十六夜・咲夜の消失。

――――――――――――――――――――――――――――

3
 
 取り敢えず、咲夜の自室へと向かう。
「……居ないわね」
 しかし数日前までは確実に使われていただろう気配のする部屋の真ん中で、姉が忌々しげに呟く。自分自身が陥っていた状況と、そしてそれを行った犯人に対する怒りが胸の中で渦巻いているのだろう。
 そんな姉をよそに、魔理沙は部屋の各所に移動し、箪笥を開けゴミ箱を覗きベッドの布団を剥いで窓を開け放った。
 冷たい夜風の向こうにある満月は、何も言わない。
 だから、魔理沙が口を開く。
「残念ながら、この部屋に怪しいものは何も無い。ついでに荷物を纏めて出て行った形跡も無い」
「そんなもの、私が許す訳無いでしょう」
「だろうな」
 苦笑して言い、しかしすぐに表情を真剣なものに戻し、月光を背に魔理沙は言葉を続ける。
「だが、私とお前が咲夜の事を忘れてたのは確かだ。特に私は、この紅魔館に入った瞬間にアイツの事を忘れた可能性がある。そして、何故かフランドールだけが咲夜の存在を覚えていた。……これは一体どういう事なんだ?」
 その問いに、姉はこちらへと視線を向け、
「恐らく……この屋敷一帯に、何らかの魔法か結界が張られている可能性が高いわね。それも私達が気付けない程に高度で、隠蔽性の高いものが。フランだけがその影響を受けなかったのは、この子の力がそれをも破壊したからだと思うわ」
 言われ、今更ながらに自分の力を思い出す。
 どんな魔法なのか結界なのかは解らないが、対するフランドールの力は破壊する力。例え無意識とはいえ、それが発動していたに違いない。
 だとするならば、フランドールは姉を始めとした紅魔館住民以上に、咲夜消失のタイミングを知っている可能性がある。何か……何か、その切っ掛けとなったモノを覚えてはいないだろうか。
 そう思考を働かせ始めたフランドールを置いて、姉と魔理沙の会話は続く。
「となると、この状況もフランドールなら打開可能か。もしまた私達の記憶から咲夜が消えても――」
「そんな事、絶対にさせないわ。もしそんな状況になったとしても、そうなる前に犯人を殺してみせる」
「とは言うが……犯人の目星は付いてるのか?」
「ええ。これ以上ない程に怪しく、そしてこれ以上ない程侮辱的な――咲夜の位置に取り変わって、この数日間私に仕えていた馬鹿が一匹居るから」
「じゃあ、ソイツが犯人だな」
「ええ。ソレが犯人よ」
 どうやら犯人が確定したらしい。
 それを聞きながら、フランドールの思考は続く。
 部屋に居た時、或いはその少し前から、何か違和感を感じるような事はなかっただろうか。
 魔法でも結界でも、そしてスペルカードだとしても、その発動にはワンクッションを必要とする。具体的には、魔法なら詠唱を行い、結界なら印を結び、スペルカードなら宣言を行う。つまりどんな要因だとしても、そこに何かしらの切っ掛けが存在する筈なのだ。
 小さく唸りながら記憶を辿り、咲夜の部屋を後にする姉達に続いて部屋を出る。
 そのまま歩きつつ考えていると、不意に前方を歩いていた姉の背に頭をぶつけてしまった。
「ッ。ご、ごめんなさい、お姉様」
 咄嗟に呟き視線を上げると、何故か姉と魔理沙の動きが止まっていた。何故、と思いながらフランドールは廊下の先へと視線を向け……そこに、見知らぬ男の姿を見た。
 瞬間、目の前にある姉の翼が大きく広がり、そして両腕に力が籠められた。
 だが姉はすぐに飛び掛らず、ゆっくりとこちらに近付いてくる男へと言葉を放った。
「――咲夜は何処」
 その言葉に男は足を止め、顔に笑みを持ち、
「おやおやお嬢様。お必要の無い事を思い出してしまわれましたか」
 飄々とした態度で男が告げ、そして姉の隣に立つ魔理沙、フランドールの順に視線を向け、
「これはこれはフランドール様。そしてそこに居られるのは霧雨・魔理沙様ですね? お初にお目に掛かります。私(わたくし)――」
 瞬間、男へと紅い弾幕が放たれた。
 全身を掠めたそれに男は動揺する事無く、その顔に笑みを貼り付けたまま、
「お嬢様、一体何を?」
「お前にそう呼ばれる筋合いは無い。早く咲夜の居場所を吐きなさい」
「これはこれは……。別に宜しいではないですか、あのような人間の一人や二人――」
 男は右半身を消し飛ばす勢いで放たれた弾幕を回避しながら、
「この紅魔館には必要無いではありませんか」
「五月蝿い。それを決めるのは私よ。お前が決めて良い事じゃない」
