Requiem.

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0
  
 これは、遠い日のお話だ。
 今はもう取り戻す事が出来ない、僕と彼女の記憶。
 終わってしまった、物語。
   
1
   
 人間が殆ど訪れる事が無い魔法の森と呼ばれる場所の近くに、古めかしい一軒の家があった。元々は倉庫だったのか、或いは物置だったのか、然程広くない家の中に
は所狭しと様々な物が積み上げられていた。
 そんなガラクタにしか見えない山の中で、分厚い本を読む一人の少年が居た。
 しかし、本に落ちた眼鏡越しの瞳は文字を読み進めている訳ではなく、何かを物思うように、ただ一点を見つめたまま動かない。まるで止まってしまったかような時間の
中、ただ彼は本に視線を落とし続けていた。
 そんな時、家の外で微かな音が響いた。それは硬い靴底が、高い位置から地面に降り立ったかのような、そんな音。
 瞬間、少年は弾かれたように音へと向かって顔を上げた。その表情には少しの緊張と、期待の色。そしてそんな少年の想いに呼応するように、重く歪んだ音を上げて、
玄関の扉が開かれた。
「や、遊びに来たよ」
 声と共にやって来たのは、肩に箒を担い、見る人を幸せにするような微笑みを浮かべた一人の少女。楽しげに嬉しげに、ガラクタ――少年にとってはコレクション――の
合間を縫いながら少年の下へ。
 その姿を無意識に見つめながら、少年は目の前にやって来た少女に笑みを返し、
「いらっしゃい。魅沙(みさ)」
「ああ。一週間ぶりぐらいだけど、幸助(こうすけ)も元気にしてた?」
「この通りだよ。変わりない」
 本を畳んで近くの棚に仕舞うと、魅沙も箒をガラクタの壁に立てかけ、当たり前のように幸助の隣に納まった。その何気ない、そして何度も繰り返してきた動きに鼓動が
高鳴るのを感じながら、幸助は棚の一つに手を伸ばした。そのまま、そこに仕舞われていた急須と湯呑みを取り出しながら、
「魅沙の方はどうなんだ? 言っていた魔法は完成したのかい?」
 幸助の問い掛けに、魅沙は待ってましたと言わんばかりに笑みを強めると、
「これ以上無いってくらい完璧に完成させたわ。ほら」
 言いながら立ち上がると、見せ付けるように魅沙がスカートをたくし上げた。深いサファイアブルーのスカートから覗く細い脚に幸助の目が奪われ――
「オーレリーズサン」
 魅沙が呟くと同時、明らかにスカートの中には収まり切る筈の無い大きさの宝玉が四つ現れた。
 紅、蒼、翠、紫の色を持つそれらは、少し恥ずかしげにスカートを下ろした魅沙の周りをゆっくりと回転しながら中に浮かんだ。
「凄いな、これは」
 思わず感嘆の声を上げる幸助に、魅沙は嬉しそうに微笑んで、
「でしょう? 今はまだこうやって動かすだけで精一杯だけど、すぐにでも使いこなせるようになってみせるわ」
 まるでお手玉のように四つの宝玉を回転させながら、魅沙が言う。一つ一つの宝玉の大きさはかなりのものだが、積み上げてあるコレクションに当たる事が無いのは、
彼女の操作術故の事なのだろう。
 その不可思議な光景に暫し見惚れながら……幸助は一つ気になった事を魅沙に問い掛けた。
「しかし、どうやってそれは仕舞ってあるんだ?」
 スカートの中から出したとはいえ、明らかに仕舞い切れる大きさではない。そんな、何気なく聞いた問いに、
「それはね……乙女の秘密」
 ハートマークを浮かべながら、魅沙は微笑んだ。
   
