剣を持ったお姫様。

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2

 そんな事があってから、今日で早一週間。
 色々と、考えてみる。
 あの人の姿を見たのは一瞬。しかしその一瞬で、私の心は彼に支配されていた。いくら忘れようと努めても、その姿が脳裏に浮かんで離れない。
 これが一目惚れというものなのだろうか? でも、何か違うような気がしないでもない。
 そう、例えるならそれは、ずっと思い描いていた王子様が目の前に現れたかのようで―― 
「……馬鹿な。絵本の中のお姫様じゃあるまいし」
 小さく首を振り、否定する。
 そもそもお姫様というのは、護られる立場の存在だ。中にはアクティブなお姫様も居るのかもしれないが……私が子供の頃に読んだ絵本に登場するお姫様は、全て護られる立場だった。そして彼女達は、恋に落ちた王子様と必ず結ばれていた。
 そんな物語の登場人物として自分を当て嵌めるとしたら、私はお姫様になる事は無いだろう。何故ならば私は、護られる方ではなく戦う方だ。どちらかといえば、王子様の方だろう。
 お姫様の危機に颯爽と現れて、その身を救い、悪い魔女を打ち倒し――って、待て待て待て。どうして王子様になるんだ私。違うだろう? 私は戦う者。いうなれば、お姫様を護る兵士だろうに。
「……はぁ」
 溜め息が漏れる。
 王子様への願望は、裏返せばお姫様への願望にもなるだろう。つまるところ王子様もお姫様も、『相手と一瞬で惹かれ合い、恋に落ちる』という意味では、そこに違いなど無いのだろうから。
 だから、それを望む私は――
「……はぁ」
 嗚呼、どんどん幸せが逃げていく。
 しかし、いくら溜め息を吐いた所で胸の想いは減ってくれない。それどころか、時間と共に高まっていく始末。
 考える。
「……これが恋、なんだろうか」
 そしてこれが、『好き』という感情なのだろうか。
 ……こんなにも苦しくて辛いものが?
 良く解らない。
 でも、もしこれが『好き』という感情ならば、
「……ならば私は……その、なんだ」
 嗚呼、思考が変化して来ている。
 でも、良いや。今日は、考えた事の無いところまで考えてみよう。
「……えっと、その、」
 あの人と夫婦になり、あの人の子を生したいと思うのだろうか?
「そ、それは考え過ぎか……」
 考えるのは良いが、思考が飛躍し過ぎた気がする。落ち着け私。
 そして考えろ。
 私は、あの人と……
「一緒に居たいと、思うのだろうか?」
 どうなんだろう。
 どうなんだろう?
「……解らない」
 自分の感情すら理解する事が出来ていないのだ。答えなんて出る筈が無い。けれどそういう思考に辿り着いたという事は、少なからず思う所があるという事なのだろう。
 ……でも、
「認められない……。認めちゃ、いけない」
 ここで認めてしまったら、私はただの女に……王子様を求めるお姫様になってしまう。本来ならばそれが、恋をしたいと思うのが正常な姿なのかもしれないが、私はこの西行寺家に使える庭師で、幽々子様をお護りする役目を持っている剣士なのだ。名前も素性も何もかも解らない男性に現を抜かしている程、暇ではない。……それが例え、待ち望んでいた王子様だったとしても。
 それに、そもそも私は冥界の者で、彼は顕界の者なのだ。その溝は、まさしく死と同等に深い。結ばれようだなんて考えこそが、間違っているのだ。 
「……」
 ――だけど、湧き出す想いが止まらない。同時に、少しずつ思考が肯定的になっている自分が怖い。このままじゃ、自分ではない自分になってしまいそうで。

