Requiem.

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6
   
 こうして、僕達の日常は完全に崩壊した。
   
 その後……博麗の巫女の誘いを振り切り、僕は霧雨の家へと弟子入りする事になる。その切っ掛けが何だったのか、あの頃はかなり情緒不安定になっていたから、今では良く思い出せない。
 だがその際、僕は過去に使っていた名前を捨てていた。彼女から呼ばれる事の無くなった名前に、もう意味は無いと思ったからだ。
 だから――彼女と永遠に別れた時に降っていた雨、霧雨と、彼女と僕が住んでいた場所、魔法の森から文字を取り『霖』。そして元の名前から『助』の文字を残し、言葉の調子を整える言葉である『之』を付け――僕は『霖之助』を名乗る事にした。
 そして、僕は修行を始める事となる。
 丁度その頃だっただろうか。彼女から受けた延命魔術の影響か、僕は年齢を重ねる速度が極端に遅くなっている事に気が付いた。
 だが、その頃の僕にはそれは苦痛でしかなかった。
 いくら生き続けても、この体が死を迎えるまで何年掛かるのか解らない。しかし、彼女に救ってもらったこの命を捨てる事なんて絶対に出来ない。
 相反する想いに苛まれながら、僕はただひたすらに霧雨家での修行に時間を費やしていった。
   
 ……彼女の死から目を逸らすかのように。
   
7
   
 目を覚ました時、そこは暗闇だった。
 どうして自分がこんな所に居るのか解らず、彼女は思考した。だが、思考しようにも過去の記憶が無い事に気付いた。
まるで生まれたばかりの赤ん坊のように、彼女には何も無かった。
 けれど……けれど、心の奥深くに何か忘れてはいけないものが残っているのは解った。
 それはとてもとても……良く解らないが、『忘れてはいけない大切なもの』
 彼女はその『忘れてはいけない大切なもの』の感覚を頼りに、その暗闇から外に出る事にした。
     
 だが、その暗闇の中からすぐに出る事は出来なかった。暗闇は深く長く、そして様々な妖怪や幽霊が現れたからだ。
 彼女は己へと向かってくる者達に対し、無意識に弾幕を放ちながら進んでいく。しかしそうして行く内に、心の中にある疑問が浮かんだ。
「『忘れてはいけない大切なもの』を頼りに進んでいるのに、どうして私は攻撃されなければならないのだろう」
 一度生まれた疑問はどんどんと膨らみ続け……幻夢界と呼ばれるその暗闇を完全に抜け切った時には、彼女の『忘れてはいけない大切なもの』に対する感情は恨みへと変化してしまっていた。
 自分がこんな暗闇に包まれた場所に居たのは、この恨みの主のせいに違い無い。そう強く思い込んだ彼女は、その感覚を頼りにある場所へと向けて移動した。
 思ったよりも近い場所にあったそこは、なにやら懐かしい雰囲気と息苦しい雰囲気が同居する場所だった。何故懐かしいと思うのか首を傾げながらも、彼女は長い石畳を進んでいった。
 暫く進んでいくと、視線の先にまだ少女に見える若い女が立っていた。その女を見た瞬間、心の奥にあるものが震えた気がして、彼女は目の前の女が恨みの原因なのだと知った。
 そして彼女は、竹箒を持ちながら石畳を掃除する女へと向かい、心の中にある単語を問い掛ける。
「ここは、博麗神社で合ってるかしら?」
 声に、女が彼女へと向かい視線を向けた。瞬間、女は酷く驚いたように見えたが……すぐに表情を改めると、女は彼女の言葉に頷いた。
「……ええ、そうよ」
「という事は、貴女が博麗の巫女ね」
「ええ」
 静かに頷いた女――巫女へと対し、彼女は鋭い視線を向け、
「……私をこんな目に合わせた恨み、晴らさせてもらうよ!」
 言葉と同時、彼女は間合いを取る為に数歩後退。まるで何かを呼び寄せるかのように右手に力を籠めると、そこには身の丈ほどある一本の杖が現れていた。
 その杖を握った瞬間、どうしてかその杖が箒に思え……小さく首を振ると、彼女は巫女へと向けて杖を構え、
「――」
 まるでそれが当たり前だったかのように、星を生み出す魔法を唱え上げ、
 まるでそれが当たり前だったかのように、四色の宝玉を魔力で構成し、
 まるでそれが当たり前だったかのように、巫女へと向けて加速する。
 そして、彼女は無意識に叫んでいた。
   