……
   
 展開していた魔法を解除すると、魅沙は再び幸助の隣に納まった。まるで自分の居場所がそこであるかのように、自然に。
 幸助はそんな彼女にお茶を淹れながら、
「そういえば、お姉さんとはもう仲直りしたのかい?」
 幸助の問い掛けに、魅沙は少しだけ苦い顔をしながら、
「……まだ。アイツもどうも頭が固くって」
 答える魅沙に少しだけ苦笑する。
 魅沙の姉というのは、この幻想郷を護る博麗神社の巫女に当たる。何代目の巫女なのかは解らないが、若い内から積極的に幻想郷を飛び回っている活動的な人だ。
そして彼女――博麗・魅沙はその巫女の実妹であり、本来ならば姉と同じように巫女の道を生きる事を選ばねばならない立場にある者だった。
 だが、幼少の頃に魔法に触れ、その才能を開花させてしまった彼女は、巫女ではなく魔法使いという生き方を選んでしまった。その結果……今から約三年程前、魅沙は
姉と盛大な大喧嘩を巻き起こし、その関係は絶縁状態にまで陥っていた。
 そしてそれから二年後、つまり今から一年程前。新しい住居を探していた幸助は、一人魔法の森で暮らしていた魅沙と出逢う事となった。
 人間のあまり立ち寄らない魔法の森に住む者と、これから住もうとする者。そんな共通点を持った二人は少しずつ仲を深め、気が付けば互いに心情を吐露する事が出
来る仲にまでなっていた。そして巫女との喧嘩を知った幸助は、博麗姉妹の仲を仲介する事になったのだ。
 だが、姉妹の溝は思っていた以上に深く、修復には多くの時間を費やした。そうしてようやっと、後一歩という所にまで歩み寄らせる事は出来たのだが……その後一歩
が、姉妹揃って踏み出せていないらしい。
 二人は似ているんだな、という思いを幸助は抱きつつ、
「でも、僕がこれ以上踏み込む事は出来ない。それは魅沙も解っているだろう?」
「解ってるわ。……解ってるからこそ、難しいの」
 上手く行かない、という思いが、魅沙の顔に出る。自分が魔法使いを目指してしまった事が全ての発端になっているから、一歩を踏み出す勇気を出し難いのだろう。
 と、空気が少しだけ重くなりだしたところで、魅沙がそれを振り払うように幸助へと視線を向け、
「そういえば、幸助の方はどうなの? 創っていた新しいマジックアイテムは完成した?」
「忘れっぽい魅沙にしては、良く覚えてたね」
 む、と頬を膨らます魅沙に微笑みながら、幸助は一度家の奥へと引っ込むと、比較的片付けられたそこに置いてある物を手に取った。
 八角形の、少々大きめの香炉のようなそれを魅沙に手渡すと、
「これが、前に言っていた八卦炉だよ。まだ試作品だから、少々大きいけれどね」
「へぇ」
 関心したように頷きながら、魅沙が八卦炉に視線を落とした。
 元々は暖房器具を製作しようとして作り始めたものだったのだが、いつの間にか多大な火力を持つアイテムになっていた。今はまだその火力が強すぎて実用には耐え
ないが、近い将来実用化出来るサイズまで小型化する事が出来るだろう。
 そんな事を思う幸助に、魅沙は微笑んだ顔を向けながら言う。
「忘れるワケ無いわ。だって、これは私の為に作ってくれているんでしょ?」
「まぁ、ね」
 恥ずかしさを誤魔化すように、幸助はお茶を飲む。
 幻想郷は人間と妖怪が同居する場所だ。そして同時に、人間が妖怪を退治し、妖怪が人間を喰らう場所でもある。そんな場所では、身を護る為の力は多くあった方が良
い。魅沙を護れるような攻撃的な力や能力がある訳ではない幸助にとって、彼女の為のマジックアイテムを作成する事が、彼女を護る手段になると考えていた。
 それを承知している筈なのに、魅沙は幸助に顔を近付けながら、
「これで、幸助に護ってもらえるね」
 心から嬉しそうに、彼女は微笑むのだ。
 その微笑みに妙に顔が熱くなって、幸助は視線を外す事すら出来なかった。
   
2
   
 そんな日常が、ずっと続いて行った。
 一年、二年、三年――ずっとずっと。
 続いていたんだ。
 だからこれからも続いて行くと思っていた。
 ずっとずっと、続いて行けると思っていた。
 お互いがお互いを想っている事は解っていたし、告白もした。時期が来れば結婚も考えていたし、出来れば子供は二人程欲しかった。
 そう、僕達は幸せに生きていく。
 そんな、誰もが手に入れる事が出来る、ごく有り触れた日常を手に入れられると思っていた。
 思っていたんだ。
 それなのに、僕達の世界は確実に終わりへと向かって動き続けていた。
   