 一体、どうしたら良いんだろう。

……

 次の日。
 私は里へと買い物に下りてきていた。目的は、切れた調味料や米の買出し。でも、実際に自分が何を望んでいるかなんて事は、もう考えなくても解っていた。
 だからこそ、私は里の奥へと向かう事はしないように買い物を行った。もう一度彼の姿を目にしてしまったら、この苦しさが増すだけだという事は理解出来ていたから。
 けれど……皮肉にも米屋は里の奥近くにあって、尚且つ米を貯蔵している倉は、演劇が行われている劇場の斜向かいにあった。
 その事実を忘れていた筈は無かったのに、どうして米も買おうと計画して来たのだろう、私は。
「……駄目なのに」
「ん? 何か仰りましたか?」
「い、いえ、何でもありません」
 聞いてくる米屋の主人に慌てて言葉を返す。
 そして考える。
 丁度店にある取り起きが底を付き、倉まで米を取りに行くという米屋の主人。それに付いて歩いている私はなんなのだろうかと。普段なら、こんな事はせずに店の中で待っている筈だ。恰幅の良い米屋の主人は力持ちで、私に手伝える事は何も無いのだから。
 なんだか、自分の行った判断が良く解らない。
 否定して否定して否定して。それでもまだ、心は王子様を求めているのか。
 私は、そこまでしてあの人に逢いたいのだろうか。
 無意識とはいえ、そこまで求めてしまう自分自身が理解出来ない。
「……ッ」
 辛い。
 それでも歩く度鼓動は高まり、してはいけない期待が高まっていく。……ゆっくりと歩を進める主人の歩調に、軽い苛立ちを覚えてしまう程に。
 そして――倉へと続く最後の角を、劇場へと続く最後の角を曲がった瞬間、私の緊張は一気に高まり、
「……あれ?」
 情けない声が出た。
 視線の先には劇場があるのだが、しかしそこには黒山の人だかりなど欠片も無く、まるで取り残されてしまったかのように閑散としていた。
 一体どういう事なのかと混乱が高まり、無意識に足が止まる。
 いや、理解はしているのだ。ただ、それを受け止める事が出来ない。
 人が居ないという事は、演劇が行われていないという事。つまりそれは、もうあの人に逢う事が――
「どうかしましたか?」
 声に視線を上げれば、米屋の主人が心配そうな顔でこちらを見ていた。
 多分私は今、とてもとても情けない顔をしているに違いない。
 それを止めようと思うのに、どうしても自分の感情をコントロールする事が出来ない。
 不味い。このままじゃ、涙が、
「……いえ、何でもありません」
 主人から視線を逸らし、何とか堪える。
 すると主人は私が視線を向けていた方へと体を向け、
「ああ、演劇ですか?」
「……はい」
 不審がられぬようになんとか言葉を返すと、主人は笑みと共に、
「そう悲しそうな顔をしないで下さい。何があったのかは存じませんが、今日はお休みなだけですから」
「……やす、み?」
「ええ。週に二日程、役者さん方のお休みが入るんです。その間に、少し演技の内容が変わったりしているんですよ」
「そう、でしたか」
 一気に体から力が抜ける。安堵が体を満たして、一瞬前まで感じていた不安はどこかに吹き飛んでしまっていた。
 現金だな、と思う冷静な私はほんの一部で、『またあの人に逢えるかもしれない』という想いが一気に胸を満たしていく。
 それでは、駄目なのに。
 ……でも、それでも安心出来たのは確かで。また普段通りの表情を浮かべる事が出来たのも確かで。
「……すみません。倉へ向かってください」
 顔を上げ、私は主人を安心させるように微笑んだ。
 そして倉へと入り、米を頂く。作業があるという主人に頭を下げてから、私は少し重いそれを胸に抱えて今来た道を戻り始めた。
 歩きながら思うのは、自分の浮き沈みの激しさだ。どれだけ否定を重ねて沈んでも、あの人と逢える可能性があると解っただけで簡単に浮上してしまう。これでは、精神的な余裕など皆無じゃないか。
 それに、今の自分が悪い気分で無いのが気に入らない。
 あと、口元に自然と笑みが浮かび、足取りが軽くなってしまっているのがもっと気に入らない。
 こんな姿を祖父に見られたら、一体どんな言葉を受けるだろうか? ……想像するだけでも恐ろしい。 
 そもそも、他者への想いがここまでウエイトを占める事自体初めてなのだ。もっと冷静になって、自分の想いを確認していかなければいけない筈なのに……って、あれ?
「……始めて、だっけ?」
 胸の奥に何かが引っ掛かっている感覚。
 手を伸ばせば消えてしまいそうなそれに意識を集中させて、私はゆっくりとそれに触れ……忘れていた筈の記憶の残滓を思い出していく。