「今日こそは、負けない!!」
   
……
   
 こうして、博麗の巫女との戦いを始める事になった彼女は、一度も巫女に勝つ事が出来ないままに日々を過ごしていく事になった。
 毎日毎日、こちらを退治し切らない程度に痛めつけてくる巫女に怒りは募り、しかし彼女はそんな毎日を過ごす事が楽しみになっていた。
 芽生えていた恨みは少しずつ薄れ、ただ巫女と戦う事が日々の目的になっていった。
    
 ある日の事だ。
 巫女のスペルによって撃ち落された彼女は、苦悶の声を上げながら起き上がろうとしていた。だがそんな時、巫女が不意に聞いてきた。
「……今更だけど、貴女、名前は?」
「さぁね、何も解らない。でも、私の心の中には『博麗』という単語があった。だからここに来たんだ」
「そう……。でも、名前が無いのは不便よね」
「まぁ、確かにそうね。でも、貴女には関係ないわ」
 そう吐き捨てると、彼女は己が元居た暗闇――幻夢界へと向かい戻っていった。
 始めの内はこちらに攻撃して来た妖怪達も、彼女の力が強いと知った頃からは手出しをしなくなってきていたのだ。
 暗闇に包まれた寝床で、彼女は自分の名前について想いながら眠りに付いた。
     
 次の日。
「魅魔」
「は?」
 突然告げられた言葉に、彼女は素っ頓狂な声を上げた。しかし、そんな彼女に巫女は儚げに微笑むと、
「名前よ、名前。やっぱり名前が無いのは不便だと思ったから、昨日の晩に考えておいたわ」
「そ、そんなもの……」
「別に良いじゃない。私が呼びやすいから呼ぶだけだもの」
 そして、巫女はいつものようにお払い棒を構え、
「さ、魅魔。今日も戦うんでしょう?」
   
 ……そうして、彼女は巫女から魅魔という名前を貰い、その日からその名前を名乗る事となった。
     
……
     
 魅魔と巫女との関係は長い長い間続いた。それは巫女が子を成し、その子を育て、閻魔の元へ向かう事になったその日まで。
 年齢を重ねても尚その霊力を衰えさせる事が無い巫女に、結局魅魔は一度も勝つ事が出来なかった。
 だから……巫女との最後の勝負の日、魅沙は思わず問い掛けていた。
「……ねぇ、貴女の力はどうしてそんなに強いの? いくら巫女だとはいえ、強力過ぎる」
 魅魔の問い掛けに、巫女は柔らかく微笑んで、
「あら、言ってなかった? 私の使う陰陽玉にはね、博麗の血を持つ者の力を吸収する力があるの」
 そして、
「十分に吸収された力は、正負双方の力を放出する。小さな頃、私はその力をこの体に受け継いだのよ」
 巫女の言葉に、魅魔は目を見開いた。
「もう何十年も前に受けた力が、今も尚続いてるって?」
「そうよ。そりゃ努力もしたけど……その殆どはこの陰陽玉の力ね。博麗の巫女は、代々そうやって幻想郷を護る為の力を得ていくの」
 さらりと、とても重要な事を言われた気がして、魅魔は思わず声を上げていた。
「ちょ、ちょっと、一応敵対してる私に、そんな事を教えてしまって良いと思ってるの?」
「別に構わないわ。だってもう私は貴女と戦えないもの。だから……」
 優しい母親の顔で、巫女は言う。
「もしこの陰陽玉の力が欲しくなったのなら、私の娘が大きくなってから、ね。私に似て修行嫌いだから、少し懲らしめてあげて」
 まるで自分が巫女の娘を殺す事が無いと信じきっているかのようなその言葉に、魅魔は思わず言葉を返す事が出来なかった。
    
 数日後。
 博麗の巫女は死に、その後魅魔は幻夢界へと姿を消す事になる。戦うべき相手だった巫女が居なくなった事で、魅魔が現世に留まる理由が無くなってしまったからだ。
 だが、訪れた独りの生活も長くは続かなかった。
 何故なら――
   
