残暑と写真と哀れな者達。

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 魂魄・妖夢は剣士である。剣士たるもの常に沈着冷静で在らねばならず、どんな状況でも己の剣に迷いを持ってはならない。妖夢にとってそれは当たり前の事であり、常日頃から気を付けている事であり、これから先も護り続けていく言わば宿命のようなものだった。
 だが、しかし。しかしだ。
 剣士である魂魄・妖夢とはいえ、その肩書きを外せば年端も行かぬ可憐な少女。時には泣いたり笑ったり夢見たり恋したりとまぁ色々あるものなのである。だって女の子だもん。
 なので、だ。
『第一回 魂魄妖夢の半霊争奪、夏の一番決定戦! 〜冷たい半霊と一緒に残暑を乗り切ろう〜』
 などと銘打たれたのぼりや横断幕が数多くはためくのを目にすると、そりゃあ思考も止まる。考えるのを止める。だから夢かどうか確かめる為に拳を強く握り締め、えへらと笑う魔理沙を思い切り殴ってみた。
「だッ!」
 久しぶりに聞く痛そうな声と、振り抜いた拳に残る感触。どうやら夢では無いらしい。とはいえ、自分のまかり知らぬ所で勝手に半霊を賞品にされては堪ったものではない。そもそもどうやって一番を決めるんだ。勝負か? 弾幕ごっこなのか? などと思いつつ、妖夢は妙な歓喜に包まれている会場の中――綺麗に整地された広場を取り囲むように沢山の観客が声を上げている。恐らく賞品が到着したからなのだろうが――首謀者と思われる人物を探す。
 しかし魂魄・妖夢の個人的なイメージとして、こんな馬鹿げた事を企画しそうなのは霧雨・魔理沙、八雲・紫、因幡・てゐの三名程度しか思い付かなかった。そして、早速ではあるが嘘吐き兎は除外する。この長く続いている残暑の中、半分とはいえ幽霊であり存在するだけである程度は冷気をもたらす半霊が賞品となれば、例えこの企画がただの嘘だったとしても、冗談が冗談で終わらなくなる可能性が限りなく高い。いくら人を集められるとしても、彼女がここまで危険な博打を打つ事は無いだろう。
 となると残る容疑者は魔理沙と紫の二名になるのだが……彼女達は怪しい/妖しい所があり過ぎるので、正直どちらが犯人なのかという判断が付かない。魔理沙ならば『あ、良い事思い付いた』の一言で準備を始めるだろうし、紫の方も『あ、楽しい事思い付いた』の一言で準備を始めるだろう。そして双方共に、誰にも言わず準備を進めるに違いないのだ。
 困った。取り敢えず魔理沙を白楼剣で滅多刺しにして、素直な素直な『綺麗な魔理沙』にしてやろうか。人間には効果が無いかもしれなが、二・三十回刺しとけば嫌でも悩みは消えるだろうし……と、危ない危ない。剣士たるもの、常に冷静にならなければ――などと考えていると、すぐ近くから焦りを持った声が響いてきた。
「ちょ、ちょっと待て!!」
 何を?
