十六夜・咲夜の消失。

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0

 高く、指を鳴らす音が響いた。

1

 人間も妖怪も、様々なものを体験し感じる事で心を成長させていく。それは五百年近く吸血鬼をやっているフランドール・スカーレットにした所で同じだった。
 あの日二人の人間と出逢ってから変化した彼女の日常は、少しずつ彼女そのものの存在を変化させていく。
 だが、
「……」
 人間も妖怪も、突然目の前に普段とは見慣れぬものが出現すると、一瞬なりとも思考が停止してしまう。そこからの復帰は経験により差異が出るのだろうが……フランドールの場合、その現実を受け入れる為に暫しの時間を必要とした。
「……誰、あれ」
 約二日ぶりに部屋から出たフランドールの視線の先には、彼女がお姉様と慕う姉の姿がある。姉は現在食事中であり、その物腰は優雅に華麗。少し自分の食事作法を考え直したくなる程に。
 そしてその隣に腰掛けるのは、姉の友人であるパチュリー・ノーレッジ。久々に図書館から出てきている彼女の顔は、吸血鬼より白いんじゃないかとフランドールは思う。
 最後に、その二人に給仕をしているメイド――いや、執事の姿。そこにあるのは普段見慣れた十六夜・咲夜の姿ではなく、見た事も無い若い男に入れ替わっていた。
 考える。
 咲夜はこの紅魔館のメイド長であり、姉の最も傍に居る人間だ。その立ち振る舞いはまさに瀟洒であり、その姿を見ない日は無い。
 けれど、彼女は人間だ。人間とは妖怪と違い弱い存在であり、ふとした事で動けなくなってしまう事をフランドールは知っている。体の一部分さえ残っていれば再生する事が出来る吸血鬼とは違うのだ。
 しかし、
「……」
 フランドールの中には疑問が残る。
 咲夜は人間であり、そんな咲夜を姉は結構信用しているとフランドールは感じている。だからこそ、彼女の身に何かあれば、姉はすぐに彼女の看病を始めるだろう。
『咲夜の出す紅茶が飲みたいのよ。だから、早く仕事に復帰しなさい』
 とか何とか言いながら、ベッドに伏せる咲夜を慣れない手付きで看病するに違いない。……多分。
 流石にそこまでいかないにしても、心配を顔に出すのは確かだろう。
 そして、この紅魔館を今の状態で維持しているのは咲夜の力だ。もしそれが無くなってしまえば、パチュリーも大変な事になるに違いない。主に本が。
 だからこそ、フランドールは疑問を感じる。咲夜が居ない状況で、普段通りに食事を取る姉と魔女の姿に。
 ――と、そこまで思った所で、ふと一つの予想が頭に浮かぶ。
「……もしかしたら寝すぎたのかも」
 フランドールの感覚では二日しか経っていないが、実際にはその間に何年も眠り続けてしまったのかもしれない。もしそうだったのならば、咲夜が居なくなってしまっている事にも説明が付く。その間に、パチュリーが空間維持を行う魔法を生み出していたとしてもおかしくはないだろう。
「……」
 だが、それはとてもとても悲しい事だ。もしフランドールの予想が現実になっているのならば、『その時』に起こしてくれなかったこの屋敷の住民を呪いたくなってくる。
 フランドールにとっても、咲夜は最も傍に居る人間なのだから。
 
……

 胸に悲しみを抱きながら、姉達に背を向けてゆっくりと歩き出す。事実は定かではないけれど、今は一緒に食事を取る気にはなれなかった。
 窓の外から差し込む月明かりは冷たく、力を与えてくれる筈のそれも今は鬱陶しく思う。
 このままもう一度眠りに就こうかと考えた所で、ふと上空から声が落ちてきた。
「どうした? そんなしょげた顔して」