 忘れもしないあの日。
 蝉も鳴かない、まだ夏には早い梅雨の最中。何もしなくても汗を掻くような、とてもとても暑い日に。
 僕達の日常が、壊れ始めた。
   
3
   
 その日も、幸助は本を読んでいた。
 変わる事の無い日常。それでも魅沙との仲は深まり、その距離はもう零以上に近い。その事を嬉しく思いながら、幸助は買出しに出掛けた魅沙の帰りを待っていた。
 魅沙の移動手段は一本の箒だ。魔法使いになると決めた時、『この方が魔法使いらしい』という理由から決めたのだという。幸助はそんな魅沙を可愛らしいと思っている
のだが、元々彼女は神に仕える娘なのだ。日常的に巫女服を着ていた生活を考えれば、西洋風の魔法使いに憧れるのは仕方が無い事かもしれないと思えた。
 そんな事を考えながら、思考の大半が魅沙に埋め尽くされている事に気付く。彼女と出逢った頃からその傾向は強かったが、今では思考の殆どに『魅沙』という存在がく
っ付いて来る。
 盲目だな、と幸助が一人苦笑を漏らすと同時、不意に家の外から微かな音が響いてきた。
 だが、その音は普段聞いている魅沙の足音とは違う、もっと重量がある者が降り立った音だった。いくら買い物をして来たとはいえど、そこまで足音が変化する筈が無い

 一体何がやって来たのだろうかと、幸助は訝しみながら本を畳むと、ゆっくりと玄関へと向かい歩き出し――次の瞬間、玄関部分が轟音と共に吹き飛んだ。
「なッ?!」
 思わす声を上げ、幸助は数歩後退った。まるで木槌で壁を叩いたかのように、玄関周辺が横殴りに吹き飛んでいた。
 一体何事かと視線を外に向ければ、そこには巨大な猿のような姿をした妖怪が立っていた。全身を濃い焦げ茶の体毛に包んだその大猿は、大きく肩で息をしながら、顔
に多くの汗を掻き、低く深い唸り声を上げた。
 知性が低いのか、はたまた暑さで頭が茹で上がったのか、大猿は真っ赤な顔に付いた二つの目を忙しなく動かす。そしてその黒い瞳が幸助の姿を捉えると、大猿は一
際大きな声を上げた。
 そして、二メートル近い巨躯からは考えられない程に跳躍すると、立ち尽くす幸助へと向かい襲い掛かってきた。
 一瞬にして上空に消え去った大猿に思考が停止し掛けるも、幸助は恐怖で固まりそうになる体を無理矢理前に動かした。そのまま、見晴らしの良くなった家の中を突っ
切る為に足に力を籠め――その刹那、
「――!!」
 爆音を上げ、家の屋根をまるで薄い氷のように叩き割りながら大猿が落下して来た。高く積み上げられてあったガラクタは見る影も無く打ち壊され、いざ走ろうとしていた
幸助はその余波で前のめりに吹き飛ばされた。
 恐らく大猿は落下と同時に弾幕も放っていたのだろう。幸助は派手に家とガラクタだった物に体を打ちつけながら、まるで風に舞うボロ切れのように吹き飛び、数メートル
先にあった木の根元でようやくその体を止めた。
 己の身を護る為、多少なりとも体を鍛えてはいたが……圧倒的な力を持つ妖怪に対しては、そんなものは無いに等しいものだという事を幸助は痛感した。肺を傷つけた
か、息をしようにも上手く息が出来ない。全身が酷く痛み、最早五体が繋がっているのかどうかすら解らない。しかし、それでも幸助は何とか動かす事が出来る右腕を動
かし、防護スペルを組み込んだマジックアイテムを懐から取り出そうとして――だが、妖怪は待ってはくれなかった。
 元から幸助を喰うつもりではなかったのか、訳の解らない呻き声を上げながら、大猿は大小大きさの揃わぬ弾幕を我武者羅に撃ち出した。それは高速の勢いを持って
幸助へと撃ち当たり、体を預けていた木々諸共に幸助を吹き飛ばした。
 後方へと流れていく景色に激痛と紅の色を見ながら、幸助が思うのはやはり魅沙の事だった。暫くすれば彼女は帰ってくる。彼女が目の前の妖怪に襲われる事は、己
が死ぬ事を差し置いても阻止しなければならない事だった。
 だが、無常にも幸助には魅沙を護る手段も、このままこの命を永らえさせる手段も無い。
 絶望と共に視界が闇に包まれ――閉じて行く意識の向こう。
    