「お前が今右手で握ってるソレだ! 事情を説明するからその剣を至急かつ速やかにそれでいて優しくどけてくれ!」
 焦る声に促されるように視線を落とせば、薄っすらと汗の浮かぶ日焼けした魔理沙の柔肌に楼観剣の切先が軽く触れていた。どうやら自分で思っている以上に動揺しているのか、思考している最中に体が勝手に動いてしまっていたらしい。取り敢えず、何故白楼剣では無く楼観剣を抜いたのかは考えない事にして、妖夢は小さく謝りながら切先を離した。すると魔理沙は「ま、まぁ、気にするな。妖夢が怒るのも解る」と少し硬い笑みで言い、妖夢が剣を鞘に納めるのを見届けた後、傷になっていない事を確認しながら立ち上がると、
「……実の所、私は何も知らないんだ。この場を盛り上げろと言われただけで、昨日までこんな催しが行われる事すら知らなかった」
 真剣な口調で言う魔理沙に嘘の色は見られない。それどころか心配げに眉を寄せると、
「けど、妖夢も一応はこの事を知ってるんだと思ってた。賞品が妖夢そのものである以上、私なんかが冗談で言うのとは訳が違うからな。だが、その様子を見ると……妖夢もこの事を知らなかったんだな?」
 と、窺うように聞いて来て、小さな剣士は頷きを返した。
 それは遡る事数十分前。買い物からの帰り道を歩いていた彼女は、空からばら撒かれた号外を何気なく手に取り、この馬鹿げた企画を知ってしまい――居ても立ってもいられず、会場であるこの場所へと駆け込んだ。もしそれを目にしなければ、今頃は冥界に戻って西瓜を切っている所だろう。ああ、そうだ。冷たく冷たく冷えたそれを、幽々子と二人、笑いながら食べる予定が確定していた筈なのだ。それなのに――それなのに。
 ……兎も角。
 魔理沙が白と解った以上、犯人は八雲・紫である可能性が高いのだが……当の本人の姿が見えない。だが、彼女の事だ。妖夢に見付けられぬように隠れている可能性が考えられる。もしそうならば、高みの見物と決め込め、どこかでほくそえんでいるに違いない。
 そうなると、だ。まずは直接彼女と話をしなければならない。その為には、例え八雲・紫が犯人だろうとそうでなかろうと、この馬鹿げた催しを潰してしまうのが一番手っ取り早いだろう。企画潰れになれば、主催者は現れざるを得ないのだから。
 ならば、この場所に居る者達は邪魔になる。ああそうだ。邪魔者は排除しなければならない。暑さを逃れるという理由だけで、こちらの気持ちを無視し、勝手に自分を――半霊を奪い合おうとしている邪魔者を、一刻も早く、目の前から、完膚なきまでに、消してしまわなければならない。
 だから魂魄・妖夢は楼観剣の柄を掴むと、魔理沙に下がるように告げ、耳障りな歓声ばかり聞こえる世界と自身とを遮断するように静かに目を閉じた。そして全神経を研ぎ澄ませ、己の霊力を楼観剣の刀身へと集め、集め、集め集め集め集め集め――身の丈以上に膨れ上がったそれを、気合と共に抜き放つ!
「――ッ!」
 放つスペルは全身全霊。横一文字に抜刀された剣は観客を一瞬にして、容赦も情けも躊躇いも無く、問答無用に斬り伏せる。
 そして――消えていく光の中、
「……まだ、終わってないぜ」
 そう呟いた霧雨・魔理沙に笑みは無く、彼女は消えていく光を睨むように目を細めた。冥界の剣士はその言葉に疑問を返そうとし……それに答えるかのように、観客席から声が上がった。それは苦悶の声では無く、何故か、歓声。楽しげな面白げな、興奮に満ちた耳障りな、音。
 それが指し示すのは、彼女の一撃が軽々と防がれ、回避され、或いは耐え切られてしまっていたという事実。誰にも傷を与えられなかったという、信じられないような、結末。そんな予想外の現実に声を失い、魂魄・妖夢は呆然と膝を付いた。その、容赦も情けも躊躇いも無く放った一撃がまるで効果を発揮しなかった、という現実は、日々剣の道を極めんと鍛練を続けてきた妖夢の自信を砕くには十分過ぎる衝撃だった。こうなった以上、足掻こうと叫ぼうと嘆こうと、最早半霊が賞品になる事を実力で防ぐ事は出来ない。幼き剣士は強い絶望と悲しみと、そして今後訪れるだろう日々に恐怖し――刹那、軽い音と共に、妖夢の頭上で光が瞬いた。
 一体何事だろうかと、弱々しく視線を上げると、そこには笑顔を浮かべる射命丸・文の姿。その手には世界を切り取る力を持つ写真機が握られていた。