8
    
 霧雨・魔理沙が家を出た。
 その事を僕が聞いたのは、香霖堂での生活をもう何年も続けていた頃の話だった。
 香霖堂というのは、僕が霧雨の家を出てから始めた商店の事だ。
 やはり彼女の事を忘れる事など出来なかった僕は、彼女と過ごした森の近く……元々自宅のあった場所に新たに住居を作り、『森近』という苗字を名乗る事にした。そして神(こう)、つまり彼女の実家でもある神社を意味する『香』という名を選び、店の名前を『香霖堂』とした。
 更にこの場所は人間と妖怪の双方に商売が出来る場所でもあった。過去に襲われた事を踏まえ、防護用のマジックアイテムは常に発動出来るようにしてある。
 そんな香霖堂での生活が続いたある日、霧雨の家の者がやって来たのだ。
「魔理沙が家を出た。見かけたら知らせてくれ」
 それはもう、身内を心配する者の対応ではなく、ただ事務的に伝えに来た、といった感じだった。
 その事に不快感を感じながら、僕は家の奥で隠れるように食事を取っていた魔理沙に問い掛けた。
「……今日は妙に荷物が多いと思ったら、そういう事だったのか」
「良いじゃない、別に。これを食べ終わったらすぐに出て行くわ」
 拗ねたように言う魔理沙に、僕は小さく息を吐きながら、
「まぁ、別に追い出すつもりも無いよ。でも、どうして家を出たんだ? そりゃあ、あの家の事を快く思っていない事ぐらいは知っているけど」
 僕の言葉に箸を止めると、魔理沙はこちらに視線を向け、
「……ある人に弟子入りしたの。その人のところで頑張っていく為に、家を出たのよ」
「弟子入り?」
 思わず問い返した僕に、魔理沙は微笑んで、
「そう。魅魔様っていう、博麗神社に恨みを持つお方にね」
 何気なく告げられたその言葉。だが、それは僕に強い衝撃を与えた。
 ただの偶然かもしれない。けれど、何か彼女との関係があるような気が、その時確かにしたのだった。
   
 そして数ヵ月後。
 博麗神社に現れたという大量の妖怪と幽霊を巫女が打ち倒し、ついでに魔理沙も倒された事を聞いた後、僕は数十年ぶりに博麗神社へと足を運んでいた。
 久しぶりに訪れた神社は何一つ変わりなく、ただ少しだけ色褪せたように見える。
 最近店に顔を見せるようになった巫女は出掛けているのか、境内に音は無い。だが、不意に懐かしい気配を伴った風が吹き――
「き、君は……」
 目の前に現れた相手に、僕は衝撃を受けた。
 妖怪に殺され、最後の言葉を交わす事すら出来なかった彼女が、あの頃と変わらない姿でそこに立っていたのだから。
 だが、印象的なサファイアブルーのスカートから覗くのは、足ではなく幽体。その事実に息を飲んだ僕に対し、
「ん? 見かけない顔だけど、貴方は誰だい?」
 まるで初対面の相手に対するかのように、彼女は本当に何気なくそう聞いてきた。
 その瞬間、『死んだ人間は過去の記憶を失う』という当たり前の事を思い出し、僕はどうしようもなく心が締め付けられるのを感じた。そして、そのまま壊れてしまいそうになる心を無理矢理押さえ込むと、僕は何とか笑みを作り、
「僕は……僕は、森近・霖之助。貴女の弟子である、魔理沙の知り合いです」
 言って、僕は咄嗟に眼鏡を外し、目元を強く押さえた。
『彼女はもう居ない』
 その事実がどうしようもなく辛過ぎて、僕は溢れ出して来る涙を止める事が出来なかった。
   
……
   
 その後、僕は魔理沙の為にあるマジックアイテムを作る事にした。
 それは、あの夏の日の使用で壊れてしまった八卦炉を元に、再び一から創り上げた小型の物。魅沙――魅魔の弟子となり、彼女の力を受け継いでいくだろう魔理沙へと贈る、今はもう居ない幸助からの贈り物だ。
 完成したミニ八卦炉は、その後の魔理沙に取って必要不可欠な道具になっていくのだが……それはまた別の話だ。
    