 サファイアブルーの幻想を見た。
   
――――――――――――――――――――――――――――
   
 目の前に拡がる光景を見にした時、魅沙の心に浮かんだものはただ一つだけだった。
「幸助ッ!!」
 悲痛な叫び声を上げながら、緑髪の魔法使いはその箒を一気に加速させ、愛する人の下へと駆け寄った。だが、まるで二人の間を切り裂くように、大猿の放った弾幕に
魅沙の箒が止められた。流れ弾に当たった買い物袋が地面に落ちるが、今はそれに気を向ける暇は無い。
 連続して放たれる弾幕を次々に回避しながら、魅沙は幸助を傷つけた犯人だろう大猿を睨みつける。
「よくも……!!」
 彼の元に駆け寄りたい気持ちを無理矢理押さえ込み、体内に溢れる魔力に意識を籠める。星を模った弾幕を放つと同時に、魅沙は叫んだ。
「オーレリーズサン!」
 瞬間、魔法で擬似的に創られた空間に意識がアクセス。まるで目に見えぬ隙間から転がり落ちてくるかのように、現実世界へと魔力で構成された四つの宝玉が呼び寄
せられた。
 宝玉は魅沙を護るように回転すると、その動きを少しずつ早めていく。そしてそれを壁としながら、魅沙は大猿へと向けて突っ込んだ。そのまま、ありったけの弾幕を撃ち
込んで行く。
 避ける事など考えない。ただただ目の前の敵を打ち倒す為だけに、魅沙の攻撃は止まらない。
 回転していた宝玉の一つが大猿の体を捕らえた。だが、その巨躯は一撃で止まる事は無く、二つ目の宝玉が一つ目の宝玉へと向けて派手な音を上げながらぶつかっ
た。大猿は顔を苦痛に歪ませるも、しかし呻き声を上げながら腕を振り上げた。
 振り上げられた腕は膨大な破壊力を持ちながら宝玉を打ち付け、まるで硝子が割れるような音を上げて二つの宝玉が砕け散った。
 だが、魅沙は止まらない。
 眼前へと迫った大猿へと向けて箒の穂先を少しだけ上げると、声を上げ続けるその口へと向かい弾幕を撃ち込んだ。
そのまま、少しだけ回転の軸が上がった宝玉が大猿の頭を直撃する。そしてもう一つの宝玉を逆回転させ、大猿の頭を反対方向から挟み込んだ。
 直後、箒の穂先が大猿の口へと突っ込んだ。
「砕けな」
 言葉と同時、魅沙はその顔面へと向けて容赦無く弾幕を撃ち込んだ。
     
