクティーで良いか?」
「任せるわ」
「んー」
 軽く返事を返しつつ、カップを二つ用意する。一つは昔からアリスが使っていた物で、もう一つは自分用にと魔理沙が自宅から持参した物だ。最初は冗談で持ってきたような気がするが、今ではれっきとしたこの家の家具となってしまっている。そのくらい、アリスとの付き合いも長くなったという事だ。
 それはともあれ、
「魔理沙さん特製ミルクティー、完成だぜ」
「……」一口。「……七十五点。少し甘過ぎるわ」
「むぅ、手厳しい」
 九十点は狙えると思ったんだがなぁ。そう小さく呟きながら、リビングにあるものよりも一回りほど小さい机に腰掛ける。そんな魔理沙の対面にアリスが腰掛け、無言のまま静かにミルクティーを飲んでいく。当然その手はカップに添えられていて……しかし、人形達は好き勝手に動き回っていた。
 一体は仕舞い忘れていた紅茶の缶を棚に戻していて、もう一体は別の棚からお茶請けを取り出しており、最後の一体――蓬莱人形は、また改めて折り出したのだろう折り紙をこの机の上で再開し、出来上がったそれを魔理沙に見せてくれていた。
 思わずそれを受け取り、その完成度に再度驚き……魔理沙は改めてアリスを見つめ、
「ある程度は自動で動いてるって話だが……やっぱり、凄いもんだな」
 ただでさえ難しいと言われる人形操術を、同時に複数、個別のアクションを交えながら操作しているのだ。自分でも魔道書を書き始め、他者のスペルをまじまじと観察する機会が増えたからか、改めてその凄さを痛感する。
 対するアリスは「褒めても何も出ないわよ?」とつっけんどんな、しかしどこか嬉しげな様子で呟き、
「でも、魔理沙が考えてるほど難しいものではないと思うけどね」
「そーなのかー?」
「そうなのよ。……ほら、試しに右手を出して。蓬莱人形と魔力の糸を繋いであげるから」
 その言葉に頷くように右手を出すと、そこに蓬莱人形がちょこんと乗ってきた。それと同時に、五指にほんの僅かな違和感が走り、
「はい、これでその子は魔理沙にしか動かせなくなったわ。……大丈夫、その子には火薬を詰めてないから」
「や、それはそれで心配だったけどな? というか、こんな微かな繋がりで操作出来るものなのか?」
 引っ張ればすぐに切れてしまいそうな、極細の糸で繋がっているような感覚だ。それに不安を覚える魔理沙に、アリスは「大丈夫よ」と頷き、
「相手が無機物である以上、過剰な魔力は不必要だから。それでも十分太い方よ」
「むぅ」
 ともあれ、向こうが大丈夫だと言う以上、あとはやってみるだけだろう。そうと決めると、魔理沙は蓬莱人形を机の上に座らせ、その頭上に掌をかざす。それと同時に、アリスから声が来た。
「動かすコツは二つあるわ。一つは、『人形を操っている』とは思わない事。もう一つは、その子を自分の手の延長――第三、第四の手だと思う事。……羽を生み出せる魔理沙なら解る感覚だと思うけど」
「あー、あんな感じか」
 魔力で生み出した羽は、実際に意識すれば羽ばたかせる事が出来る。けれどそれは、耳を自分の意思で動かすように、出来ない人間にはどうやって良いのか全く解らない感覚でもあるのだ。だからこそ、アリスも明確にどうこうしろ、という指示が出せないのだろう。
 だが、嘗めて貰っては困る。霧雨・魔理沙は魔法使いであり、その実力は自他共に認められたものなのだから。
「んじゃ、行くぜ?」
 糸に魔力を通し、蓬莱人形が自分自身と繋がるイメージを生み出す。
 意識をして無意識に、まるで指を動かすような感覚で人形を操作する。
 まずは机から立ち上がり、アリスに向かって一礼を――
 一礼――
 一――
 ――
「……」
「……」
「……動かんな」
 先ほどまでは愛嬌良く動き回っていた蓬莱人形が、ピクリとも動かなくなってしまった。それに『やっぱり自立してないのか』と納得し、同時に人形を立ち上がらせる事すら出来ない自分に小さな苛立ちが顔を出す。
 そんな魔理沙に対し、アリスは自在に人形を操りながら、
「最初は誰でもそうよ。それにその子は私が自作したものだから、魔理沙の魔力に反応し難いのかもしれないわ」
「むぅ」
「何なら、暫くその子を貸してあげましょうか? その顔を見るに、このままあっさり諦めたりはしないでしょうし」