「それは手厳しい。ですが、これはもう決定事項なのですよ」
 答え、男が笑みを強くする。それはまるで相手に不快感を与える事が目的のようで、フランドールは言いしえぬ嫌悪を感じた。
 だが、それは姉や魔理沙も同様だったらしい。無言で、姉がふわりと空に舞う。
 それに続くように魔理沙が箒に跨り、ゆっくりと飛び上がりながら、
「しかし、どうしてこの紅魔館を狙ったんだ? っていうか、その物腰はなんなんだ」
「これは私の趣味で御座いますよ、魔理沙様。そしてこの紅魔館を狙ったのも、私の趣味です」
「趣味?」
 問い掛ける魔理沙に、男は楽しげに頷き、
「はい。この数日間で良く解りましたが、このお屋敷はとても賑やかで、退屈が無く……そして、とても主従がしっかりしています。私はですね、そういった場所を内側から壊すのを大変好んでいるのです」
 男の言葉を聞きながら、姉が両の拳を握り締める。それを見ながら、フランドールは姉達に続くように体を浮かせた。
 その様子を見つつも、男は言葉を続ける。
「今の幻想郷では、私のような者は嫌われる一方なのですが……だからこそ、そういった皆様に絶望を与えるのは、とてもとても気分が良いのです」
「……」
「それでも、吸血鬼であるお嬢様のお相手をするのには少々緊張致しますが……このあとに待っている快楽に比べれば、どうという事はありません」
 そして尚言葉を続ける男を無視し、周囲に魔方陣を生み出しつつ魔理沙が呟いた。
「……なぁレミリア」
「何、魔理沙」
「後で霊夢を連れてくるから、暴れて良いか?」
「私も今、それを考えていた所よ」
「お姉様、魔理沙。私も手伝う」
 怒気を孕んだ声で告げるフランドール達に、男は笑みを強め、
「おやおや、三対一ですか? これは、私も嫌われてしまったものですね」
 男は尚も言葉を止めない。
 五月蝿い。耳を塞ぎたい。今すぐにその五月蝿い口を消し飛ばしてしまいたい。
 フランドールを始め、男と相対する少女三人の意見は完全に一致し、そして照らし合わせたかのように口を開く。
「フォーオブアカインド!」 
 声と共に三人のフランドールが生まれ、
「スタァダスト・レヴァリエッ!」
 魔理沙の周囲を囲んでいた魔法陣が星を生み出し、
「――スピア・ザ・グングニル」
 言葉と共に手を開き、召喚した神槍を姉が掴み、
『――喰らえ!!』
 少女達は、男へと向けて一斉に攻撃を開始しようとし――その瞬間、
「甘いですよ」
 笑みと共に男が腕を振り上げ、高く指を鳴らした。その高い音は紅魔館全体に染み渡るかのように響き渡り――次の瞬間、四人一斉に弾幕を放ったフランドールは信じられないものを見た。
 魔理沙の生み出した星屑は男ではなくフランドールへと迫り、姉の放った槍は男ではなく魔理沙へと迫り、そして腕を振り下ろした男の弾幕が姉へと迫り――
「ッ!」
 それが男の力だと気付いた時には、星屑に撃たれたフランドールは三人の分身を失い、神槍で穿れた魔理沙は吹き飛び、弾幕を受けた姉は地に墜ちた。唯一男へと向かったフランドールの弾幕も、その身体を傷つける事が出来ずに回避されてしまっていた。
 そして神槍がその勢いを止めずに紅魔館の壁を吹き飛ばし、屋敷の壁が崩れていく。絶望の足音のようなその音に一気に不安が溢れ……しかしその音に負けぬよう、フランドールは叫んだ。
「お姉様! 魔理沙!」
 そのまま姉へと近付こうとしたフランドールよりも先に、男は姉のすぐ近くに立ち、 
「危ない危ない。流石に焦りましたよ」
「そこを退いて……!!」
「無理な注文ですね」
「ッ!!」
 無意識にレーヴァテインを呼び出し、強く握り締め――しかし、男の笑みは変わらない。
「おやおやフランドール様、そんな物騒なものを取り出して宜しいのですか? 今そんなものを使えば、お嬢様も魔理沙様も、同時に吹き飛んでしまいますよ?」
「――!」
 言われ、振り上げようとしていた腕を止める。フランドールの力は強大が故に小さなコントロールが効かない。男が姉の近くに立ったのも、その被害に巻き込ませ易くする為だろう。
 奥歯を噛み締め、対抗策の無い状況に怒りを募らせる破壊魔に対し、男は楽しげに指を鳴らし、
「まぁ、私はそれでも良いのですけれどね。お二人を楯に、逃げさせて頂きますから」
 言って、男がもう一度指を鳴らす。
 今なら解る。男のあの行為が、この屋敷から咲夜という存在を消す要因を生み出したに違いない。
 忌々しげに指を睨むフランドールの視線に、男は手を軽く振りながら、