 そして、時は幻想郷が紅い霧に包まれる少し前まで進んでいく。
    
9
     
 その日、久々に神社にやって来た男に、魅魔は微笑みと共に声を掛けた。
「久々だね、霖之助」
「ええ」
 言葉を返してくれる男――森近・霖之助は悲しげに微笑んで、手に持った荷物を抱え直し社へと入っていった。恐らく、この前霊夢が破けたと騒いでいてた巫女服を新調してきてくれたのだろう。
 その予想は正しかったのか、霖之助はすぐに社から出てくると、魅沙の隣までやって来た。そして、何か言いたそうに口を開いた後、
「……魔理沙の様子はどうです?」
「あの子は、私の言う事を良く理解してくれる良い子だよ。元々努力家みたいだし、覚えも良い。もう私が教える事も無いでしょうね」
「そうですか。それなら良かった」
 そう言って霖之助は微笑み、そして会話が終わってしまう。
 そのまま、静かな風の音だけを聞きながら――しかし魅魔は霖之助にだけは告げなければいけない言葉を口にした。
「……実はね、もう私は長くないんだ。元々神社に悪霊が長く居られる訳が無くて……そのツケが今になってやってきたみたいなの」
「……そう、ですか」
 苦しそうに頷く霖之助に、しかし魅魔は言葉を続けていく。
「そのお陰なのかどうかは解らないけど、どうして私がこの博麗神社にやって来たのか、その理由をやっと思い出す事が出来た」
 その瞬間、何かに期待するかのように霖之助がその表情を変えた。
 そして魅魔は――かつて魅沙という名前だった幽霊は、目尻に涙を浮かべながら微笑んで、
「逢いたかったよ、幸助」
 そう、愛しい人の名を読んだ。
  
  
10
   
 それから、また少し時は流れる。
   
 その日僕は、香霖堂へティーカップを買いに来た十六夜・咲夜とレミリア・スカーレットの相手をしていた。
 その最中、
「あら、神様の居ない神社にご利益はあるのかしら?」
「神様不在っていうな!」
 からかう様な咲夜の声に、霊夢が力強く否定する。
      
 そう。今はもう、博麗神社に神は居ない。
 彼女はもう、居ないのだ。
 あの日――僕の事を思い出してくれた彼女と会話をしたあの日から数日後、最後に、またね、と一言告げて、彼女は三途の向こうへと向けて旅立った。
 自然消滅を待つ前に、自分から閻魔の元に向かったのだ。そうすれば裁きを受ける事が出来、転生の輪に加わる事が出来る。
 彼女の願いは一つ。
『他の人間より何倍も長く生きる幸助と、またどこかで縁が繋がるように』
 ただ、それだけを願っていた。
    
11
    
 その日、霖之助が本を読んでいると、一週間ぶりに魔理沙がやって来た。見れば、今日の彼女はなにやら上機嫌そうである。
 霖之助は本を畳みながら、こちらへとやって来る魔理沙へと問い掛けた。
「どうしたんだ? 何か上機嫌そうに見えるが」 
「ああ。この一週間、ちょっとある魔法の研究をしていたんだ。それが上手く行ってな」
 言って、魔理沙はいつものように売り物の上に腰掛けた。その様子に溜め息を付きながら、霖之助は本を棚へと仕舞った。そのまま、自分の分と魔理沙の分のお茶を用意する為に椅子から立ち上がりながら、
「因みに、どんな魔法の研究をしていたんだい?」
「ちょっと普通じゃないぜ?」
 まるで霖之助の言葉を待っていたかのように立ち上がると、魔理沙はほんの少しスカートをたくし上げた。そして、
「オーレリーズサン」
 瞬間、まるで過去の焼き増しを見せられているかのように、魔理沙のスカートの中から四つの宝玉が現れた。それは過去に見た物とは色が少し違うものの、その大きさや形は全く同じもので……霖之助は動き出そうとした体を止めて息を飲んだ。
 それは、もう見る事が出来ないと思っていた魅沙の魔法。
 霖之助は声が震えるのを感じながら、 
「魔理沙、それは……」
「昔、魅魔様から教えてもらったんだ。一時期使ってなかったんだが、最近になってまた使い始めようと思ってさ。アクセスするにも、昔以上に集中しなくて大丈夫になってきたし」
「アクセス?」
 思わず問い返した霖之助に、魔理沙は少し考えてから、
「この宝玉達は、魔法で擬似的に創られた空間に保管されてて……その空間に呼びかける事を、『アクセス』って呼んでるんだ。で、もしこの宝玉が壊れたりしたら、またその空間で構成し直すっていう仕組みになってる」
 魔理沙の言葉に、霖之助は思わず椅子に座り直しながら、
「そう、だったのか」
 呟きと共に、思い出す。
 遠い昔。あの時ははぐらかされてしまったが、今やっとその展開方法を知る事が出来た。
 だが、魔理沙は突然『しまった』という顔をすると、少々慌てながら、
「って、そうだった、これは秘密なんだった」
「秘密?」
「そう」
 それはね――
「乙女の秘密」
 そう言って、魔理沙が微笑む。
   
 その微笑みは、どこか彼女のものと似ていた。
   
  
  
  
  
  
  
  
  
  
end




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