「やー、いい写真が撮れましたよー」
 そう言って笑う天狗の少女。気付けば、彼女の他にも何人もの天狗が観客席から妖夢を見ており、そして彼らの手には文が持つ物と同じような写真機が握られていた。つまり……彼等が一斉に妖夢のスペルを撮影し、写真に収めたお蔭で、渾身の力で放ったスペルの威力は零近くにまで落とされ、観客には全くダメージにはならなかったという事だ。
 巫山戯るなという強い怒りと共に、一撃が通用しなかった訳ではない事への安堵と、写真機の力を超えられない自分の実力に悲しくなりながらも、自信喪失し掛けた少女は何とか立ち上がった。
 そんな妖夢の近くに降り立った天狗は、すぐ近くに立つ魔理沙へと視線を向けると、
「お疲れさまでした、魔理沙さん」
「ああ」少し棘を持って魔理沙は頷き、「お前に言われた通り、出来るだけ盛り上げたつもりだぜ。まぁ、まさか主役の妖夢に何の話も行ってなかったのには驚いたがな。……一体、これはどういう事なんだ?」 
 魔理沙の問いを受けた文は、顔に笑みを持ったまま、
「その方が面白い事になると思ったからですよ。現に、会場はここまでの盛り上がりをみせました」
 確かに文の言う通り、妖夢がこの会場にやって来た時には、その盛り上がりは最高潮に達しようとしていた。だがしかし、その盛り上がりが求めているのは自分――半霊という状況は受け入れられない。だから妖夢は、恐らくこの馬鹿げた企画の首謀者を知っているのだろう文を睨む。すると彼女は、まるでそうなる事すら予想通りだったかのように、とてもとても楽しげに嬉しげに、
「まぁまぁ、落ち着いてください。まだ何も始まっていないのですから」
「おいおい、始まったら困る奴が居るんだ。それが冗談じゃなくなった以上、私はそれを止めてみせるぜ?」
「おや都合が良い。ですが、それは困りましたねぇ。……まぁ、その方が、より予定通りなのですけれど」
「予定通り?」
 訝しげな魔理沙の問いに、天狗の少女は頷き返し、
「その通りです」
 楽しげに、
「……実はですね、」
 ゆっくりと、
「この企画は、」
 小さく、
 まるで秘密を打ち明けるように、
 勿体つけて、
「私達天狗が、発案しま――」
 刹那、斬り上げた一撃は風と共に回避されていた。まだまだ鍛練が足りない。
「ちょっと! 危ないじゃないですか!」
 一瞬の内に数メートル背後へと移動した射命丸・文が何かを叫ぶ。流石は天狗というべきか、その表情に驚きはあれど動揺は見られない。しかし自白した犯人に容赦を与えるつもりなど一欠片も無く、妖夢は急加速からの二撃目を放つ。
 ――捉えた。
『な?!』
 観客席から困惑の声が上がる。まさか天狗に追いつける者が居るとは思っていなかったのだろう。しかし彼女は魂魄・妖夢。冥界の剣士は伊達ではないのだ。 
 という事で文を斬り伏せ、倒れた彼女の首元に刃を這わせて問い質す。何故こんな馬鹿げた事を思いつき、尚且つ実行したのか、と。しかし、喉元に剣を突きつけられているというのに天狗の少女はそれに怯える素振りを見せず、寧ろ宣言するかのように堂々と答え始めた。
「夏の暑さが……いつまでも終わりを見せないこの暑さが! 私を、私達天狗をそうさせたのですよ。ええ、全てはこの暑さが悪いのです。この暑さのせいで幻想郷の全てがやる気を無くし、どこへ赴いても事件の一つ、スキャンダルの一つ起きないのですから! ええ、そうです。私達はネタが欲しかったのです。その為に、このような企画を開催したのです。
 ……そもそもですね、去年の花の異変、あれを覚えていますか? あれのお蔭で、去年の夏は幻想郷に大量の幽霊が溢れ、人々は辛い暑さを体感せずに夏を越える事が出来ました。しかし、今年はそうではありません。小町さんが頑張ったお蔭で幽霊の数が例年通りにまで戻ってしまったからです。その結果、一度幽霊の居る生活を知ってしまった者達は、今年が例年通りの暑さであったにも拘らず、この暑さに対して急激に弱くなってしまいました。だからこそ、この場所はここまでの盛り上がりを見せた訳です。
 ですが、妖夢さんを巻き込んだのは悪かったと思っています。しかし、私達に幽霊を捕らえる方法が無い以上、他に良いプランがありませんでした。ですからこれは仕方の無い、大変仕方の無い事だったのです」
 戯言はそれだけか?