 声の主は星を纏いながら箒に乗り、笑みを浮かべてフランドールを見下ろしていた。
 その変わらない笑みに目を見開き、抱いた驚きを抑えずにフランドールは声を上げた。
「魔理沙?!」
「いかにもそうだが――」
 その言葉を聞き終える前に、フランドールは魔理沙へと飛びついた。
「っと、何だなんだ?!」
 そう驚きの声を上げる魔理沙の胸元に顔を埋めつつ、
「生きてた……魔理沙が生きてた……!」
「はぁ? 一体何を言ってるんだ?」
「良かった……!」
 魔理沙の問い掛けは耳に入って来ているのだが、湧き上がる喜びが大きく膨らみ止まらない。魔理沙に抱き付きつつぐるぐると空中を回り、喜びを全身で表現し始めた所で……ふと、疑問が浮かんだ。
「……でも、どうして魔理沙は生きてるの?」
「あー……それはどういう意味だ?」
「あ、ごめん。聞き方が変だったわ」
 ゆっくりと高度を下げる魔理沙に抱き付いたまま、思考を纏めてから再度問い掛ける。
「えっと、じゃあ……この前私が魔理沙と逢ったのは、いつ?」
「一週間前だ。その時に、一緒に魔法の勉強をしたばかりじゃないか」
 廊下へと降り立ち、頭に疑問符を浮かべながら魔理沙が答える。フランドールが何を言いたいのか、掴めていないのだろう。
 そんな魔理沙に悪いと思いながらも、その胸に顔を埋めつつフランドールは考える。
 咲夜が消えた理由として先程考えた『長い時間の経過』は、魔理沙の登場で間違いだった事が解った。だが、これで更に解らなくなる。
 フランドールが咲夜と最後に逢ったのは三日前の朝。寝る前に挨拶をした時だ。それからの二日間は一日中部屋に居て、食事は別のメイドが持ってきた。そして今日になって部屋から出てみれば、咲夜の姿が無い。となると、この三日間の内に咲夜がどこかに消えてしまった事になる。
 では、咲夜がどこかに消えてしまう理由とは何だろう。
「……んー」
 また何か、外で異変でも起こったのだろうか?
 もしそうだとすると、真っ先に動き出すだろう魔理沙がここに居るのは変だ。いや、もしかしたらもう異変を解決した後で、すぐに咲夜は戻ってくるのかもしれない。
 恐らくそうだろうそうに違いない。っていうかそうであって欲しい。
 ……でも、それなら、
「……あれは、誰」
 この屋敷には沢山のメイドが勤めているが、あんな男を見た事は無い。とはいえどフランドールが紅魔館の中を歩き回るようになってからまだ日が浅い為、メイド達全員を把握している訳でもない。なので、確実にそうだとは言えないのだが……だとしても、咲夜が居ない時に姉の側近の役目を果たすのは副メイド長の筈だ。にも拘らずあの男が給仕を行っていた理由は何なのだろうか?
 ――と、そんな風に考えていると、
「何か言ったか?」
「ううん、独り言」
 すぐ上からの問い掛けにフランドールは声を返し、ある事に気付いた。
 魔理沙に聞けば良いのである。パズルのピースが足りない時は、それを持っているだろう人から貰うのが一番だ。
「ねぇ魔理沙。咲夜がどこに行ったのかしらない?」
「咲夜?」
 続く言葉を待ちつつ、これで咲夜の紅茶が飲める、とフランドールは肩の力を抜いた。もし旅行中だとしたらそれは叶わないが、もう二度と飲めなくなった訳ではないのだ。ゆっくりと帰りを待って――
「誰だ、それは?」
 一緒にクッキーでもって待て待て待て、
「だ、誰だって……咲夜よ咲夜。メイドの咲夜」
 驚きと困惑を持ちながら答えたフランドールに、しかし返って来た言葉は真顔で、
「私はそんなヤツは知らんぞ? メイドに知り合いは居ないし」
「……。……嘘、でしょ?」
 これは一体どういう事なのだろうか。この屋敷の住民の次に咲夜の事を知っているだろう魔理沙が、咲夜の事を知らない?