「ああ、コレですか? これが私の唯一の力でして。この音を聞いた者を――」
 高く、指を鳴らす。
「軽い催眠状態に出来るのですよ。簡単に言えば、催眠術ですね。人間一人の記憶を隠蔽するぐらい、お手の物です。……まぁ、具体的な事は秘密ですけどね」
 男が笑う。
 こうやって話をしている間にも、先程同じように姉に暗示を掛け、そして魔理沙にも男を敵だと思わないようにさせているのだろう。
「……」
 また、独りになってしまった。
 その事実に涙が浮かび、しかしそれを拭う事すらせずに、フランドールはその小さな肩を震わせながら叫ぶ。
「卑怯者!」
「心外ですね。用心深いと言ってください。ですが……これ以上の用心を望むとなると、フランドール様の存在が邪魔になるのです。どうやら貴女様には、私の暗示が効かないようですから」
 言葉と共に腕を振り、男が弾幕を展開させ、
「ですので……死んでください」
 言葉と共に、男の弾幕がフランドールに迫る。
 まるでその性根を表したかのような暗い色の弾幕を必死に避けながら、しかし反撃する事が出来ないフランドールは少しずつ傷を負っていく。
 涙を流しながら耐えるフランドールの姿に何を感じているのか、弾幕を生み出し続ける男はそれはそれは楽しそうに、
「吸血鬼といえど、不死身ではないですからね。一度倒れた後は、ゆっくり聖水でもかけて灰にしてあげましょう」
「ぜ、絶対に嫌!!」
 声を大に叫ぶ。だが、受身でいるこの状況ではどうしても勝ち目は無い。
 フランドールは不安な心を押し殺し、勝機を求めて視線を動かし――左手に伸びる廊下の奥から、騒ぎを聞きつけたのだろうメイド達が現れるのを見た。
 助かった――そうフランドールが思った直後、メイド達は一斉に弾幕を放つ。
「――」
 予測はしていた。彼女達も咲夜の事を忘れていたし、男が敵だとは思ってはいなかった。
 だが、領主である姉と魔理沙が床に倒れており、フランドールが弾幕を受けているのだ。少しぐらいは期待する。
 けれど……けれど、やはり現実は残酷で。
 メイド達の放った弾幕は、男では無く、その全てがフランドールへと迫った。
「そんな……!」
 叫んだ所で、現実は変化しない。前方からと左手からの攻撃は、いくら吸血鬼の動体視力といえど回避し切れるものではない。
 なす術も無くうずくまり、ただひたすら弾幕を耐えるしか無くなったフランドールは考える。この状況を打破する方法を考える。
 何か無いだろうかと小さく頭を上げ――見た先に、月光を受けながらやって来るパチュリーの姿があった。
 瞬間、胸に湧き上がる感情に身を任せ、弾かれるように飛び上がった。頭では理解していても、心と体は止まらない。弾幕に身を晒しながらも、フランドールはパチュリーへと近付き――しかし、魔女は小さくスペルを読み上げていた。
 そして何処までも非情な現実は、魔女の呪文を完成させる。
「――ジンジャガスト」
 瞬間、パチュリーを中心に風が巻き起こり、突然のそれにフランドールは体勢を崩した。そしてその隙を狙うように弾幕が降り注ぎ、フランドールの小さな体は、魔理沙の近く――瓦礫の山へと墜ちていく。 
 それでも容赦なく降り注ぐ弾幕に耐えながら目を開くと、視線の先には小さく呻く魔理沙の姿があった。フランドールの逆鱗に触れない為か、その体には弾幕は迫っていない。視線を動かせば、男の足元で横たわる姉も同じように弾幕に晒されてはいなかった。
 その事に安心しつつ、しかし痛む体に涙が浮かぶ。
 そして男が何かスペルを唱え始め、それが止めなのだろうとフランドールは感じ取る。けれど反撃する為には魔理沙との距離が近過ぎる。
 だからフランドールに出来た事は、襲い来る弾幕に耐える為に身を丸める事だけだった。
「……」
 目を閉じた先の暗闇に浮かんだのは、巫女服に身を包んだ鮮烈な後姿。彼女だったら、この状況を簡単に打破してしまうのだろうか?
 助けて欲しいな、と願っても、そう簡単に奇跡なんて起こる訳も無く。少しずつ体の傷を深くしながらフランドールは考える。
 この場から逃げ出す事は出来る。吸血鬼としての力を使い、体を霧に変えて外に出てしまえば良いだけの話。
 だが、それを行う気にはなれない。どうにかして、この手で男を殺してしまいたい。
「……」
 弾幕が、その勢いを増す。
 一対一になれたなら、存分に力を発揮する事が出来るのに。あんな男、一瞬で消し去る事が出来るのに……。 
 身体に走る痛みよりも、何も出来ない無力さが、フランドールの心を蝕んでいく。