「……最後に、一つだけ」
 口の端を歪ませ、射命丸・文は挑むような笑みを持ち、
「いつどこで何がどうネタになるか解らない以上――私はまだ、死ねません!」
 瞬間、暴力的な強さを持った風が巻き起こる。咄嗟の事に思わず目を閉じ、それが文の巻き起こしたものだと気付いた時には、妖夢の視界から天狗の姿は消え失せていた。不味い。強い焦りと緊張と共に、小さな剣士は周囲を見回し――不意に、観客席から何故か下賤な歓声が上がった。更には口笛まで上がる。何かをはやし立てるようなその空気に、剣士は何を期待されているのかが理解出来ずに立ち尽くす。
 そんな時、収まった風の中、魔理沙がそっと、
「……あのな、妖夢……その、な。……スカートがさ、その……」
 上方向への局地的な強風。スカートを穿いた自分。離れた場所にある観客席。導き出される答えは一つ。
 その、瞬間。思考がぴたりと固まるのが解った。
 ……直後、足元で何か音がして、ゆっくりと視線を落とすと、そこには何故か強く握り締めていた筈の楼観剣が落ちていた。拾わなきゃ、と再び思考が動いた瞬間、どうしようも無い程に強く激しい羞恥の嵐が襲い掛かって来た。見られた、なんてものじゃない。これ以上無い最悪な形での見られ方だ。もう嫌だ。どうして私がこんな目に合わなければいけないのだろうか――そう思う妖夢の目には涙が浮かび、小さな少女は急いで楼観剣を拾い上げると、逃げるようにして魔理沙の背後へと隠れた。
 縋るように魔理沙の洋服を掴むと、少し困惑した魔法使いの声が聞こえて来た。
「お、おいおい泣くなよ……。その格好で空を飛ぶ事もあるんだし、そこまで気にする事じゃ……」
 違う。そうじゃない。見られても仕方ない時は相応の下着を選んでいるのだ。時にはスパッツを穿いたりもするし、ドロワーズだって穿く。だからと言って見られても良い訳ではないけれど、それでも少しでも大丈夫なようにしているのだ。でも、でも今日は違う。突然の話に慌ててこの場に来たお蔭で、そういった対策を何もしていないのだ。だから恥ずかしさは段違いで、しかも見られ方も最悪な状況。羞恥で死ねるなら即死している。そんな状況で気にするなと言う方が無理だ。
「すまん、確かにそうだな……」
 そう言って、下賤な声を上げる観客から護るように立ってくれる魔理沙に、今更ながらに先程殴った謝罪をする。すると彼女は「気にするな」と微笑み、一度妖夢の手を離させて向かい合いになると、小さな剣士を護るように抱き締めてくれた。
 嗚呼、友情とはかくも美しい――
「……そこの二人」
 と、近くから掛かった声に視線を上げると、そこには少し厳しい表情を持った十六夜・咲夜が立っていた。
「感動的な所悪いけど、一つ伝えておく事があるわ」
「なんだ? というか、お前も居たのか」
「ええ、私も居たの。まぁ、買い物帰りに覗いたら、こんな事になっていた訳なんだけどね」
 言いながら、咲夜が優しく妖夢の頭を撫で――そっと手を話すと、彼女は小さく、怒りを抑えながら魔理沙へと告げる。
「……さっきの一瞬、写真に撮られてるわよ」
 瞬間、妖夢はまるで地獄の底へと突き落とされたかのような絶望を感じた。ただでさえ恥ずかしい一瞬を、写真に、撮られた? 嗚呼、嗚呼……もうどうしていいのか解らず、魔理沙の胸に顔を埋め、嗚咽を抑える事すら出来ない。そんな妖夢を支える魔理沙は、真剣な口調で、
「それ、本当なのか?」
「ええ。あの一瞬、すぐ近くに座っていた天狗がカメラを操作しているのを見たのよ。ソイツのカメラからフィルムは抜き取っておいたけど……他の天狗が同じように写真を撮っていた可能性は高いわ」
「そうか……。糞、最低な奴らめ……。どこまで妖夢を辱めれば気が済むんだ!」
 自身が騙されて利用させられていたという事に関する怒りもあるのか、魔理沙がそう腹立たしげに声を荒げる。同時に、幻想郷で弾幕ごっこに勤しむ少女達にとって、盗撮問題は忌々しきものだという事もその怒りに拍車を掛けていた。
 基本的にスカートスタイルが多い彼女達にとって、空を舞い弾幕を避け続ける弾幕ごっこは色々と危うい。しかも被弾する事によって服が切り裂かれ、更に危うい事になる。そんな一瞬を狙う為だけに写真を撮り続ける天狗が居るという噂は前々からあったのだが、今回の事で確実となった。妖夢の半身を賞品にする精神と良い、ここで天狗には一つ、灸を据えておかなければならないのかもしれない。
 こうして三人の少女達の思惑は一致し、ここに、一大決戦の火蓋が切って落とされたのである!