「良いのか?」
「ええ。夜中に盗まれるよりはマシだもの」
「……借りてるだけだぜ?」
 言い訳のように呟きつつ、しかし魔理沙は内心アリスに感謝していた。
 こうしている今も、人形は全く動いてくれず……確かにこのまま帰るのでは、自分の気が済みそうになかったからだ。



「……ま、家に戻ったからって動く気配は無いんだがな」
 ベッドにぼふりと倒れながら、誰にとも無く呟きを漏らす。アリス邸から帰宅し、空が薄っすらと明るみ始めた今までずっと格闘し続けたというのに、蓬莱人形は何の反応も示してくれない。
 魔理沙はベッドに横たわりながら人形を手に取り、その額を軽く突きつつ、
「アリスが動かしてた時はあんなにも愛嬌があったのになぁ。……お前、私の事が嫌いか?」
 物言わぬ人形は何も答えない。
「……仕方ない。また明日頑張るとするか」
 溜め息と共にそう告げると、枕の隣に蓬莱人形を置き、布団を胸元に手繰り寄せる。部屋の照明は灯したままで、練習しようと思っていた折り紙なども出しっぱなしのままなのだが……襲い来る睡魔には逆らえず、そのまま魔理沙は眠りに就いた。



 翌日。
 夢の残滓を引きずるように目を覚ました魔理沙は、しかし抜け切らない眠気に従うように体を丸め、布団の中へと潜り込み……ふと、違和感に気付いて体を起こした。
 そして、見慣れた薄暗い寝室を見渡し……
「……あれ?」
 消した記憶の無い照明が消えている。寝惚けて自分で消したのだろうか? いや、だが今までそんな事は……と思うと同時に、『照明が勝手に消えている』という事実の重要さに気付き、慌てて屋敷に張り巡らせている侵入者対策用の魔法を確認する。だが、誰かが家に侵入した様子は無く、自分の体にも何かされた形跡は無い。
 だとすれば何故だ? と思いながら、不安と共に照明を灯す。そして改めて部屋の様子を確認すると、枕の隣に置いた筈の蓬莱人形が机の上に移動しており……アリスから貰った折り紙の一枚が、綺麗な折鶴になっていた。その事実に思わず右手へ視線を落とすと、そこから伸びる魔力の糸は今も人形と繋がったままで、
「……もしかして、お前がやったのか?」
 物言わぬ人形は何も答えない。
「でも、そうとしか考えられないよなぁ……。となると、寝惚け半分では動かせたって事になるのか」
 少々寝癖のある頭を軽く掻きつつ、可能性を口にする。変に意識し過ぎなかった事で、人形を動かせたのかもしれない。
 或いは、人形が自立して動き出した可能性もあるが、
「……アリスは否定してたしなぁ」
 恐らく違うのだろう。そう思いながら、魔理沙は蓬莱人形へ軽く魔力を込め……ふと、独り言を呟いていた。
「照明が消せたなら、次は着替えが用意出来れば最高だよな」
「はーい」
「ん、良い返事だ。――って、嘘だろ?」
 何も答えない筈の人形から返事が返って来て、その予想外の状況に思考が固まってしまう。そんな魔理沙に対し、蓬莱人形は迷わず衣装箪笥のところへ飛んでいくと、そこから黒いドレスにエプロン、部屋の入り口にある帽子立てから三角帽を用意し、更には櫛と鏡まで準備して戻って来た。
 その様子に呆気に取られながら、それでも魔理沙は一仕事終えた蓬莱人形の頭を軽く撫で、
「有り難うな……って、そうじゃない!」
 思わず声を荒げ、目の前の蓬莱人形を捕まえる。すると、一瞬前までの動きが嘘のように動かなくなってしまった。その様子に、魔理沙は首を傾げつつ、
「……どうなってるんだ?」
 良く解らない。
 一応『蓬莱人形がこちらの命令を聞いた』という、ただそれだけの状況ではあるのだが、しかし今の動きはアリスの命令に従っている時のそれだった。だが、魔理沙はそこまで考えておらず、ただ『着替えを用意出来たら便利だよな』と意識しただけだった。
 まさか本当に自立してるのか? そんな風に思いつつ、それでも着替えようとベッドから下りる。詳しい事を考えるのは、着替えを終えて朝食を食べて、それからでも遅くは無いだろう。
 そう思っていたのだが……
「流石に動き過ぎだぜ?」
 魔力の糸で繋がれた右手の方が引っ張られていきそうなほど、蓬莱人形はくるくると動き回った。