 そう、確か、昔にもこうやって誰かを想った事が――
「――」
 結論が出ようかという刹那、不意に足に痛みを感じ、私の体は前のめりになった。
 ん?
 ああ、躓いたのか。
 ……。
 ……って、冷静になっている場合じゃない!
「――ッ!!」
 無意識に手が伸びているが、抱えている米俵のせいで上手く動かせない。その事に一瞬思考が停止し、思わずそのまま目を瞑ってしまい――
「危ない!」
「ッ?!」
 誰かに抱き止められた。
 しかし、
「……お、おぉぉ?!」
 私自身+剣二本+米俵=かなり重たい。その重さに耐え切れなかったのか、驚きの声を上げて相手が尻餅を付いた。
 痛い。
 同時にふにゃりと柔らかい相手の胸の感触に一瞬自分の現状を忘れ、しかし咄嗟に顔を上げると、
「だ、大丈夫ですか?!」
「あ、ああ、私は大丈夫だ。妖夢こそ、怪我は無いか?」
「はい、大丈夫です。助かりました、慧音さん」
 言いながら起き上がり、そのまま米俵を地に置くと、私は立ち上がろうとする相手――上白沢・慧音の手を取った。
 そして立ち上がった慧音は、スカートの尻部分を軽く叩きつつ、
「いや、気にするな。しかし、妖夢が転げそうになるというのは珍しい。……何か考え事をしていたのか?」
「まぁ、その……はい。少し、考え事を」
「そうか。だが、重い物を抱えている時は注意するんだぞ? 両手が塞がっていたが為に、顔などに傷が残るような怪我をしてしまっては大変だからな」
「気をつけます。……でも、怪我に違いなどあるのですか?」
 顔だろうが腕だろうが足だろうがどこだろうが、怪我は怪我だ。その程度にもよるだろうが、そこに違いは無いだろうに。
 そう思っての言葉に、慧音は少し驚きを持ちながら、
「当然だ。男だったならまだしも、妖夢は女なんだから。女らしくあれ、とまでは言わないが、自分の体はもっと大切にした方が良い」
 実際それを気にしていては弾幕勝負など出来ないのだが、慧音はそれを解って諭してくれているのだろう。白玉楼に近付く者に対して剣を振るう私にとって、怪我は身近なものでもあったから。
 私は慧音の言葉に頷き、そして米俵を抱えなおし……何気なく慧音へと視線を向けた。
「……」
 整った目鼻立ちに長い髪。私よりも高身長な体には大きめの胸と細い腰。そしてすらりと長い手足が伸びる。
 知的な美人。そしてそこにあるのは母親のような優しさ。魅力的であると、正直に思う。
「……」
 対する私は童顔でおかっぱあたま。小さな背に薄い胸。腕や足には筋肉が付いていて、女性的な慧音のそれとは全然違う。
 肉体的成長の遅い、半分幽霊の半人前。魅力なんて、欠片もない。
「……ッ」
 思わず米俵を抱える腕に力が籠って、その瞬間、普段ならば考える事が無い事実に結構傷ついている自分に驚いた。そして、そんな事を考えてしまっている事にも。
 嫌になる。
 他者と自分を比べてみてしまっている理由なんて、一つしか無い。
『私はあの人に相応しいのだろうか?』 
 だた、それだけ。
 そしてそれは嫉妬というものに繋がって、正面に立つ女性への不快感を生み出していく。
 ……本当に、辛い。
 相手は慧音だ。普段から良くしてもらっているし、今も助けてもらった相手。嫌う要素など何一つ無い。ありはしない。
 でも……でも、考えてしまう。彼と慧音が一緒に居る姿、一緒に過ごしている風景を。
 想像の中、彼の顔は不鮮明だけれど、慧音の笑顔は容易に想像出来る。そして想像出来るという事は、胸が痛むという事だ。その結果胸の痛みは更なる嫉妬を生み出し、私の心を蝕んでいく。
 一体何なんだ。慧音の事は好きだし信頼しているのに……どうして嫌いになろうと、排他しようとする方向にばかり思考が及ぶのか。
 解らない。解った所で、理解したくない。
 もう嫌だ。この先もこんな事を繰り返さなければいけないのなら、彼を想う気持ちなど消えてしまえば良いのに!
 そうすれば、私は今まで通りの私に――
「……ッ」
 戻れ、無い。
 だって、知ってしまったから。誰かを好きになる、という気持ちを。
 だから、想いは消えてくれない。どれだけ否定を重ねても、重ねた分だけ高まっていく。相手は、ただ一瞬しか見る事が出来なかった人だというのに。
「……」
「……妖夢? 一体どうしたんだ?」
 心配げな声と共に、慧音の手がそっと頬に触れた。そしてその細い指が、優しく私の目元を拭う。
「あ……」
 そこで初めて、私は涙を流している事に気付いて、
「う、あ……」
 気付いてしまったら、もう止まらなくて。
 二本の足だけで体を支えられなくなった私は、そのままその場に崩れ落ちた。

