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混ざり合う私達。

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 まどろみの中、遠く雨音が聞こえる。
 静かな空気の中へ染み入ってくるように響くそれは、うとうととしている私を静かに優しく包み込む。そのまま意識を手放してしまおうかと思うものの、しかしその雨音が普段とは違う音色をしている事に気が付いて、私は薄く目を開いた。
 布団の合間から見える景色は薄暗く、けれど少々くすんだ色をしている引き戸と大きな本棚が目に入って来た。自宅にあるものとは違う、しかし見慣れているそれに思考が上手く繋がらず、私は布団から頭を少しだけ出し、
「……ああ、そうか」
 昨日は彼のところに泊まったのだと、そこでようやく思い出した。同時に、隣で眠っていた筈の彼が既に居ない事に気が付いて少しだけ悲しくなる。
 とはいえ、悔やんだところで何も始まらない。私は布団の中で一つ伸びをすると、がばりと布団から起き上がった。そして畳んでおいた巫女服を手に取り……暫し考える。昨日から降り続いている雨は今もその雨脚を弱める気配を見せず、恐らく今日も一日中降り続ける筈だ。当然洗濯物が乾く訳も無く、洋服も考えて着ないと『着るものが無い!』という状況に陥りかねない。それに、今日もまたずるずると居座って泊まってしまうかもしれないし……仕事着でもある巫女服には袖を通さず、彼の着物を借りる事にしよう。
 そうと決めると、私はすぐ目の前にある箪笥を開いた。
「にしても、少し冷えるわね……」
 箪笥から着物を引っ張り出している間に、すっかり足先が冷えてしまった。桜が咲き始め、体が春の暖かさを思い出してしまったあとだからか、花冷えと呼ばれるこの時期の寒さが余計に辛く感じられる。私は急いで着物に着替えると、脱いだ寝間着を丁寧に畳み、布団を押入れに仕舞って小さく一息。さて彼のところに……と思ったものの、寝起きでべたつく口の中をすっきりさせる為に、まずは洗面所へと向かう事にした。
 この家は――香霖堂は井戸から水を組み上げている訳では無く、どういう原理なのか蛇口を捻ると水が出る。彼は『それ専用にマジックアイテムを造ったんだよ』とあっさりと言っていたけれど、毎日井戸を利用している私にしてみるとこの設備には憧れるものがあった。というか、それを商売にした方がこの店は繁盛するのではないだろうか。良く解らないけれど。
 そんな事を思いながら顔を洗い、歯を磨き、ざっと寝癖を直すと、私は店番をしているのだろう彼のところへ向かう事にした。
 歩いていく廊下は暗く、しかしその至るところに商品だという物品が積み上げられている。しかもそれらが痛まぬようにと雨戸が閉められている為、廊下は風通しが悪くて少々埃っぽい。そんな歩き慣れた道を、私は彼の着物を汚さぬよう注意しながら進んでいく。
 そして居間に辿り着くと、そこには読書に耽っている男性の姿があった。
 彼は畳に胡坐を掻き、少々猫背になりながら文章を追っていた。とはいえ廊下に響く私の足音は聞こえていたのか、すぐに顔を上げ、
「おはよう、霊夢」
「おはよう、霖之助さん」
 暖かな微笑みに返事を返す。そして私は彼の隣に座ると、その手にある本へと視線を向け、
「今日は何の本を読んでいるの?」
「これかい? これは芸術について書かれたものでね。外の世界の書物なんだけれど、中々に興味深い」
 そうして私にも見えるように拡げられた分厚い本には、片方の頁に大きく絵画や造形物の写真が印刷され、その隣のページにその作品や画家についての解説が書かれていた。
 ゆっくりと頁が捲られていく度に、国も時代も何もかも違う芸術家達の作品が紹介されていき――しかしそれらに共通していたのは、奇抜、という単語が似合う作品ばかりだという事だった。
 例えば奥行きを感じさせない、横を向いているのに両目が見えているような作品や、溶けた時計と空の描かれたどこか空虚な絵、三つの顔が付けられた巨大な白い塔の写真など、それら全てが一見して理解し難く、しかし見る者の印象に強く残る何かを持っていた。ただ小奇麗なだけの絵画には無い力のようなものが、その作品達から感じられたのだ。
