幻想郷は今日も平和である。
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幻想郷は今日も平和である。
「鍋にしようぜ」
色取り取りのキノコを抱え、楽しそうに笑いながら霧雨・魔理沙がやって来たのが一時間程前の事で、博麗・霊夢はそんな彼女と向かい合いながら鍋を囲んでいた。
こういう時、魔理沙のミニ八卦炉はとても役に立つ。一々台所に戻らなくても、すぐに火を起こす事が出来るからだ。
そんな風に思いながらコップに注いだビールを飲み、顔に浮かぶ汗を拭う。霊夢は全身汗だくだった。
「ねぇ魔理沙」
「ん? 酒か?」
「ありがと。……で、なんで夏に鍋なの? しかもこっそり唐辛子まで入れて。美味しいけど辛いじゃない」
「夏だからこそ――暑いからこそ鍋なんだ。それに、美味いなら良いじゃないか」
そう言って、同じく汗だくの魔理沙が笑う。
霊夢はそれに釣られるように笑い、
「それもそうね」
呟いて、小さく煮立つ鍋へと箸を伸ばした。
幻想郷は今日も平和である。
1
幻想郷は今日も平和である。
しかしそれは当然の事だ。そう毎日のように大きな異変が起こる訳でもないし、小さな異変程度なら日常茶飯事だからだ。
だからその日も妖怪は人間を喰らい、人間は妖怪を退治する。
では、妖精はどうだろう?
「決まってるわ。楽しく遊ぶのみよ!」
「そうよ!」
「そーなのかー……って、二人とも、見てたなら少しは助けてよ……。あと、そっちには誰も居ないから」
周囲を囲む闇すら失ったルーミアが涙声で抗議する。しかし大妖精は気にしない。何故なら彼女は気紛れ屋さんだから。そして同じくチルノも気にしない。何故なら彼女は最強だから。
「まぁ、人間なんかに負けるのが悪いんじゃないかなぁ」
「あたいだったらあんな人間、一瞬で氷付けだけどね!」
楽しそうに言う大妖精と元気に宣言するチルノに、対するルーミアは小さな溜め息と共に、
「そーですかー……。まぁ、良いけどね。悪さし過ぎた私も悪いし」
「ん? リベンジしないの?」
問い掛ける大妖精に、ルーミアは頷き、
「しないの。人間は美味しいけど、痛いのは嫌だからね」
「そんなもの?」
「そんなもの」
襲うも襲われるも、形式の上。しかしそれを一度(ひとたび)破れば――『弾幕ごっこ』という枠組みが無くなれば、待っているのは身の破滅だ。
それを理解しているからこそ、ルーミアは曖昧に笑う。
幻想郷は今日も平和である。
2
幻想郷は今日も平和である。
紅魔館の門番である紅・美鈴は、そこに住まう住民の誰よりもそれを理解していた。『気』を使う彼女にとって、幻想郷に起こる変化は、気の乱れの形で察知する事が出来るからだ。
しかし、例え何かに気付いた所で、美鈴が積極的にそれに関わって行く事は無い。彼女はこの紅魔館の門番であり、それ以上でもそれ以下でも無いからだ。
「……でも、今日はちょっと大変かなぁ」
空を見上げて、小さく呟く。
入道雲である。もしかすると夕立になるかもしれず、そうなると雨の中で警備をする事になるのだ。
いや、雨はまだ良い。問題は雷だ。人間を即死させる事もあるそれは、妖怪の身であっても危険は多い。下手をすれば、命を失う可能性もありえるのだ。
空を飛び続けるのは危ないかな、と美鈴が思っていると、館の入り口付近から声が響いてきた。
「ねぇパチュリー、調子が良いからって流石にそれは無理だって……」
「五月蝿いわね。折角思い付いたんだから、試してみなければ損でしょう?」
「……お二人とも、どうしたんですか?」
着地と共に問い掛けると、小悪魔がまるで助けを見付けたかのように、
「ちょっと美鈴聞いてよー。パチュリーったら、雨雲を打ち消す魔法を実行するって聞かないの」
「雨雲を打ち消す?」
オウムのように聞き返す美鈴に、パチュリー・ノーレッジは頷き、
「そうよ。私はゼロから雨雲を生み出したり、それを消したりする事は出来るけれど、自然発生した雨雲を消した経験は無いの。だから、今日はそれを実行してみようと思って」