「……ドッキリ?」
「違う」
「……今日って四月一日だっけ?」
「今は一月だな」
「……トリック・オア・トリート?」
「それは菓子か悪戯かの選択を迫る呪文だ。この飴ちゃんをやろう」
 貰った飴を口に放り込み、わーオレンジー、とか思いながら一度心を落ち着かせ、
「……じゃあ、何で魔理沙が咲夜の事を知らないの?」
「私にそれを聞かれてもなぁ……」
 見上げた先に居る少女は、本当に困った顔をしている。そこに嘘があるようには見えなかった。
 だからその体に回した腕に少し力を籠めて、魔理沙が消えてしまわないように抱きしめる。
 だってそう、これはもう咲夜が消えてしまったとしか思えない。そうでなければ、この状況をどう説明すれば良いのだろう。
「夢でも見てたんじゃないか? それで、まだ少し寝ぼけてるとか」
 ――途端、魔理沙の言葉に恐怖を感じた。
 もし本当にそうだったとしたら。十六夜・咲夜という存在が、フランドールの想像の中のものだったとしたら。それが事実だったならば、今までの思い出が全て夢へと変化してしまうのだろうか?
 一度生まれた不安は思考を加速させ、『咲夜』という人間を好きだった自分すら存在しないような錯覚に陥る。
 アレもコレもソレも。決して多いとは言えないけれどゼロではなかった咲夜との時間が全て嘘? 全部夢?
 そんな事、 
「ある筈無い!」
 叫び、フランドールは魔理沙を突き飛ばし一気に距離を取った。
 咲夜が居ないなんて、そんな筈はない。この胸の中にある思い出は、全部事実なのだ。
 飴を噛み砕き、問い掛ける。
「――貴女、本当に魔理沙?」
「いたたー……。って、おいおい、いきなり突き飛ばしたと思ったらソレか? 流石に冗談キツいぜ」
 尻餅を付いていた魔理沙は、そう答えながら立ち上がる。右手に箒を持ち、左手で帽子を押さえ、つばで隠れた顔からは表情が窺えない。
 この魔理沙こそ、偽者なのではないだろうか?
 そうなれば、咲夜を知らないという言葉にも納得がいく。先の言葉も、フランドールを不安にさせるものだったに違いない。
 相対する白黒の魔法使いから間合いを取りつつ、後ろ手にレーヴァテインを召喚しようと力を籠め――ふと、何度目かの疑問が浮かぶ。
 あの男は誰なのか。
「……」
 この魔理沙が偽者だったとしても、まだその答えが出ない。
 動き出そうとしていた体を止め、この偽者にそれを聞こうかと考えた所で、逆に問い掛けが来た。
「お前こそ、本当にフランドール・スカーレットなのか? さっきから変な事ばっかり聞いてくるし、実はお前の方が偽者なんじゃないか?」
「ち、違うわ! 私は本物の――」
 ……フランドール・スカーレット、なんだろうか? もしかしたら、自分は『自分が本物だ』と思っている偽者なんじゃないのだろうか?
 不意に提示されたそれに、フランドールの思考は混乱の渦へと落ちた。
 もし咲夜が存在しないとするならば、自分が偽者である可能性もあるだろう。この胸の中にある思い出は、全て偽り。ただ、事実だと思っているだけ。だから『そんな事無い!』と声を大に叫んでも、所詮はその言葉すら偽りなのだ。 
 だが、偽者が偽者だという事を自覚していないのは妙な状況でもある。しかし、不安の増加は止まらない。
 そんなフランドールに、魔理沙は言葉を続ける。
「もしお前が本物なら、何か証拠を見せてくれないか?」
「しょ、証拠?」
 自分が自分であると証明する証拠。スペルカードを披露すればそれが証拠になるだろうか?