 それを告げると、彼は一度本を閉じ、その表紙をそっと撫でながら、
「奇抜というのは良い例えだね。確かに芸術家というのは、得てして奇人・変人が多いと言われている。この本で紹介されている作品を見ても解るように、その作品が常人の理解を超えたものである事が多いからだ。でも僕は、それが間違った判断だと考えている」
 だから本を閉じて、私の価値観を固定させないようにしたのだろうか。そんな事を思いながら、私は彼の言葉の意味を考えつつ、
「それは……周りの見る目が無かったって事かしら」
 正直、今見せられたような絵を突然『新作だ!』と言って持って来られても困惑してしまう。そんな私に対し、彼は真剣な表情で、
「それは微妙なところだ。芸術に対する評価というのは、その時代背景や思想によって大きく変化する。彼等の中には生前よりも没後に名声を得た者も居るぐらいだからね。故に人々の見る目はこの場合関係無い。僕が言いたいのは、彼等の見ていた世界についてなんだ」
 そうしてお茶を一口飲み、彼が饒舌に語り出す。普段の寡黙な様子と違って、こういった時の彼は本当に生き生きしているように思えた。
「芸術家を奇人・変人だと判断する際に、芸術家本人と触れ合った上でその判断を下した者は少ないだろう。大半の人々は世に出された作品を見て『こんなものを生み出す奴は奇人に違いない』と判断し、自分の価値観にそぐわないその作品を否定する為に、相手を奇人や変人だと分類して自分の心の安定を図ろうとした筈だ。そして彼等はその感覚を他者と共有し、周囲と意見を合わせる事でその安定を確固たるものにしていく。その結果、芸術家達は奇人・奇人だと言われ続けるようになってしまった。だが、価値観の相違以上に考えなくてはならないものがある。それが世界の見え方、ひいては色についてだ。
 そもそも人間の感覚というのは固定されたものでは無く、特に視覚は人によってその見え方すら変わる事がある。極端な話、僕はこの本の表紙を青だと認識しているけれど、君にはもしかしたらこの色は赤に見えているかもしれない。そんな風に、誰もが同一の色や世界を見ているとは限らず、もし同じ『色』を共有出来ていたとしても、全く同じ視界を共有する事は出来ないんだ。例えば、ここから店の中を眺めた時、僕の見る風景と君の見る風景が違うようにね」
 そう言って彼が店の方へと視線を向けた。私も同じように視界を向けると、雑多に積み上げられた商品へと目が行き……けれど彼は椅子の上に置かれた魔道書を見たのかもしれないし、普段から認めている日記に視線を落としたのかもしれない。同じ場所を見ているのに、確かにその視界は共有されないのだ。
 そう思う私を置いて、彼はさらに話を続けていく。
「そんな中で、奇人や変人などと呼ばれた人々は、世界に存在しない何かを、本来ならば錯覚や幻覚だと一蹴されるようなものを見ていた可能性が高いと僕は考える。つまり彼等は想像の先を――幻想を見る力を持っていたんだ」
 彼曰く、想像には順位が付けられていて、それは順に想像、空想、妄想、予想、仮想、幻想となっているのだという。しかし想像を元にした想像は空想にしかならず、最高位である幻想には決して届かないらしい。けれど、彼の持つ本に出てきた絵画などは芸術家の想像から生まれた筈のもので……そんな彼等が幻想を見ていたというのなら、
「……幻視が出来たって事かしら」
 それはその名の通り幻想を視る力の事。
 対する彼は私の言葉に頷き、
「恐らく、彼等は他の人間には無い高い幻視力を持っていた筈だ。そんな彼等からしてみれば、世界の色は大きく変わって見ていていたに違いない。そうでなければ、ここまで幻想的な風景を描き出す事は出来なかっただろう。何せ人間も妖怪も、初めから自分の中に無いものはどうやっても表現出来ないからだ。赤を赤と、青を青と定義するには、まずその『赤』や『青』を知らなければならないという事だね。それは幻想も同じであり……しかし、想像は決して幻想にまでは届かないものだ。それを失ってしまった外の世界では尚更に」