4

   
「逃げられないように」
 足が。
「抵抗出来ないように」
 腕が。
「飛び立てないように」
 羽が。
「物を見えないように」
 目が。
「そう、まるで人形のように」
 首筋に、男の手、が。

 
「ほら、これでもう動けませんね」



5

 声が、聞こえる。
「いたたー……。全く、容赦無しだな。死ぬかと思ったぜ」
「何を言うの。魔理沙の方から勝負を挑んで来たくせに」
「あー? そうだったか? まぁ良いや。行こうぜ」
「ええ、そうね。……ああ、片付けは貴方に任せたわ。いつも通り、綺麗にしておいて」
「畏まりました、お嬢様」
 そして遠ざかっていく足音が聞こえ、廊下に静けさが満ちていく。姉も魔理沙も、もうこの場には居ないのだろう。目が見えない為に良く解らないが……恐らく、パチュリーもメイド達も、もうここには居ないに違いない。それぐらい、静かだった。
 声が、聞こえる。
「ふぅ。ようやく二人きりになれましたね」
 嫌な程に楽しげな声。気持ち悪い。
 そして、高く指を鳴らす音が響く。
「ここの掃除はメイド達に任せるとして、私達は――っと、これは……」
 不意に男の声が遠ざかり、数歩移動する。そのまま居なくなるのかと思いきや、すぐに戻ってくると、
「これは……魔理沙様の物でしょうか? まぁ、後でお渡しすれば良いでしょう。記憶に差異が出ると、後々面倒ですし」
 そして突然の浮遊感。恐らく、男に抱き上げられたのだろう。
 なすがままにされながら、フランドールは考える。立ち去ってしまったみんなは、私の事を忘れてしまったんだろうか、と。
 もし忘れてしまっていたとしたら、それはとてもとても辛い事だ。とてもとても悲しい事だ。
 今までに感じた事が無い程、苦しい事だ。
 そんなフランドールの気持ちをどう思っているのか、男が軽い足取りで歩き出し、
「さて、続きはフランドール様のお部屋で行いましょうか。隔離された状態にあるお部屋なら、どれだけ騒いでも迷惑にはなりませんからね」
 その言葉を聞きながら、フランドールの胸に拡がるものがあった。それは、好奇心と共に始まり、絶望と共に終わったある夏の日の記憶。
 だからだろうか。不意に、あの歌を思い出す。
 少しだけ上手になった、沢山の想いの詰まった悲しい歌。
「――」
 歌い出す。
「……おや? まだ意識がお有りでしたか。流石は吸血鬼ですね」
 突然の事に、男が驚きの声を上げる。だから、フランドールは歌を止め、
「……私は、人形、なんでしょう……?」
 フランドールの言葉に、男は一瞬の間を空けてから、
「ハハ、そういう事ですか。ですが、フランドール様には別の歌を歌って頂こうと思いますので。今は歌わずとも宜しいですよ」
「そう……。じゃあ、最後に一つだけ、聞かせて……」
「何でしょう?」
「咲夜は、どこ……?」
 その問い掛けに、男の歩みが停止した。しかしそれも一瞬の事で、すぐに男は再び歩き出しつつ、 
「――ご自分ではなく人間の心配ですか? つくづく変わった吸血鬼ですね、貴女方ご姉妹は」
 声にあるのは、少しの驚きと呆れの色。だが、すぐに男は元の調子に戻すと、