 と、そう考えた所で、フランドールの脳裏にある事が閃いた。不安を押し殺し、出来るだけ気丈に振舞いつつ、
「い、一週間前、魔理沙と一緒に魔法の勉強をしたわ」
「確かにしたな」
「その時の事を説明する。それなら、証拠になるでしょう?」
 言って、一週間前の出来事を語りだす。図書館に忍び込んでいた魔理沙に、フランドールが戯れかかった事から始まった小さな勉強会の事を。
 それを語りつつ、ある事を思い出した。
 咲夜を知らないという魔理沙なら、これは答えられない筈。そう思いながら、フランドールは言葉を続ける。
「それで……あの時は私と魔理沙と、そして咲夜の三人で一緒に勉強をしたわ」
「三人? あの時は私とお前の二人だけじゃなかったか?」
「そ、そんな事無い。それは絶対に無いわ」
 フランドールが本物であるならば……咲夜が本当に存在しているのであれば、そんな事は絶対にあり得ないのだ。
 何故なら、
「あの時、私が暴れても大丈夫なように、咲夜が部屋の空間を拡げてくれたんだもの」
「空間を、拡げた?」
「そうよ」
 それに、
「お昼に一緒にサンドウィッチを食べたわよね。あれは咲夜が作って来てくれたもの」
「……」
「その後みんなで飲んだお茶。あれも咲夜が淹れてくれたものだった」
「……」
 フランドールの言葉に押し黙り、相対する魔理沙が顔を上げ……そこにあるのは困惑の色。だから、あの日の最後にあった出来事を告げる。
「勉強会が終わって、私が最後に魔法を使った時……勢いあまって壁を壊して、魔理沙に怪我をさせちゃったよね」
 薄っすらと傷の残るそこへ視線を向けつつ、
「あの怪我……右足の切り傷に包帯を巻いてくれたのは――」
「――思い、出した」
「咲夜で……って、え?」
 返って来た魔理沙の言葉に、フランドールは驚きの声を上げた。だが対する魔理沙はそれ以上に驚いた表情で、
「そうだ、確かにそうだ。あの日は咲夜が一緒だったんだ。サンドウィッチも食べたし茶も飲んだ。怪我の治療もしてもらった――って、待て待て待て、どうして私はそれを忘れてたんだ?」
「忘れてたって……思い出したの?!」
 問い掛けるフランドールに、魔理沙は少し混乱の雑じった表情で、
「ああ、思い出した。思い出したんだが……忘れてた理由が解らん。今日の朝までは確実に覚えていた筈なんだが……」
 包帯を取り替えたからな、と呟き、そして眉を寄せて魔理沙が考え込む。しかしフランドールは首を振り、
「そんなのどうでも良いわ! 良かった、魔理沙は偽者じゃなかったんだ……!」
「私もそう疑って悪かった……。でも、これはどうでも良いで済ませられる話じゃない」
 言って、魔理沙は箒を肩に担いつつ、
「フランドールから話を聞くまで、私は全く咲夜の事を思い出せなかったんだ。これは結構異常な事だぜ」
「でも、どうして咲夜の事を忘れちゃったんだろう……」
「それがさっぱりだ。誰かの魔法や結界があったってのなら、私にも気付けるんだが……」
「無かったの?」
 その問い掛けに、魔理沙は玄関方面へと視線を向け、
「今日は玄関を通って来たんだが、怪しい感じのするものは全く無かった。当然、道中で何かされた訳でもない。……そういや、美鈴も咲夜の事は口に出してなかったような気がするな」
「美鈴も?」
「美鈴も。まぁ、ただ話題に出なかっただけでもあるんだが……私が陥った状況を考えると、アイツも咲夜の事を忘れている可能性があるかもな」
「そんな……」
 門番である紅・美鈴に咲夜の記憶が無かった場合、咲夜の記憶を無くさせた誰かが、或いは何かがこの屋敷の中に侵入している可能性が高いという事になる。
 何故ならば、彼女という壁を越えなければ紅魔館に入る事すら出来ないのだから。……魔理沙は別かも知れないけれど。
 ――と、不意に先程見かけた男の姿がフランドールの脳裏に浮かんだ。
「……どうなんだろう」
「ん? 何がだ?」
 聞き返してくる魔理沙へと再び近付き、胸にある不安を紛らわせるように抱き付きながら、
「えっとね、私が魔理沙に逢う前に、本当なら朝食を食べる筈だったの。でも、そこで変な男の人を見て……」