 でも、実際に妖怪や幽霊を見た事があれば……と思ったけれど、あの奇抜な芸術家達が生きていた時代には、既に妖怪達は幻想郷にやって来ていたのだ。明るい夜に怪異を見るにも、やはり幻視力が不可欠になっていたのだろう。
「だからこそ、僕は彼等が幻視力を持っていたのだろうと考えたんだよ。そしてそれが、周囲の人間の判断が間違っていたと考える根拠でもあるんだ」
 それはとても彼らしい理論で、けれど私にはそれが正解なのか不正解なのか解らない。しかし彼にとってはそうやって思考実験を行うのが第一なのであって、その正否は関係無いようにも思えた(まぁ、実際のところは解らないけれど)。
「とはいえ、例え彼等のような幻視力がなくても、価値観や概念の変化から一瞬前とは全く違う世界を垣間見れるようになる事もある。それが世界の色の変化だ」
「世界の色?」
 疑問符を浮かべる私に、彼は容赦なく言葉を続けていく。そうやって持論を展開させる彼の姿は嫌いでは無いけれど、こちらの理解を放置して話を進めるその姿勢は、少し正した方が良いように思えた。
「これもまた極端な例えになるけれど……例えば青い世界を見ていた人間が赤い世界を見られるようになった時、今までとは確実に世界の見え方、感じ方が変化する事になる。そしてそれは、誰にでも起こりうる変化でもあるんだ。だから当然、それは僕達にも起こっている。芸術家のように自分の感性をそのまま作品として世に発表するような機会が無いから、そうそう他人には感じ取られないけれどね」
「私達にも?」
 とはいえ、世界の見方がぐるりと変化してしまうような事など、今までにあっただろうか? 
「なに、そう深く考えなくて良い。その変化は、大きなものから小さなものまで人によって様々だからね。例えば僕にしてみれば、こうやって商売を始めた事で今までに知り得なかった様々な知識を得る事が出来た。つまりそれは、今まで知らなかった世界を知ったという事になる。今の例えに当て嵌めるなら、青という色しか知らなかった世界で、赤という知識の色が交じったようなものだ。その結果紫という色が生まれ、世界は更にその見え方を変化させていく。そうした様々な変化を経て、今の僕がいるんだ。霊夢、君だってそうだね。博麗の巫女になる以前から、君の世界は変化を繰り返していた筈だ」
「んー……」
 そういった意味で考えるなら、確かに私の世界も変化してきたと言えるのだろう。
 彼が言った通り、巫女として働き始める以前と今とではモノの見方や感じ方が変わっているし、知り合いも増えた。そして今では彼の色が私の中に交じり始めていて――二つの色はいつか一つになり、また新しい変化を生むのだろう。
 それはどこか男と女の比喩にも感じられて、自然と昨晩の行為を思い出してしまう。私は無意識に下腹部へと手を触れながら視線を上げ……彼と目が合った。そのまま何か言葉が来るのかと思っていたら、愛する人は優しい微笑みをくれて、
「ッ」
 鼓動が跳ねる。
 途端、一瞬で顔が熱くなり、私は思わず自分から視線を逸らしてしまっていた。昨日はその瞳に全てを曝したというのに、こうした瞬間にはどうしても動揺してしまう。つまりそう、そのくらい彼の与えてくれた変化は大きなものだったのだ。
 それでも、少々不自然な目の逸らし方になってしまったのは否めない。子供のようなそれに更に恥ずかしさを感じながら、それでも平素を取り繕う為に私は自分用のお茶を勝手に淹れる事にした。
「……」
 でも駄目だ、顔が熱い。……よし、別の事を考えて気を紛らわせよう。
 えっと、そう。彼の目は未知の道具の名称と用途を判別する事が出来る。とはいえ、その『道具』というのは一体どの程度まで範囲が広がるのだろう。
 例えばそう、式神。相手に式を与えて使役するそれは生き物であり、しかし人によっては道具として扱っている事がある。そういった場合、彼の目にはそれが道具として見えるのだろうか? もしそうだった場合、彼は生き物の名称と用途も判別出来るという事になる。……いや、むしろ彼が『道具』だと判断したもの全てにその能力が適応されるようになっている可能性があるのだろうか。
 だとしたら、彼が私を道具だと、愛玩する為のものだと思っているとしたら、この姿はその瞳にどう映るのだろう。
 きっと私は、『森近霖之助を心から愛する』という――って何を考えているんだ私は! 