「まぁ、最後だから教えて差し上げましょう。彼女は美鈴さんのお部屋に居りますよ。まぁ、結界で隠してありますが……私の力に影響を受けたものは、『見えない』ようにしてあるのです」
「美鈴の、部屋に……」
 苦しげに言うフランドールに、男は更に言葉を続ける。
「ええ。美鈴さんは、自分では知らずにあの人間の世話をしています。出来ればさっさと殺してしまいたいのですが……そうすると、この屋敷の空間が半減してしまうらしいではありませんか。流石にそこまで大規模な変化があると、暗示を掛け直すのが大変ですのでね。仕方なく生かしてやっているという訳です」
 まぁ、空間の事はお嬢様から聞いたのですよ、と男が楽しげに付け加える。
 そのまま押し黙ったフランドールへと言葉は続けず、男の歩みは止まらない。そして少しずつ屋敷の喧騒が遠くなり、足音が耳に響くようになって行き――
「……さて。到着しました」
 今までで一番熱の籠った声で言い、男が歩みを止める。
 だからフランドールは、何か重みを感じる自分の胸元へと視線を向けた。恐らくこれが、最後のチャンスになるだろうから。
「……」
 胸元にあったのは、魔理沙のミニ八卦炉だった。先程の戦闘の際、外に転がり出てしまったのだろう。魔理沙が拾い忘れるとは思えないが……恐らく、男の暗示がそれを阻害したのかもしれない。
 理由はともあれ、これ以上ない程に力強いアイテムがそこにある。だからフランドールはそれにそっと手を伸ばし、男へと問い掛ける。
「ねぇ、もう一つ、良いかな……」
「何でしょう?」
 興奮しているのだろう男は、フランドールの体が徐々に再生している事に気付かない。胸から下がる十字架のせいで殆ど力は出せないが、ミニ八卦炉を掴む事ぐらいは出来た。……今だけは、姉と違って十字架に弱い自分の身体が恨めしい。
 そう思いながらも、フランドールは思考する。
 恐らく男は安心している。吸血鬼という存在を封じる為に、しっかりと十字架や聖水を用意しているくらいなのだから。
 しかし、甘い。
「えっとね……」
 白木の杭を打ち込まれたり、銀の武器で傷を付けられた訳では無い以上、完全ではないが体を復活させる事は出来る。しかも今日は満月だ。回復するに足る力は十分にある。
 そういう意味では、魔理沙達と出逢ったあの日に、パチュリーの降らせた雨の方がよっぽど行動を封じられた。どんなに頑張っても、フランドール達は流水を渡れないのだから。
 ――だから、懐かしい単語を引っ張り出す。 
「コンティニューって、知ってる?」
「――はい?」
「貴方に、その権利は無いのよ」
 魔理沙に対する言い訳は後で考える事にして、フランドールは手に持ったミニ八卦炉を男の腹へと押し付けた。
 そして、状況確認。
 男を援護する弾幕は無く、人質となる相手も無く、そして暴れても問題無い場所で男と一対一。体はまだ本調子ではないが、それを覆すアイテムは手の中にある。咲夜の居場所を聞き出す事にも成功した今、後は男を倒すだけ。
 対し状況を把握出来ていないのだろう男は、フランドールへと戸惑いの表情を向け、
「一体、何を――」
 けれどその言葉を待つつもりなど無く。
 精神を集中させ、優しくミニ八卦炉に魔力を籠め、その狙いを固定し――放つは、見様見真似の模倣スペル。