「変な男?」
「うん……。まるで咲夜の居る位置に収まっているような感じで、お姉様とパチュリーにご飯を出していたの。お姉様達も、それが普通なように食事をしてた……」
 実際の所、フランドールが姉の食事風景に居合わせた回数はかなり少ない。しかし、そんなフランドールだからこそ、感じてしまった違和感を拭う事が出来なかった。
 何か違うのだ。言葉では表現出来ない、何かが。
 そんな不安を魔理沙に告げると、
「あれだ。イカリングとオニオンリングの見分けは付かないけど、何か違うような気がする感じだな」
 多分、そんな感じ。齧ってみないと、烏賊なのか玉葱なのかは解らない。でも、魚介類と野菜じゃ何もかもが違うのだ。
 一緒なのは、ただ衣だけ。
 だったら、と魔理沙はいつものように微笑んで、
「二人で一緒に、齧りに行くか」

2

 屋敷の奥にある大きめの部屋。そこが館主でありフランドールの姉であるレミリア・スカーレットの自室である。
 頻度良くやって来ているものの、足を運びなれている訳ではないその部屋の前までやって来たフランドールは、廊下と部屋を隔てる扉に手を掛けた所でその動きを止めた。というよりも、無意識に体が止まってしまっていた。
 どうして、と思いながらフランドールが視線を落とすと、ドアノブに掛けた手が少し震えている事に気付いた。
「……お姉様」
 胸にあるのは不安。そして恐怖。
 この部屋の中にいる姉は、本当にレミリア・スカーレットなのだろうか。もしかしたら、外見だけ似せた偽者なのではないのだろうか。
 偽者。
「……」
 屋敷の住民全員に確かめた訳ではないが、この場所にやって来るまでに顔を合わせたメイド達は、その全てが咲夜の事を知らなかった。恐らく美鈴もパチュリーも、咲夜の事を知らないと答えるのだろう。
 結果、今現在この紅魔館は、十六夜・咲夜という人間は存在しない、という状態にある。
 もしこれで姉も咲夜の事を知らなかったとなれば、咲夜という人間の記憶を持つフランドールや魔理沙が異常な状態だと見なされる事になるだろう。
 つまり、偽者だと。
「……ねぇ魔理沙」
「ん?」
「……私は本物のフランドールで、貴女は本物の魔理沙よね?」
 不安が思わず口を付く。『十六夜・咲夜』という存在を証明出来ない以上、それが偽りである事も否定出来ないのだ。
 だが、すぐ隣に立つ魔法使いは普段と変わらぬ笑みを浮かべ、
「偽者でも良いだろ」
「え?」
「本物か偽者かなんて、他者の定義で簡単に変化するんだ。さっきフランドールが私を偽者だと思い、私がフランドールを偽者だと思ったように。でも、今の私は本物だろ?」
「う、うん……」
「なら、私はフランドールの中で『偽者だった時があった本物』な訳だ。もし次に偽者だと思われたら、『本物だった時もあった偽者』になる」
 言いながら、魔理沙はフランドールの手に己の手を添えて、
「けど、私が『霧雨・魔理沙』である事実には変化は無い。偽者だろうと本物だろうと、私は私なのさ」
「私は、私……」
 確かにそうだ。例えフランドールが『フランドール・スカーレット』の偽者だとしても、フランドールである事には変わりないのだ。
 だからそう。もし目の前に本物が現れたとしても、彼女もまた『フランドール・スカーレット』であるだけの事。どちらも偽者であり、本物なのだ。
「解った。……そうだよね。お姉様は、お姉様だもんね」
「そういう事だ。じゃ、ご対面と行こうぜ」
 言って、魔理沙の手に力が籠る。フランドールはそれに続くようにドアノブへと力を籠め、軽すぎず重過ぎないその扉を押し開いた。
「お姉様!」「ようレミリア。齧りに来たぜ」
 部屋に入り込むと同時に声を放ったフランドールと魔理沙に返って来たのは、ベッドに腰掛けて本を開く姉の鋭い視線。そして溜め息。
「……フラン、それに魔理沙。ひとの部屋に入る時はノックぐらいしなさい……。まぁ、ドアの外で何か騒いでいたから、誰か居るのだとは……」   
「それどころじゃないの!」
「烏賊か玉葱か、それが重要なんだ」 