「……全くもう」
 小さく呟き、まだ熱いお茶を一口。恥ずかしいからと自分から視線を逸らしたくせに、更に恥ずかしくなるような事を考えてどうするというのだろう。
 ああもう、それもこれも全部彼の目が悪いのだ。そもそも彼の眼鏡は伊達であり、そこにあるレンズに度は入っていない(人妖である為か、五感も衰え難くなっているらしい)。だからその視線は何にも邪魔される事無く私の心を震わせる。
 ……そういえば、その眼鏡が伊達だという事を知ったのは、私がまだ巫女の見習いをやっていた頃だっただろうか。あの頃から、私は彼の瞳に見つめられる度に酷く落ち着かない気分に襲われていた。
 そうして少々の懐かしさと共に過去を思い出しながら、お茶をもう一口。……うん、どうにか落ち着いてきた。
 私は湯飲みを盆へと戻し、改めて畳に座り直すと、読書を再開していた彼と一緒にその文章を追っていく。
 すると、ある意外な事に気が付いた。奇人や変人だと呼ばれた芸術家にも、それを支える妻が存在していたのだ。
 自分とは違う世界を視ているかもしれない相手を愛するというのは、一体どんな気持ちだったのだろうか。私はそんな事を考え……ふと、それは相手の色を自分に取り込む事なのだと、つまり今の私と(というか一般的な恋愛と)なんら変わらぬ状況なのだと気が付いた。何せ誰かを愛するという行為自体、大きく世界の見え方、感じ方を変えるものなのだ。その変化に比べたら、見ている世界の相違など微々たる問題にしか過ぎないのだろう。
 現に私は……いや、そもそも私は、誰かに恋をしたり、愛したりするという感情が良く理解出来ていなかった。というより、私はその『恋愛』というものを学ぶ機会が無かったのだ。
 人里から離れた神社で暮らしていた私には、十歳近くになるまで同年代の友達が一人も居なかった。時折神社に参拝に来る子供が居ても、巫女見習いとしての仕事があった為に一緒に遊ばせて貰えなかったのだ。そんな生活の中では恋愛の『れ』の字も出る訳が無く、当然それに関する本や話を見たり聞いたりする事も無かった。その結果、恋愛に関して全く無知なままに私は成長していく事になる。
 そんな幼少期、私の近くにいる異性は父と、亀の妖怪である玄爺、そして彼しか居なかった。彼は私が生まれる以前から博麗神社と付き合いがあり、こうして巫女となった今でも良くして貰っている。以前母から聞いた話だと、『納屋に住み着いた妖怪を払って欲しい』と両親のところに現れた事から、彼と神社との交流が始まったらしい。その後、母が彼に袴の補修や道具の修理を頼むようになり……私が初めてこの香霖堂に足を踏み入れたのは、そのお遣いの時だった。
 けれど私は、時折神社にも顔を出す彼と対面する時、いつも緊張してしまっていた。成長するにつれてそれを表層に出さずに平素を偽れるようになっていったけれど、どうしても彼の前だと素直になれない事が多かった。
 何せ、目が合うだけで頭の中が真っ白になり、心臓が早鐘を打ち始め、羞恥に顔が熱くなってしまっていたのだ。それは次第に酷くなっていって、いつしか彼の事を考えるだけで胸が苦しくて辛くなるほどだった。
 そうした不安は更なる不安を呼び、しかしそれでも彼に逢わない、という選択は取れなかった。両親の面子もあるし、嫌われるのは不味いという気持ちがあり……だから私は彼に無様な姿を見せないように、長い間何でもない風を振舞い続けた。
 私はそれを、大人の男性に対する恐怖心か何かだとずっと思っていた。何せ父と玄爺以外の(つまり家族以外の)男性は彼しか知らなかったし、若々しい外見の彼が私に対して何を感じ、何を考えているのかが全く解らず、どう接するのが一番自然で普通なのかが解らなかったのだ。
 そうして私は成長していき……彼に対する感情が恐怖心では無いのだと知ったのは、香霖堂で知り合った唯一の友人から恋愛の話題が出るようになった頃の事だった。他愛も無い女同士の語らいの中で、私は自分の中に芽生えていた感情が不安や恐怖などではなく、恋というものである事を知ったのだ。