……

「……落ち着いたか?」
「はい。……ありがとうございます」
 差し出されたお茶を受け取りながら、少し視線を下げつつ答える。あの後慧音は私を自宅へと運んでくれると、そこで私が泣き止むまでずっと側に居てくれた。
 そして、
「辛い時は、全て吐き出してしまえば良い」
 という言葉をくれて……私はその言葉に甘えて、全てを吐き出した。それこそ、慧音に嫉妬を覚えてしまった事まで、全て。
 どれが告げて良い事で、どれが悪い事なのか、その分別すら出来ない程に私の心は弱りきっていて、それでも慧音はその全てを受け止めてくれた。けれどその包容力にすら嫉妬が芽生えて、少しだけではない醜態まで晒した。……そして、そこまで真剣に想ってしまっている自分を、もう否定する事は出来ないと悟った。
 そんな私の言葉を聞き終えた後、慧音は何も言わずに私を抱きしめてくれた。弱り切った私はその優しさに甘え、抱かれた腕の中で再び泣いてしまい……気付けば、そのまま眠ってしまったらしい。目覚めた時には、もう夕方になっていた。
 精神的に不安定になっているのかもしれないが、流石に恥ずかしい事をしてしまった。私は、茜色に染まる室内で一口お茶を飲んでから、慧音へと向けて深く頭を下げ、
「……ご迷惑をお掛けしました」
「そんな事は無いさ。誰だって、人を好きになる事があるんだから」
「……そう、ですね」
 姿勢を正しつつ、答える。
 問題はこの気持ちとどうやって向き合っていくか、だ。『彼を好き』という気持ちが強いのは確かだが、これからどうして行けば良いのかが解らない。まぁ、最終的に目指すべきは告白なのだろうけれど。
 と、そう思考が動き出した所で、慧音から意外な言葉が来た。
「しかし、妖夢があの男に惚れるとは」
「え? どういう事ですか?」
「実はな、私もあの演劇には一枚噛んでいるんだ。まぁ、実際に舞台に立つ役者では無く、裏方だがな」
 そういえば、藍からそんな話を聞いたような気がする。
 という事はつまり、
「……あの人と、お知り合い、なのですか?」
「ああ、そうなる」
「ほ、本当ですか?!」
 思わず大きな声を上げてしまう。まさかこんな風に、彼へと関係のある人物が現れるとは思わなかったからだ。
 嬉しさに気持ちが高揚し、私は慧音へと掴みかからん勢いで言葉を重ねた。
「あ、あの人はどんな人なのですか?! えっと、性格とか、年齢とか、好みとか――」
「待て待て妖夢、少し落ち着け。彼の話をする前に、里で演劇が行われるようになった理由を話そう」
 その言葉を皮切りに、慧音の説明が始まった。
 それは今から半年以上前の事。定期的に行われる里の集会に参加していた慧音の元に、突然紫様が現れた。彼女は驚く人々に笑顔を向け、一冊の本を差し出すと、
『演劇とかどうかしら?』
 そう、脈絡無く切り出した。
 どういう事かと聞き返しながら、慧音が受け取った本を開くと、それは演劇用の台本だった。どうやら外の世界から流れてきた物らしく、それを読んだ紫様が興味を示したらしい。
 突然の事に動揺はあったが、しかし、里に娯楽が増えるというのは歓迎すべき事だった。平穏な生活の中にも、刺激は必要なものだからだ。
