守人。

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3
   
 次の日。
 一度慧音の元に顔を出した後、魔理沙は人里に程近い森の中に入っていた。
 丹の製作以上に、里に妖怪が現れ出した事が気になってしまったからだ。
 夜の帳が落ち、妖怪が挙って動き出すこの時間。ぼんやりと光る月明かりと手に持った提灯を頼りにしながら、魔理沙は暗い森の中を歩いていく。
「しかし、まだこの辺は明るいんだな」
 昼夜を通して薄暗い魔法の森に住む魔理沙としては、月明かりが入り込むこの森の中は歩き易さを感じた。
「っと、向こうに抜けると紅魔館か……」
 踏み均された道の遠く、うっすらと人工的な灯りが見える。
 あの屋敷のお嬢様はもうお目覚めの時間だろうか。
 と、そんな事を考えながら、魔理沙は歩を道から外し、木々の間へと進めていく。
 道は無く、草花が自然に伸びているそこを奥へと進んで行き……ふと、灯りが見えた。
「……人魂か?」
 ともすれば幽霊でも居るのだろうか。そんな事を考えながら灯りへと近付くと、そこには、
「あれー、いらっしゃい」
「なんだ、お前の屋台か……」
 そこには、『八目鰻』と暖簾の掛かった屋台があった。
 まだ仕込み中なのか、包丁を持つ手を止め、ミスティア・ローレライが驚きを持って言う。
「どうしたの? まだ仕込み中だから、出せるものは無いんだけど……」
「あー、いや、そうじゃないんだ」
 そういえばコイツはこんな商売もしてたな、と思い出しつつ、魔理沙は苦笑を持ち、
「ちょっと調べてる事があってな。それで森を歩いてたら、ここに出たんだよ」
「そうだったんだ。でも、徒歩で調べ物なんて珍しいね。いつもなら、ほら」
 ミスティアは左手で魔理沙の手を指差し、
「その箒で空を飛びながら、なのに」
「ちょっと話を聞きたい奴が居るんだよ。でも、そいつの居場所が良く解らないから、こうやって徒歩でな。この森はそんなに広くないから、箒で飛んでると見える物も見逃す可能性もあるし」
 と、そこまで言って、
「って、そうだそうだ。ちょっと聞きたいんだが、最近里を襲ってる妖怪の事を何か知らないか?」
「里に?」
 言って、ミスティアは少し考え、
「それは解らないけど、最近になって変な事をしている妖怪が現れた、ってのは聞いた事があるよ」
「変な事?」
「なんでも、森の奥に住んでた妖怪達を仕切りたしたんだとか。もし人里を襲ってるとしたらソイツかもしれない」
「本当か?」
 思わぬ所で情報が手に入った。
 少々身を乗り出しながら聞く魔理沙にミスティアは頷き、しかし不思議そうな顔で、
「でも、変なんだよね。この森は紅魔館に近いし、里には慧音さんも居る。迂闊に騒げば退治されるって事ぐらい、すぐに解るのに」
 まぁ、聞いた話だから良く解らないけど、とミスティアは付け加え、なれた手つきで鰻をさばいていく。
 その様子を眺めつつ、
「となると、最近この辺に来た妖怪なのか……?」
 そうなれば、紅魔館の事も慧音の事も知らない、という事に納得はいく。 
 だが、紅魔館の存在はあの紅い霧の事件の時に知れ渡ったし、幻想郷に居る妖怪が知らないという事は無いだろう。
 更にあの事件は、『吸血鬼』という存在の力の強大さを見せしめたようなものだった。今もレミリアを畏怖する者は多くても、立ち向かおうという者は少ない。
 そしてそんな存在が住まう屋敷の近くで騒ぎを起こせばどうなるか、それは火を見るより明らかだろう。
 ……まぁ、実際にレミリアが動く事はないだろうが。
 しかし、『レミリア・スカーレット』という少女を知らない者にとっては、紅魔館ですら畏怖の対象になる筈だ。
 対し、小さな人里を護る慧音の知名度は低いかもしれない。だが、里を襲えば確実に彼女が迎撃に出てくるのだ。嫌でもその姿を覚える事になるだろう。
 となれば、新たにこの幻想郷にやって来た妖怪なのだろうか。しかし、そうだとすれば霊夢が絶対に気付いているハズだ。
「んー……」
 解らない。
 こうなったら、慧音の言っていた狼の妖怪と共に、直接その妖怪にも逢ってみるしかないだろう。
 魔理沙はそうと決めると、
「なぁ、その妖怪ってのはどのあたりに居るんだ?」
「んー、確かこの森の外れとか聞いたかな。山の麓に近いほうみたい。私はそっちにはそうそう行かないから、詳しい場所は解らないんだけど」
「解った。ちょっと行って来る」
 最後に、帰りに寄るぜ、と言い残し、魔理沙は再び森の奥へと歩き出した。
   