 それは、魔理沙が『こうしたい』と思った動きを実行するものだ。例えば着替え終わった頭に帽子を被せてくれたり、食事を作り始めた魔理沙に包丁や食材を手渡し、一緒に野菜を切り始めてくれたりする。
 その姿が少々忙しなく見えるのは、恐らく他に手伝ってくれる人形が居ないからで――明確に、これは自分の、霧雨・魔理沙の命令によって動いているのでは無いな、と思えてきた。
 だが、蓬莱人形から伸びる魔力の糸は魔理沙だけに繋がっており、同時に人形がこちらの意思を反芻してくれているのも確かで……尚更に混乱が続く。
 ともあれ、魔理沙は蓬莱人形と共に食事を作り、普段よりも美味しい気がするそれを食べ……
「……なんか、このままでも良い気がしてきたな」
 実害が無いどころか有益な事ばかりなので、深く思い悩むのが馬鹿らしくなってきたのだ。
 とはいえ、一応は原因を究明しておかないと気分が悪い。
「取り敢えず、アリスに聞きに行くか」
 何気なく呟きながら、櫛を持った蓬莱人形にヘアメイクを任せてみる。
 それは予想以上にらくちんで心地良く、アリスが人形操術に力を注ぎ続ける理由の一つが良く解るようでもあった。



「よぅアリス、ちょっと質問に来たぜ」
「人の家へ勝手に――」そう言いながら、アリスがちらりとこちらを見やり「……って、今日は珍しく髪に櫛を通してあるのね」
「こいつがやってくれたんだ」
 言いながら帽子を脱ぎ、頭の上に乗せていた蓬莱人形を指し示す。すると、お茶を飲もうとしていたアリスが驚きを浮かべ、
「も、もうそこまで自在に動かせるようになったの?」
「へへー、凄いだろ? 凄いだろ?」
「ああ、嘘か……」
「な、何故解った?!」
「もう何年来の付き合いだと思ってるの? そのくらい解るわよ」
「そ、そーなのかー……」
 なんだろう、この頭の上がらない感じ。咲夜にもこんな風にあっさりとあしらわれる時があるんだよなぁ。そんな風に思いつつ、魔理沙はいつものようにアリスの対面へ。そして机の上に蓬莱人形を座らせると、
「実はさ、昨日は全く動かなかったこいつが、今朝になったら急に動き回るようになったんだ」
 同時に、昨日一晩頑張って、しかし一切蓬莱人形を動かせなかった事も説明しておく。すると、対するアリスは蓬莱人形を見つめ、そして魔理沙へと視線を戻し、
「この子は、一体どんな風に動いたの?」
「お前が操作してる時みたいな感じだったぜ。櫛を渡せば髪を梳いてくれたり、家を出る時には戸締りをしてくれたり……私が『こうしたい』って思った事をやってくれるんだよ。でも、昨日の事を考えるに、私には人形遣いとしての才能は無い。となると、こいつが何かの切っ掛けで自立を始めたとしか……」
「残念だけど、それは無いわ」
 そう言って、アリスがお茶を一口飲み、
「恐らくそれは、私の命令が――半自立を行わせる魔法が発動しているだけよ。……そもそも、この子の中には私が組み込んだ命令が完全に残っているの。料理を作ったり、髪を梳いたりといった日常的な命令がね。でもそれは、本来私の魔力でしか発動しない筈だった」
 けれど、想定外の事が起こる。
「まさか、魔理沙がそこまで頑張るとは思っていなかったのよ。一朝一夕で扱える技術では無いから、すぐに飽きると思って」
「魔理沙さんを嘗めてもらっちゃ困るぜ?」
 冗談めかしての言葉に、アリスは微笑み、
「そうね、その通りだったわ。……ともあれ、魔理沙の頑張りによってその子の体内に魔力が満ちて、十分操作可能な状態にまでなったんでしょうね。そして一晩明けて、魔理沙の魔力が完全に人形に馴染んで……その結果、私の組み込んだ命令を、魔理沙の命令として反芻し始めてしまったんだと思うわ。操作している相手が違っても、人形にそれを判別する力は無いから」
「つまり、私がこいつを動かそうとすると、そのままアリスの命令が実行されちまう訳だ」
「そういう事。でも、魔力の糸は魔理沙と繋がったままだから……このまま魔理沙の技術が向上すれば、次第に私の命令も効果を発揮しなくなっていく筈よ」
「私の命令が優先されるようになるからか」
「その通り。でも、私の命令が消えて無くなる訳じゃないから、時折誤作動があるかもしれないわ。まぁ、そこは諦めて」
「解ったぜ」