 なんて馬鹿な話。私は幼い頃からずっと彼に片思いをし続け、しかもそれを自覚する事すら出来ていなかったのだ。……全く、無知とは恐ろしい。
 そんな私は、良く天狗の新聞に『他人に興味を持っていない』と書かれる事がある。それは確かに正解で、しかし間違いでもあった。何せ私の周りの『他人』は妖怪や変わった人間ばかりで、彼女達に興味を持ったところで良い事なんて何も無いのだ。向こうも私に対して『博麗の巫女である』という以上の興味を持っていないのだろうから、興味を持つだけ無駄だと思える。とはいえ、両親や友人、そして彼に対しては別だ。普段から気に掛けているし、だからこうして恋にも堕ちた。
 博麗の巫女だろうと、所詮私も人間なのだ。
 あれだけあった不安や恐怖、そして緊張も、彼と恋人同士となった今では心地良い暖かさに変わっている。彼の言葉通り、過去の私と今の私の見ている世界の色は確実に変わっているのだと思えた。だからこうして彼と一緒に居られる幸せは掛け替えのないものだと感じているし、こうして二人きりで居る時は甘えたくもなる。……でも、私にはそれが出来なかった。
 何か問題があるという訳ではないのだ。ただ、頭の中にある少女の姿が浮かぶだけ。けれどその姿を意識する度、私は彼に対する想いを押さえ込んでしまう。それが何の意味を持たない事にも気付いていると言うのに。
 一気に気分が落ち込んでいく。と、不意に彼が頁を捲る手を止め、熱心に文章を追い始めた。なにやら興味の引かれる内容があったらしい。けれどそこに載せられた絵画が裸婦を描写したものだったから、私は思わず口を開いていた。
「……やっぱり、男の人は胸が大きい方が良いのかしら」
 途端、手探りで引き寄せたお茶を飲んでいた彼が噴き出した。幸いにも本は汚れなかったものの、彼はその口元を手の甲で拭いながら、
「……君は突然何を言い出すんだ」
「それ」言いながら絵画を指差す。同時に改めて見てみると、それは数頁前に載せられていた奇抜な絵とは違い、精巧に描きこまれたとても写実的なものだった。……これはこれで十分印象に残るわね。私はそう思いながらも、「さっきからその婦人を熱心に見てるから」
「勘違いしてくれては困る。僕は芸術的な意味で興味があるのであって、決してこの婦人に興奮したり劣情を感じたりといった――」
 と、彼がそう真面目に説明を始め、しかしその様子が真面目であるが故にどこか滑稽だった。それでも、一度落ち込んでしまった気分はすぐに回復してくれなくて……私は少しの不安と共に彼の顔を覗き込み、
「……なら、何になら興奮するの?」
 彼はなんと答えるだろう。きっと「それはだね、」とまた奇妙に捻じ曲がった持論を少々慌てながら繰り広げてくれるに違いない。でもそれは、私を想ってくれるからこその照れ隠しなのだろうから――なんて思っていると、彼は私を真っ直ぐに見て、
「僕が興奮するのは――霊夢、君に対してだけだ」
「――」
 その、瞬間。ド直球に返ってきた言葉に思考が完全に真っ白になって、しかし落ち込んでいた気分は一気に有頂天へと跳ね上がり、もう嬉しさやら恥ずかしさやらで舞い踊ってしまいそうになりながら逃げ場を探し、しかしどうにも出来なくなって私は崩れるように彼の胸に顔を埋めた。そのまま羞恥に悶えそうになりながらもその胸をぱしぱし叩く。もう恥ずかしさで死にそうだ。
「うー……」
 彼は説明好きであると同時に、思った事は遠慮無く言う事が多いのだ。それをすっかり忘れていた。
 そのまま、彼の匂いと体温を感じながら心を落ち着かせていると、彼の大きな手が私の髪をそっと撫で始めて……
 
 ――店の扉が勢い良く開かれた瞬間、私は弾かれるように彼から距離を取った。

 それと同時に、積み重ねられた商品を器用に避けながら白黒の魔法使いが現れた。どうやら濡れ鼠となっているらしい彼女は、『全く酷い目に合った』と言わんばかりの顔で私達のところへやって来ると、
「やー、酷い雨だな。森から出た途端にずぶ濡れだぜ」