「――マスタースパーク」

 轟、と。
 まるで血のように紅い閃光は、男の体を跡形も無く消し飛ばした。


6

「ん……」
 小さく声を漏らしながら、フランドールはゆっくりと目を覚ます。肉体は殆ど回復させた筈だが、少し思考が揺れる。十字架という枷があった状態で、無理に魔力を消費した反動かもしれない。
 そんな事を思いながらぼんやりと見上げる先には二つの頭があって、双方が心配そうにフランドールを見ていた。
 だから……問い掛ける。
「……私の事、解る……?」
 その言葉に、姉はフランドールの体を抱きしめながら、
「馬鹿! 当たり前でしょう!」
「全く、心配させやがって……」
 二人の言葉になんだか一気に安心して、胸を満たす想いに涙が溢れ出す。
「お姉様ぁ、まりさぁ……」
 姉に優しく抱かれながら、フランドールは声を上げて泣き出した。
 だが、まだ確かめなければいけない事と、解らない事があった。少しだけ姉の胸で泣いて、そして涙を拭ってから、フランドールは姉達に問い掛ける。
「咲夜の事も、覚えているよね……?」
「当たり前よ。……二度も忘れたなんて、紅魔館領主としてかなりの不覚だけれど……」
「でも、良くあの男を倒せたな。……その、なんだ。あの時、私達が廊下で見たフランドールは……」
 目を抉られ腕を砕かれ足を潰され羽を?がれ、体の自由を奪われた人形の姿だった。視覚を奪われていたフランドールには自分の体がどうなっていたのかを把握出来なかったが、魔理沙の表情を見るに相当エグい事になっていたに違いない。
 だけど、
「私は吸血鬼だもの。今日は満月だったし、あのくらいからならすぐに再生出来るわ」
 魔理沙を安心させるように、上体を上げながら言葉を続ける。
「それに、あの場所ですぐに再生してしまったら、またお姉様や魔理沙を巻き込んでしまいそうだった。でも、偶然にも連れて行かれた私の部屋の近くなら、誰の部屋も無いし、全力であの男を倒す事が……って」
 何気なく視線を巡らせてみると、ここは廊下でも自室でもなかった。あまり見慣れず、しかし自室の次に多く足を運んでいるこの場所は、
「ここ、お姉様のお部屋?」
 そして寝かされているのは姉のベッドだ。
 自室の前に居た筈の自分がどうしてここに居るんだろう。そう考え始めたフランドールに、すぐ隣から答えが返って来た。
「ええ、そうよ。ここは私の部屋。……あの時、私達がフランとあの男の側を離れてから暫くしたあと――」
 魔理沙がマスタースパークを放った時と同じ地響きと、巨大な破壊音が紅魔館に響き渡った。
 その瞬間、男の暗示により強制的に忘れさせられていた記憶が復活し、屋敷中が混乱に包まれた。しかしフランドールのお蔭で一度は咲夜の事を思い出し、状況を把握する事が出来ていた姉と魔理沙は、急いで破壊音の発生源へと向かった。そこで倒れていたフランドールを見付け、男が存在しない事を確認した後、
「この部屋に運んだの」
「でも、私の部屋が目の前にあったのに、どうして……?」
「フランドールの部屋の半分以上は、跡形も無く消し飛んでいたんだ。だから、寝かせようにも寝かせられなかったのさ」
「そうだったんだ……」
 説明をくれた魔理沙の言葉に納得する。どうやら、思っていた以上に威力が高くなってしまっていたらしい。だが、男を消し飛ばす事が出来たのだから問題は無――
「あ」
 ある事に気付き、フランドールは慌てて掛けられていた布団を剥いだ。そして両手を確認し洋服のポケットを確認し……
「探してるのはこれか?」