 頭が吹き飛び、ゆっくりとその身を倒した大猿を一瞥する事も無く、魅沙は幸助の下へと駆け寄った。
 弾幕によって切り裂かれたのだろう衣服からは血が溢れ、喘ぐように漏らす息がどうしようもなく苦しそうで。
 魅沙は幸助を優しく抱き抱えると、声にならない嗚咽を上げた。
 暫くの間、ただ無為に泣き続け……不意に顔を上げた。服の袖で強く涙を拭うと、強い意志を持った瞳がそこにあった。
「絶対、絶対幸助を死なせはしないから」 
 そして考える。幸助の手当てをする上で、一番良い条件が揃っている場所を。
 そこは絶対に安全で、静かで、尚且つ道具が豊富に揃っている場所。
「……」
 魅沙の頭に浮かんだ場所は一ヶ所しか無かった。例えそこの主と喧嘩中だとしても、今は非常時だ。もし断られたとしても無理矢理にでも場所を確保するつもりで、魅
沙は自分の実家である博麗神社へと向かう事にした。
 傍らに抛っておいた箒を手元に呼び寄せると、再び擬似的空間にアクセス。壊された宝玉を再構成した後、魅沙は幸助の体を己の体とオーレリーズサンで支えながら
箒に跨った。
 慣れない二人乗りに箒が悲鳴を上げるも、それを無視。苦しそうに呻く幸助に負担を掛けないように森を抜け、懐かしい神社に辿り着いた時には、もう日が半ば暮れ始
めていた。
 誰にでも参拝出来るようにと解放されているものの、どこか神妙な空気が漂う境内を突っ切り、住居になっている社へと箒に乗ったまま文字通り飛び込んだ。靴も脱が
ぬまま、畳の上にそっと幸助を横たわらせる。
 そして断腸の思いで幸助の側から離れると、魅沙はもう三年以上も入る事が無かった自室へと向かった。恐らくは埃が積もってしまっているだろう部屋の襖を開け放ち、
「――」
 三年前と変わらず、そして綺麗に掃除が行き届いた部屋の様子に息を飲んだ。同時に、姉に対する激しい後悔に襲われるも……魅沙は目的の物を探す為に部屋の中
へと入っていった。
   
……
   
 死者を蘇らせる事は出来ない。だが、死に掛けている者を救う方法はある。
 幸助の命の灯火が消えてしまう前に、魅沙はありとあらゆる方法と知識を思い出しながら、片っ端から延命の魔法や呪術を組み上げ、それに関連するマジックアイテムを部屋から持参し、使用していった。
 出し惜しみなどするつもりが無い。
 出せるもの全てを出しながら、魅沙は幸助を救おうと足掻き続ける。
 例えその代償に、己の魔力を使い切ってしまったとしても。 
   
 そして――
   
――――――――――――――――――――――――――――
      
 遠く、声が聞こえる。
「絶対、絶対幸助を死なせはしないから」
 愛しい人の声が聞こえる。
 闇に落ちた意識の向こうで、しかし声が聞こえた。
    
 そして、幸助は目を覚ました。
 まず視界に入ってきたのは、普段見慣れているものとは違う天井。何故自分がこんな所に居るのだろうかと体を起き上がらせようとして、
「ッ!」
 全身に走る激痛に、幸助はその動きを止め――
「幸助……?」
 すぐ近くから聞こえて来た声になんとか視線を向けると、そこには真っ赤な目から大きな雫を幾つも零す愛しい人の姿があった。どうして彼女が泣いているのかが解らず、幸助は痛む腕を何とか魅沙の頬へと動かしながら、
「何を泣いているんだい、魅沙」
 何故か包帯だらけになっている右腕で、その涙を拭う。瞬間、大きな嗚咽を上げながら、魅沙が右腕に抱きついた。
 その衝撃で声を上げそうになるものの、なんとか我慢。同時に、痛みから逃げるように、どうしてこんな事になっているのかと考え……すぐに思い出せた。
 滅茶苦茶に壊された自宅と、自分自身。しかし彼女がこうやって生きていて、そして己の体に走る痛みから考えれば、幸助は助かったのだろう。だが、あの後あの大猿がどうなったのかが気になり……それを思うと同時に、幸助の左手から軽く襖を開ける音が聞こえ、
「目が覚めたみたいね」
 聞こえて来た声に視線を向けると、そこには安心したような笑みを持つ博麗の巫女の姿があった。
 どうして貴方が、とそう幸助は問い掛けようとして……自分の居る場所が神社だという事に、今更ながらに気が付いた。だが、どうして神社で寝かされているのかが解らず、幸助が頭に疑問符を幾つか浮かべたところで、嗚咽を上げ続ける魅沙の隣に座った巫女が口を開いた。
「起きたばかりだから混乱しているでしょうけど、今は休みなさい。それが貴方の為よ」
 色々と聞きたい事は沢山あったが、その言葉に幸助は頷き、しかし魅沙から右腕を引き離そうとは思わなかった。
 抱かれる右腕に痛みと、それに勝る安堵を感じながら、幸助は再び目を閉じた。





     

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