 そして……話し合いの結果演劇を行う事が決まり、里の中で役者志望の者が集め出され始めた。それと平行して使われていなかった屋敷を改装し、劇場にするという計画も進んで行く。
 そんな中、主役として紫様が連れて来たのが彼だったのだという。
 だが、
「彼は人間では無かったんだ」
 なんでも、彼は外の世界から来た妖怪で、この幻想郷にやって来る以前から演劇に興味があったのだという。しかし、幻想郷の中では演技を磨く事は出来ても発表する機会が無い。そんな時に紫様と出逢い、想いを打ち明け、結果的に里での演劇の主役として抜擢される事になった。
 当初は反対意見もあったらしいのだが、その外見と演技力の高さは素晴らしく、すぐに受け入れられるようになったのだという。そして紫様が持参した台本を元にシナリオが書かれ……発表された演劇は、人々の喝采を浴びるものとなった。
「とりわけ彼の人気は高いが、妖夢程惚れ込んでいるのは少ないだろうな」
「そ、そうですか」
 思わず顔が赤くなる。自分でも行き過ぎだと思う程なのだから、ある意味当然の結果なのかもしれない。
 だが、私程ではないにしろ、あの人に惚れ込んでいる人が他にも居るという――って、待て待て私、それはもう解っていた筈じゃないか。だってあの日、私は藍から『彼目当ての女性も多い』という話を聞いているのだから。
「……」
 どこまでも自分本位に考えていた事に凹む。そんな私に、慧音は少し意外そうに、
「しかし、一瞬見ただけで良くそこまで……いや、一目惚れだからこそ、か」
「どうなんでしょうか……。自分でも、良く解りません」
「まぁ、人を好きになる理由なんてそんなものさ。……だが、聞いてきた話から察するに、今までに誰かを好きになった事は無かったのか?」
「それは……」
 多分、初めての事だろう。でも、何か忘れているような気がして、返す言葉が遅れてしまう。そんな私に、慧音は更に質問を投げ掛けてきた。
「それに、妖夢はどんな人が好みなんだ? まぁ、一目惚れ中の彼に関しては、どこが好き、というのは無いかもしれないが」 
「うーん……」
 考え、頭に浮かんだのは彼の姿で、いくら頭を捻ってもそれ以外のイメージを思い浮かべる事が出来なかった。
 それは今現在彼の事が好きだからなのか、或いは彼が私の好みど真ん中だったのか、どちらなのだろうか。……というか、流石に私にも『自分の好み』というものくらいはあると思っていたのに、どうやらその予想は外れたようだ。
 しかし、もし彼が私の好みど真ん中だったとしても、流石にこれは出来過ぎている。これじゃあまるで、絵本の中のお姫様だ。ずっと思い描いていた白馬の王子様が、本当に目の前に現れてしまったのと同じ状況に、今の私は存在しているのだから。
「……王子様」
 そう、王子様。
 私の為に存在する、私だけの王子様。
「……馬鹿な」
 そんな事、現実に在り得る訳が無い。
 だからそう、ただ単に彼は私の好みや理想に近かっただけ。それを勝手に王子様と勘違いしているだけに違いない。
 うん、違いない。
 そもそも、彼は私だけの王子様では無いし。
「……」
 でも、一つ疑問が浮かぶ。
 その理想は、一体どこから生まれたのだろうか?
 私の中には、好みの男性像すら無かったというのに。