 言って、笑みと共に魔理沙がスカートの中からミニ八卦炉を取り出した。
 慌てて視線を向け、そしてそこにあるミニ八卦炉が壊れているようには見えない事に安堵しつつも、フランドールは小さく頷き、
「う、うん……。でもごめんなさい、魔理沙……。その、勝手に使っちゃって……」
「いや、別に良いさ。……まぁ、流石に少々オーバーワーク気味だけどな」
 苦笑と共に魔理沙が言う。人間の魔力と、十字架があったとはいえど吸血鬼の魔力だ。そこにある差は大きい。壊れてしまわなかっただけでも、幸運だったのだろう。
 と、そんな事を思いながらミニ八卦炉から視線を戻すと、今度は姉の質問が魔理沙に飛んだ。
「……じゃあ、やはりあれはマスタースパークだったの?」
 姉の問い掛けに、魔理沙が頷き、
「同じ媒体を使い、魔力を籠めて発動させてるんだ。厳密には違うだろうが、似たようなものだと思うぜ?」
「そう。でも、どうしてフランが魔理沙の八卦炉を使えるのよ。持ち主の癖が染み込んだマジックアイテムは、例え剣であれ杖であれ、そう簡単に他者が扱う事は出来ない筈よ?」
「いや、これに関してはちょっと理由があってな」
 思い出すのは一週間前の事。魔法の勉強をしている時に、マスタースパークの撃ち方も教わったのだ。
 始めはただの好奇心だったのだが、いつの間にやら実戦的な撃ち方講座に発展。流石に咲夜が居た手前、撃つ事は出来なかったが……その時、実際にミニ八卦炉を持ち、魔力を籠めてみたりしていた。
 そんな事があった、とフランドールが説明すると、姉は納得と共に頷き、 
「模擬練習は出来ていたという事ね」
「そういう事だ。まぁ、まさかぶっつけ本番で上手く発動するとは思ってなかったけどな」
「……どして上手くいったと解るの? 私達は、フランがマスタースパークを撃つ瞬間は見ていないのに」
 問い掛ける姉にあるのは心配の色。魔理沙の魔力でさえあの威力を出せるものを、フランドールが使った事に対する不安があるのかもしれない。
 下手をすればミニ八卦炉が暴走し、フランドールごと消し飛んでいた可能性があるのだから。
 問われた魔理沙は、ミニ八卦炉をスカートへと仕舞い直しつつ、
「あの破壊跡を見たろ? 普段結界が張ってあるらしいフランドールの部屋をあんな状態にするには、一体どれ程のエネルギーが必要か、お前なら解ってる筈だぜ」
「……確かに、それもそうね」
 小さく、姉が頷く。
 そこにある感情を読み取る事は出来ないけれど、しかし何故か、少しだけ辛そうな色があったように見えた。
 そして姉は小さく息を吐き、場の空気を入れ替えるように、
「でも、フランが無事で良かったわ」
「だな。……しかし、お前の力でこの事態を把握出来なかったのか? 確か、未来が解るんだろ?」
 魔理沙の問い掛けに、姉は小さく首を振り、
「未来視が出来る程便利な力では無いわ。ただ、物事の道筋が見えるだけ」
「同じようなもんじゃないのか?」
「全然違うわ。未来とは確定されたもので、運命とは不確定なものなのよ。だから、少しの要因で簡単に変化してしまう。予定通りの運命を歩む為には、先手打ってその運命通りの未来が訪れるように手回ししなければいけないの」
 つまり、
「この状況が解っていても、あの男の侵入を防げなかった時点で、私達の運命は『咲夜を忘れる』という方向に流れてしまっていた、という事よ」
「……でも、あの男が来る事が解ってたなら、その侵入を防げたんじゃないのか?」