 そう頷きつつ、けれど蓬莱人形が自立していないという事に、そしてアリスがどこまでも人形を『人形』としか見ていない事に、魔理沙は少しだけ悲しくなった。人間味溢れる動きで蓬莱人形が働いてくれたのを見たばかりだから、どうしても自立している以外の答えを受け入れ難くなっていたのだ。
 対するアリスはこちらの思いを見抜いているのか、魔理沙が机の上に置いた帽子へと視線を向け、
「……まだ蓬莱が自立していると思うなら、その帽子を魔理沙に被せて、もう一度その中へ隠れるように命令してみると良いわ。私は普段帽子を被らないから、そういった命令を行わないし」
「帽子の中に、か」
 言われた通りに意識してみる。すると、蓬莱人形は『頭に付けるもの』として帽子は被せてくれるものの、その中に収まる事が出来ないようで、空中で浮遊したまま動きを止めてしまった。それでも魔力を通して意識を籠めると、かなりぎこちない動きで帽子を上げて、中に――
「――あ、」
 ぱさり、と帽子が床に落ちてしまった。同時に、今までの動きとは比べ物にならないほどに硬い、本物の操り人形のような動きで蓬莱人形が魔理沙の頭に座る。それを直接眺められた訳ではないものの、その動きの硬さを感じ取った魔理沙は、そっと人形を机の上に座らせ直し、帽子を拾い上げると、
「……やっぱり、お前の命令を繰り返してるだけなのか」
「ええ。残念だけど、私にはまだ自立人形を作るほどの技量はないから。……まぁ、魔理沙の気持ちも解るけどね」
 その言葉と共に、アリスの人形が一体、俯いて腰掛ける蓬莱人形の頭を撫でた。確かそれは、上海人形と呼ばれている人形で、
「こうやって動いている人形を見ていると、人はそれを擬人化してしまうのよ。操り人形だと解っていても、そこにある動きや仕草に、どうしても意思を感じてしまう。今だってそうでしょう? 魔理沙には、俯く蓬莱を上海が優しく慰めているように見えるかもしれない。でも私にしてみれば、人形に人形の頭を撫でさせているだけ。それだけの『行為』に過ぎない。でも、多分魔理沙はそこに優しさなどの『好意』を感じている筈」
「……」
 無言は何よりの肯定だ。それを理解しているのか、アリスは言葉を続けた。
「その感情移入が無機物に一方的な魂を与えるのよ。だから、魔理沙にとっては蓬莱も上海も自立していると言えるのかもしれないわ。でも、私にとってはそうじゃない。人形は人形でしかない」
「感覚の……見方の違いか。……淋しい事言うな、お前も」
「事実を事実として捉える。大切な事よ」
「でもさぁ」
 と、そう言葉を続けようとする魔理沙に、アリスは眉尻を下げた笑みで、
「だから、気持ちは解るって言ったでしょ? でも、それを許容していたら、実際に自立人形なんて作れない。それはこちらの錯覚であって、本当の『自立』ではないんだから」
「……確かにそうだな」
 魔法使いは偏屈で、皆妥協出来ない一線を持っている。魔理沙にとってはそれが努力で、アリスにとってはそれが自分の技術であるという事。本気を出さない都会派は、他人にも自分にも厳しいのだ。
 ともあれ、これで蓬莱人形が動き回った理由は解った。そして、自分の人形操術の実力も。
 そう思いながら、蓬莱人形の顔を上げさせてみる。アリスならば何の違和感も無くやってのけるそれも、魔理沙の操作だととてもぎこちない。しかも蓬莱の頭には上海の手が乗っていたままだから、まるで上海が蓬莱の頭を掴み上げたかのようにも見えた。
「……むぅ」
 かなり前途多難。
 それでも、心の中で努力家としての自分が顔を出し、『まだまだ諦めないぜ!』と声を上げた。だから魔理沙は蓬莱人形を掴んで席を立つと、アリスに笑みを向け、
「見てろ。お前が驚くくらいになってやるぜ」
「楽しみにしてるわ」
 そう小さく微笑むアリスに背を向けて、やってきたばかりのマーガトロイド邸を後にする。
 そのまま自宅へと駆けて行く魔理沙の足取りは軽く、その顔には楽しそうな笑みがあり、
「頑張ろうな、蓬莱」
 告げる先、物言わぬ人形は何も答えない。
 だがそれでも、魔理沙は全然構わなかった。





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