3

 夜。
 夢を、見た。
 
 
 そこに居るのは、幼い頃の自分。厳しい祖父の教えに耐える事が出来なくて、いつも泣いてばかりいた自分。
 遠い日の、きおく。

 その日も私は泣いていて、けれどそんな私を慰めてくれる誰かがいた。
 その人はいつも私の側に居てくれて、泣いている私を励ましてくれた。
 でも、それが誰なのかが解らない。
 肝心の顔が、霞の向こうに隠れたみたいに、良く見えない。
 けれど私はその人の事が大好きで、とてもとても大切なのだ。
 将来の夢はその人のお嫁さんとか、そんな風に考えてしまう程に。

 
 そして夢はいくつもの風景を繰り返し、しかし私はその人の前で泣いてばかり。
 いつもいつも、泣いてばかり。
 そんな時、ふと、
「妖夢」
 その人に名前を呼ばれた。
 だから視線を上げた。
 そこには、
「――」
 そこには、想像の中の彼の微笑みがあって、

「――――ッ!!」
 
 飛び起きた時、夢の内容は全て記憶から吹き飛んでいた。
 どんなに思い出そうとしても何も思い出せず、しかし、胸の中に熱い熱だけが残る。
 何故か、強い哀しさと共に。

……

 それから何日経っても胸の想いは消えずに募り、もうどうにもならない状態にまで陥ってしまっていた。改善出来るようにと慧音からアドバイスを貰ってはいたが……食事すら満足に取れない状況なのだ。確実に、重症となってしまっているのだろう。
「……仕方ない」
 この気持ちを認めた以上、どうにかして解消する方法を探していかなければいけない。このまま一人悩み続けても、事態が変化する事は在り得ないのだから。
 だから私は、敬愛する主へと、己の現状を告白する事にした。
「――幽々子様、少々宜しいですか?」
「ええ、良いわよ。入ってらっしゃい」
 その言葉を聞いてから、静かに襖を開く。すると、幽々子様はコタツに入りながら蜜柑を食べていた。
 私は一度座してから襖を閉め、その正面へと。そこで正座をし姿勢を正すと、不意に幽々子様が笑みを漏らし、
「そんなに畏まらないの。何か、私に伝えたい事があるんでしょう?」
「ど、どうしてその事を?」
 少々の驚きを持って問い掛ける私に、幽々子様が優しく微笑んで、
「ここ最近、妖夢の様子が変だったもの。病気では無さそうだから詳しくは聞かなかったけれど……もし悩んでいる事があるなら、妖夢から話してくれるのを待っていたの。悩み事とというのは、心の整理が付くまでは話し難いものだから」
「そうだったのですか……」
 その心遣いに驚き、そしてこんな自分の事を心配してくれていたという事が嬉しかった。
 だから、考える。この想いをどうやって説明していこうかと。
「えっと、ですね……」 
 思い出す。まず、一番最初。
「幽々子様から頼まれました買い物の為に顕界に降りた時、里には劇場が出来、演劇が行われていました。
 買い物途中、私はその横を通り過ぎようとしたのですが……そこから聞こえて来た声に足を止め、劇場の方へと視線を向けてしまったんです。……そこで、ある人に……その、一目惚れをしてしまいました」
 ただ声を聞き、一瞬姿を見ただけ。ただそれだけだというのに、どうしようもなく惹かれ、心奪われた。
 まるで、絵本に出てくる王子様が現れたかのように。
「自分でも、こんなにも心が惑わされてしまっている理由が良く解りません。ですが……あの人を好きだというのは、確実なのだと思います。
 しかしこのままでは、庭師として、そして幽々子様を護る者としての勤めが勤まりません。……私は、一体どうしたら良いのでしょうか……」
「そうね……」
 私の言葉を静かに聞いてくれた幽々子様は、少し何かを考えて、
「……妖夢は、その人に逢ってみたい?」
「え、あ……その、出来る、事なら……」
 理想と現実が違う事ぐらい解っている。だからこそ彼と直接話が出来れば、この気持ちを少しは落ち着ける事が出来るかもしれない。
 そう思って答えた私に、幽々子様は微笑みと共に、
「じゃあ……明日にでも、一緒にその演劇を見に行ってみましょうか」
「よ、宜しいのですか?」
「ええ。実際に逢ってみれば、その人となりが解ってくるでしょうし……妖夢がどんな人に恋をしたのか、私も気になるから」
  

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