 帽子を脱ぎ、商品の上へと腰掛けながらのその言葉に、彼が苦虫を思いきり噛み潰したかのような顔を向け、
「だからって、ここで帽子を叩かないでくれないか。……ほら、タオルを貸してやるから」
「お、すまないな。だが、冬の間は雨が少なかっただろ? だから良い湿気になると思ってさ」
 そう言って笑う彼女の表情に悪びれた色は欠片も無い。それに溜め息を吐く彼に苦笑しながら、私は未だに暴れている心を落ち着かせる為にお茶を一口。そしてゆっくりと息を吐くと、どうにか落ち着きを取り戻す事が出来――と、そこで彼女と目が合った。その視線は私の顔を見てから下へと落ちていく。それの意図する事に(自分が彼の着物を着ている事に)気付いた瞬間、彼女はにや、と笑い、
「おうおう、お盛んだねぇ」
 ……言葉を返せない。そんな私とは打って変わって、隣に座る彼は普通に言葉を返していた。
「一体何がだい?」
「おいおい、そこは『何を言っているんだ』と慌てて言うか、或いは冷静に返すかの二択だろう? 香霖は解ってないなぁ」
「……いや、尚更訳が解らないんだが」
 からかうように彼女が言い、彼が困惑する。それは以前と変わらぬ状況だった。
「しっかし、桜が咲く時期になると決まって雨が降るな。まぁ、まだ五分咲きぐらいだから良いんだけどさ」
「それは神社の桜の事かい?」
「ああ。ここの桜も見事だが、神社の桜が一番最初に咲くからな。幹事としては宴会場所の確認も入念にしとかないとなんだよ」
「……宴会場所の確認って、今年も神社を占領するつもり?」
「占領とは聞き捨てなら無いな。アイツ等は呼ばなくても勝手に集まって来るんだよ。というか、いつも神社にたむろしてるしな」
「まぁ、確かに……。いい加減真っ当な神社にしたいんだけどねぇ」
「無理だと思うぜ。何せみんなお前を目当てにやって来てるからな」
「そんな事無いわ。……むしろ、賑やかしのアンタが居るからアイツ等が寄って来るんじゃないの?」
「おお、その可能性もあるな。だが、もしそうだったら尚更無理だ。私はお前と酒が呑みたいんだから」
 そう言って微笑む彼女に言葉を返せない。対する彼女は体を拭き終わったタオルを彼に手渡しながら、
「っと、そうだったそうだった、何しにここに来たのか忘れるところだったぜ。なぁ香霖、この前頼んだ瓶は集まったか? 中身は入ってても良いんだが」
「ああ、あれか。しかし、あんなものを何に使うつもりなんだい?」
「秘密、だぜ」
「そうかい。それじゃあ少し待っていてくれ。今から持ってくるよ」
 そう言って彼が立ち上がり、台所の方へと歩いていく。私はその姿を無意識に見送り、そして視線を戻し……改めて、友人である彼女と目が合った。
「ん、どうした?」
「……なんでも、ない」
 そう、それは以前と――私が彼に告白をする前と変わらぬ状況だ。
 だからこそ、私は『彼女は強い』と、そう感じる。そしてそれは、私には決して持ち得ないものなのだろう、と断言出来る事でもあった。
 恋愛について無知だった私は、だからこそ彼に対して何か行動を取る事は出来なかった。そんな私を告白という状況にまで突き動かしたのは、彼女の気持ちを――私と同じように霖之助さんに恋をしている、という話を聞いたからに他ならない。つまり私達は、同じ相手を好きになっていたのだ。
 だというのに、今日も彼女はいつものように笑ってみせる。
 私の前でも。
 彼の前でも。
「……」
 私にとって彼女は一番の友人で、けれど決して私には勝つ事の出来ない相手の一人だった。幸いにも私には才能と陰陽玉の力がある。彼女がいくら努力を重ねようと私には勝てっこないと、そう高を括っていた部分があったのだ。だからそう、彼に想いを受け入れて貰えた瞬間には、『彼女では無く私を選んでくれた』という優越感すらあった。
 でも、私は彼女のようには笑えない。
 あの日――


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