「対策を取る事は出来たでしょうけど……でも、その対策すら忘れさせられた可能性が高いわね。結界の類を用意していたとしても、その外から暗示を掛けられたらお終いだし」
 その言葉に、魔理沙は眉を寄せつつ、
「……なんか、かなり不味い状況だったんじゃないか?」
「まぁ、暗示なんてふとした切っ掛けで解けてしまうものだし、そこまで心配は無かったと思うわ。現に私達は、フランの説得で一度咲夜の事を思い出していたでしょう?」
 男の暗示にどれだけの強制力があったのかは解らないが、完全に記憶から消えてしまうという事は無かった。ならば、日常のふとした切っ掛けで思い出す可能性は高い。
「それに、フランがこうやって私達を救ってくれた。これが結果、よ。……さて、次は咲夜の捜索ね」
 話題を切り替えるように告げた姉の言葉に、フランドールは男とのやり取りを思い出しつつ、
「待ってお姉様。それならもう解ってるわ」
 そう告げてから、男から聞き出した事を話していく。途中、姉はその瞳に怒りを募らせつつも、ただ無言のまま話を聞き終え、
「美鈴の……。でも、今回ばかりは彼女を責める事も出来ないわね」
 男がこの屋敷に入り込む事を美鈴が阻止出来ていれば、この一連の出来事は発生しなかった。しかし、先程姉が話した通り、この結果に至る運命を止められる者は居なかった。
 だが、実際には防ぐ手立てはあったようにフランドールは思う。例えば自分が定期的では無く、日常的に外へと出歩いているようならば、運命は変化していたのかもしれないのだ。
 そう考え始めたフランドールの視線の先に居る姉は、普段と変わらぬ様子で立ち上がり、
「兎も角、その言葉が本当なのかどうか確かめてくるわ。魔理沙、フランをお願い」
「あ、私も一緒に……」
 ベッドから降りようとしたフランドールを、笑みを持った魔理沙が止めた。
「まぁ待て。まだ本調子じゃないんだし、ゆっくりしてるのが吉、だぜ」
「でも……」
 食い下がらないフランドールに、魔理沙は小さな声で、
「レミリアも、早く咲夜に逢いたいのさ」
 その言葉が聞こえていたのかいないのか、小さな音を立てて部屋の扉が閉じられた。廊下へと出た姉がどんな表情をしているのかは解らないが、恐らくその足取りが急いでいる事は確実なのだろう。
 魔理沙に布団を掛け直してもらい、寝慣れぬ姉のベッドに横になる。豪奢な天蓋付きのベッドは、しかし良く見ればフランドールが使っているものと同じものだった。
 ゆっくりと、目を閉じる。
 傷は回復しているとはいえ、その体力までは回復出来ていない。重い全身に引き摺られるように、フランドールの意識は眠りへと堕ちていった。



7

 数日後。
 フランドールの視線の先には、彼女がお姉様と慕う姉の姿があった。姉は現在食事中であり、その物腰は優雅に華麗。今度食事作法を改めて教えてもらおうと思う程に。
 そして姉に給仕をしているのは、一人のメイド。復帰初日だというのに、その物腰は正に瀟洒。この屋敷が誇る、完全無欠のメイド長。
 と、フランドールの視線に気付いたのか、こちらに背を向けていた彼女が振り向いた。
 その表情に少しの驚きを浮かべ、そして優しく微笑むと、 
「おはようございます。フランドール様」
 再び聞く事が出来たその言葉に、胸が熱くなる。
 だから、

「おはよう、咲夜!」
 元気に言葉を返し、フランドールは部屋の中へと飛び込んでいった。




end

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