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 一大決戦の火蓋が切って落とされてしまった以上、その戦いは熾烈を極め、会場は逃げ遅れた観客の上げる阿鼻叫喚で埋め尽くされ、ここは地獄かと言わんばかりの様相を見せ、戦いは三日三晩にも及び、天狗達は見るも無残な姿に変えられ、血を浴びた三人の少女が上げる声は死者すらも震え上がらせ、剣を振り回し魔砲を撃ちまくりナイフを投げまくるその姿は修羅ですら裸足で逃げ出す程に恐ろしく、それだけでは治まらぬ少女達はついに妖怪の山にまでその牙を向き、最早これを止められるのは博麗の巫女ですら無理だと言われる程の激しい戦いが繰り広げられた――






 ――訳も無く、時を止めた咲夜が天狗の手から写真機を回収→マスター・スパーク、で全てカタがついた。
「ちょ、ま、そんなの卑怯ですよ! 横暴ですよ!」
 そう喚き散らす射命丸・文を魂魄・妖夢は無言で切り捨てる。
 ああ卑怯だろう。ああ横暴だろう。しかし相手は鬼と同等の力を持つと言われる天狗様なのだ。このくらいで卑怯と言われては堪らない。しかも妖夢達は力ある妖怪では無く、半人半霊と人間なのだ。数多い天狗を相手にするには分が悪過ぎる。弾幕ごっこをやろうとしているのではない以上、頭を使わなければ勝ち残れないのである。
 とはいえ。
『大切な写真機を破壊しやがって。これから取材する時にどうすりゃ良いんだ』と天狗達から至極真っ当な文句が飛んできた。だが、そんな事は魂魄・妖夢を始め盗撮被害にあっていた少女達には関係のない事だ。知ったこっちゃ無い。下種なお前等が悪いんだろうがと一蹴すると、天狗の中から一人、巨躯を持つ大柄な男が現れた。子供が見たら泣き出しそうな顔をしたその天狗は、三人の少女の前へと立つと、
「天狗には天狗の、人間には人間の考えがある。それは理解するが……流石にこれはやり過ぎだよ、お嬢ちゃん方」
 口調は優しく、しかし有無を言わせぬ威圧感を持って告げる天狗に、魔理沙と咲夜が一歩たじろぐ。しかし妖夢は、魂魄・妖夢だけは怯まない。ただ一人視線を外さず、声も発さず、ただ、睨む。
 魂魄・妖夢は引けぬ理由がある。半身を賞品にされるという馬鹿げた催しを開かれ、その為に集まった観客に一撃を与える事すら出来ず、スカートの中身をこれ以上無いと言う程思い切り曝し、更に写真にまで撮られてしまったのだ。それは、どこまでも深い絶望と消える事が無い傷を生み出した。自業自得で写真機を壊された天狗の悲しみなど、比べ物にならない。
 だから魂魄・妖夢は立ち向かう。溢れ出す殺気を隠す事無く、ただ一つ、眼前で笑みを見せる天狗の首を刎ねる事だけを考える。『あらあらよーむ、それは流石にやりすぎよ』と遥か冥界から声が聞こえた気がしたが、か弱き乙女は無視を決め込んだ。だってこの人も見たんですから! 写真撮ってるんですから!!