「……取り敢えず魔理沙。貴女は黙ってなさい」
 言って、姉は本に栞を挟みながら、
「何がどうそれどころじゃないのかは解らないけれど、それは私の休息より重要な事なのかしら?」
「うん!」
「……まぁ、話だけなら聞いてあげる。一体何なの?」
 手に持った本をベッド脇の本棚に戻し、空いた手で腰掛けたベッドを軽く叩きながら姉が言う。フランドールはそれに従うように姉の隣へと腰掛け、
「あのね、お姉様に聞きたい事があるの」
 その赤い瞳を見つめ、問い掛ける。
「咲夜は、何処?」
 言葉を放った瞬間、姉の瞳の中で一瞬だけ揺らぎがあったような気がした。けれど、瞬きのあとに返って来た答えは、
「咲夜? 一体誰の事?」
 瞬間、魔理沙の時以上の衝撃がフランドールの心を襲った。
 その答えが返って来る事は予想の一つとして考えていた筈なのに、実際にそれを口に出されただけで、もうどうして良いか全く解らなくなってしまった。
 だって、
「咲夜だよ? どうして……どうしてお姉様が咲夜の事を覚えていないの?!」
 姉の服に縋りつき、見上げながら声を放つ。しかし、帰ってくるのは懐疑的な眼差し。
 姉からは向けられたくはない、とてもとても辛すぎる視線。
 いっそその顔を吹き飛ばしてしまえば――そう考え出してしまったフランドールの背後から、それを止めるかのように魔理沙の声が響く。
「ここのメイド長の事だ。覚えてないのか?」
 その言葉に、姉は魔理沙へと視線を上げ、
「知らないわ。私は人間をメイド長にした記憶なんてないもの」
「お、お姉様……」
「まさか、レミリアまで忘れているとはな……」
 これが魔理沙の時と同じ状況なのか、或いは本当に『十六夜・咲夜』という人間が存在しないのか、フランドールにはその判断を付ける事が出来ない。
 何か、何か確認する方法はないのだろうか?
 不安渦巻く心を何とか落ち着けながら、フランドールは考える。
 咲夜という人間がこの紅魔館で働き、メイド長として姉に仕えていた証拠……って、人間?
 人間。
「……ねぇお姉様」
 無意識に下げていた視線を上げて、その紅い瞳ともう一度視線を絡ませながら問い掛ける。
「どうして、咲夜が人間だって知っているの?」
 紅い瞳が揺らぐ。しかし瞬きと共に、
「……そう言ったじゃない」
「言って無いわ。私も魔理沙も、咲夜の名前と、メイド長って事しか言ってない」
 紅い瞳が揺らぐ。しかし瞬きと共に、
「なんとなく、よ」
「じゃあ……」
 身を乗り出し、まるで口付けるような距離で問い掛ける。
「この屋敷がこんなにも広いのはどうして? ここに住み始めた頃は、こんなにも広くなかったでしょう?」
 紅い瞳が揺らぐ。
 畳み掛けるように、魔理沙の問い掛けが続いた。
「私からも幾つか聞くぜ。お前がこの幻想郷を紅霧で包んだ時、屋敷の掃除をしていたのは誰だ?」
 紅い瞳が揺らぐ。
「あの冬の日、私や霊夢と一緒に幽々子の所へ乗り込んだのは誰だ? 輝夜が満月を隠した夜、あの永夜を作り出したのは誰だ?」
 紅い瞳が揺らぐ。
 だからフランドールは、もう一度姉に問い掛ける。
「お姉様。咲夜は、何処」
 紅い瞳が揺らぐ。
 ゆっくりと瞼が閉じられ、そして開かれる。
 そこにあるのは、深い深い、紅。
「……フラン、魔理沙。話はもうお終い?」
 言って、姉が立ち上がる。その物腰は優雅に華麗。何も変わらない、普段通りの姉の姿。
 レミリア・スカーレットの姿。
 だから、あまりにも変わらないその姿に、フランドールの口から出たのはとてもとても情けない声だった。
「え……?」
「駄目、か……」
 残念そうに、そして悔しそうに魔理沙が呟く。
 それを意に介さないかのように姉はスカートの乱れを直し、帽子を被り、そして部屋の出口へと向かいながら口を開く。
「何をやっているの」
 振り向き、その紅い瞳に激しい怒りを湛え、
「咲夜を探すのを手伝いなさい。ついでに、こんな巫山戯た事をした犯人を殺しに行くわ」






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