「そうだったんですか」
素直に感心する美鈴に、しかし小悪魔は心配げに、
「でもね、あったものを無かった事にする魔法っていうのは、必ずどこかで皺寄せが生まれるものなの。自分の魔力で生み出した雨雲なら、魔法を解除すれば消えるけど……自然に生まれた雨雲はそうは行かない訳なのよ。それをまぁこの魔女様は、大丈夫だと言って聞かなくて……」
「五月蝿いわね小悪魔。皺寄せが生まれるなら、それを打ち消す魔法を追加すれば良いだけ。そしてその魔法はもう完成していて、あとは実行するだけだと何度言ったら解るの?」
「だからですね、いくら調子が良いとはいえ、喘息持ちのパチュリーがそんな魔法を唱えるのは危険だって言ってるんですよ! もし失敗したら誰が修正するんですか! いくら私だって、パチュリーの魔法を模倣する事は出来ないんですから!」
「大丈夫よ。私を信じなさい」
「だーかーらー!!」
「……あはは」
仲が良いなぁ。そう思いながら、ちらりと空を見上げる。
気のせいか、入道雲の進路が逸れてきている気がした。
幻想郷は今日も平和である。
3
幻想郷は今日も平和である。
だが、メイド長に休む時間は無い。数多く居るメイド達に指示を出しつつ、自身も掃除・洗濯・家事・奉仕の毎日だからだ。とはいえ、悲しきかな彼女は人間であり、妖怪のように強い肉体を持っている訳ではない。一日中馬車馬のように働き続ける事は出来ないのである。
――しかし、彼女は完全で瀟洒な従者。その辺りに抜かりは無かった。
「……ふう」
お茶を一口。思わず漏れた息に苦笑が漏れる。
台所の一室で休む彼女は今、時間を止めている。灰色に凍りついた時の中、ただ一人、彼女は静かに時間を過ごす。
……だが、所詮は人間の力、という事なのだろうか。
視線を上げた先に、赤い蝙蝠が一匹。
「お嬢様?」
『おはよう、咲夜』
「今日はお早いのですね」
言いながらそっと茶碗を背後へと置き、主へと向かい合う。対する主は羽ばたきと共に霧へと変わると、刹那、瞬きすら許さぬスピードで小柄な少女の姿になった。
可憐な吸血鬼は、楽しそうな、それでいて嬉しそうでもある笑みと共に、
「パチェが起こしにきたのよ。『雨を消すから起きて来て』ってね」
「雨を、消す?」
「ええ。なんでも魔法で消すらしいわ。もし何かあった時、私やフランドールが自由に動けるように」
吸血鬼であるレミリア・スカーレットにとって、忌むべき弱点は信じられない程に多い。そんな彼女の友人である魔女は、その一つを消してみせようとしているのだ。
自然と顔に笑みが浮かぶのを感じながら、咲夜は止めていた時を元に戻し、
「そうでしたか。では、少し早いですが、朝食を外で取るというのは如何でしょう?」
「それは良いアイディアね。少し暑いのがアレだけど、たまには外で食べるのも面白いわ」
「解りました。それでは、すぐに準備を始めます」
軽く会釈をし、咲夜は食事のメニューを考えながら台所の奥へと向かい、レミリアは外の様子を見に歩き出した。
幻想郷は今日も平和である。
4
幻想郷は今日も平和である。
とはいえ五百年近く引き籠もっていたフランドール・スカーレットにとって、外の変化はあまり関心に上る事ではなかった。
しかし、巫女と魔法使いに負けたあの日から、少しずつ外が気になり始めているも確か。そういう事もあってか、始めて外で食べる朝食は、彼女にとって新しい発見と驚きに満ちた食事になった。
そう、フランドールにとっては、蒸し暑い夏の空気も、煌く星空も、五月蝿い虫達も、全てすべて初めての事だったから。
和やかな空気に包まれる中――一名雨が降らなかった事に不満を覚えながら――朝食の時間は過ぎていく。
その後、酒を持ったフランドール達が妖精達の居る湖を突っ切り、満腹に任せるままに横になっている巫女と魔法使いの元へと飛び込んでいくのだが……それはまた別の話。
幻想郷は今日も平和である。
明日もきっと、平和であるに違いない。
end
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