 いつしか会場から声は消え、蝉の合唱すらも止み、あれだけ暑かった筈の会場に、冷たい風が吹き抜け始めた。
 先に動いたのは天狗だった。後方へと目にも留まらぬ速さで間合いを取ったその動きを、気高き剣士は見逃さない。射命丸・文を捉えたように、自身の持てる最大速まで一気に加速すると、天狗へと肉薄し、その巨躯へと向かい一撃を打ち込む。
 だが、浅い。楼観剣の切先は天狗の左腕に傷を負わせるだけに止まり、刹那、天狗の姿は妖夢の視界から完全に消え失せた。――不味い。これは不味い。相手の位置を把握していた状況で討ち損じたのは大きな痛手となる。天狗の一撃を見抜き、回避し切れる技量が無いとは思いたくないが……所詮それは射命丸・文を相手に想定したただの予想。現実は、目の前の天狗はそれを簡単に凌駕する。
 風が舞う。風に舞う。
 上下左右に斜めも含め、持ちうる感覚の全てを動員し、剣士は天狗の動きを見定めんと緊張の糸を張り巡らせ張り巡らせ張り巡らせ――風が、
「――っと、危ない危ない」
 気付けば、咲夜に抱き抱えられていた。突然の事に目を白黒させる妖夢に、咲夜は鋭い表情で、
「大丈夫?」
 こくりと頷くと、彼女は周囲に気を配りながら、
「なら良かった。でも、今のはただ運が良かっただけ。次は無いと思って」
 つまりそれは、天狗が一撃を与えようとした瞬間、咲夜がタイミング良く時を止め、すんでの所で妖夢を救い出したという事。しかしそんなものは偶然を超えた奇跡に過ぎず、二度も続く訳が無い。
 目の前の妖夢が突然消え失せた事に驚く事無く、それどころか興味深げな笑みを浮かべた天狗は、無言のまま風を纏い、再び姿を消し去った。
 妖夢は謝罪と共に咲夜から離れると、白楼剣を抜き、浅く息を吐き――同時に、すぐ隣に居た咲夜の気配が忽然と消滅し、目の前の空間に複数のナイフが展開されるのを見た。
 が、加速と共に一点へと集束していくナイフ達はその切先がキスを交わす前に吹き飛ばされ、地面に落下する事すらも出来ずに彼方へと吹き飛んでいく。同時にどこからか天狗の舌打ちが聞こえ、今度は妖夢の頭上でナイフが生まれ、しかし吹き飛ばされ、ピンポイントで生まれた風が唸る音だけが聞こえては散っていく。
 何度も何度も。ナイフが生まれ消え風が唸りナイフが生まれ消え風が唸りナイフが生まれ消え風が唸り――まるで踊るように、そして誘導するように、ナイフが生まれては消えて行き、風が唸り声を上げる。それを睨む剣士はナイフの位置から天狗の動きを予測し、剣を構え直すと、早鐘を打つ心臓を落ち着かせるように一つ深呼吸。
 ――一歩を、踏み出す。
 加速は一瞬。瞬きすら出来ないその瞬間に、全身全霊全てを掛ける。予測が外れた場合など考えない。だってほら、目の前には、目を見開く天狗の姿。
 そして今こそ二本の剣は天狗の巨躯を捕らえ、深々とその身に傷を刻み込む!
 だが、だが。
 妖夢の顔に笑みは無い。
 足りないのだ。
 あと一撃。
 もう一撃!
 たった一撃!!
 しかし連続で加速する事が出来ない妖夢に為す術もなく、気高き剣士は足を止める。対し、剣士の一撃を耐え切った天狗は唇を歪ませ、その小さな背中へと一撃を見舞わせようと腕を振るい――その瞬間、『妖夢』の声が、小さく響く。

「幽明求聞持聡明の法」

 恐らく今回最大の被害者に成り得ただろう『妖夢』の――半霊の剣が天狗を斬り裂き、消えた。





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