……
   
 段々と空気が変わり、薄気味悪さを増してきた森の中を魔理沙は一人歩いていく。
 この辺りは幽霊も多いのか、明らかに温度が低い。
 ……嫌な肌寒さだぜ。
 今更幽霊を恐ろしいと思う事は無い。だが、さっさと小町の所に行けば良いのにな、とは思う。
 そう思いながらも魔理沙は周囲の警戒は怠らず、しかし一歩ずつ森の奥へと進んでいく。
 だが、夜であり、更には道が解らない事から、その歩幅は自然ゆっくりなものになっていた。
 そして、ミスティアと別れてから一時間程経った頃。
「……ん?」
 前方に、開けた空間があった。
 疑問符を浮かべつつも、魔理沙は誘いこまれるようにその場所へと歩を進め、
「なんだ、ここ」
 開けた視界の先に現れたのは大きな焼け跡だった。
 恐らくは家でも建っていたのだろ。だが火事でもあったのか、今はもうその面影すら残っていない。
 良く他の木々に燃え移らなかったもんだ、と思いつつ、魔理沙はその焼け跡へと近付き……
「――」
 何か、強い妖気を感じた。
 次の瞬間、
「……おや、お客さんか」
 聞こえてきたのは、男の声。
 声に魔理沙が視線を向ければ、焼け跡の奥に拡がる木々からこちらへと顔を出してきている姿があった。
 しかし、その顔は夜の闇に紛れてしまい、窺い知る事は出来ない。
 ……だが、コイツで当たり、か?
 この程度の妖気を持っているのなら、恐らく慧音が言っていたのはこの男の事なのだろう。
 だが、ミスティアが言っていた妖怪である可能性もある。
 こちらへとある程度の距離を保ったまま近付いて来ようとしないその男に、魔理沙は注意深く、
「ちょっと聞きたい事があるんだが、良いか?」
「ああ。俺に解る事だったら」
 答える声に棘は無い。
 中々友好的そうだ、と魔理沙は思いつつ、
「あー、いや、でも一応聞いとこう」
 箒を手放し、軽く中に浮かせたまま、右手をスカートのポケットに入れ、
「アンタ、何の妖怪だ?」
 問う。
 この場所には慧音が言っていた狼の妖怪か、ミスティアが言っていた妖怪のどちらかが居る筈だ。この男がそのどちらなのかを確認する為の問い掛けに、
「……」
 相手は答えない。
「どうした?」
「……いや、妙な事を聞いてくると思ってね」
 笑いを含んだ声で答えると、相手はこちらへと一歩を踏み出してきた。
 それと同時に、四方の森の中から複数の気配が現れ、
 ……私を襲おうってか。
 か弱い女の子にする事じゃないぜ、と思いつつ、しかし魔理沙は言葉を投げる。
「ちょっとした興味だよ。で、アンタは何の妖怪なんだ?」
「……別に何の妖怪でも無い。俺は生まれた時から妖怪なんでね」
 言って、男が笑う。
 その顔は未だに解らない。だが、その笑い声に答えるかのように、魔理沙の周囲の気配はその量を増していた。恐らく、男はこちらを襲う気はあれど、話を聞くつもりはないのだろう。
 だが、直線的な戦い方をする魔理沙にとって、この状況は少々不味い。
 提灯を持った左手を箒に添えながら、
「そうなのか。それじゃあ、この森に住んでるっていう狼の妖怪は何処に居る? 私の用件はそいつにあるんだが」
「狼の妖怪? ああ、アイツか」
 言って、男が更に一歩を踏み出した。
 そして、うっすらとその顔が魔理沙の視界に入り、
「俺が殺した」
 瞬間、魔理沙は飛んでいた。
 提灯を男へと放り投げ、箒を上へと飛ばす。それと同タイミングで森からは魔理沙に向かい大小様々な妖怪が襲い掛かって来た。
 しかし遅い。
 上空高く舞い上がり、箒に跨る。同時にミニ八卦炉をポケットから出し、
「おや、逃げるのか」
「ッ!」
 同タイミングで空に上がって来たのか、視線の先には先程の男が居た。
 その口元には笑みが浮かび、
「今日の夕飯は久々に女を喰えると思ったんだが」
 言って、男がこちらへと加速する。
 高速で迫るその体を回避しながら、体勢を立て直す為に更に上昇。月を眺めながら反転し、魔理沙は男と向き合った。
 更には下方の妖怪達にも意識を向けながら、
「お前が里を襲った犯人か」
「さぁ、何の事だか」
 男はこちらをからかうように笑い、
「だがもしそうだとして……自力で飛べもしないお嬢さんに何が出来るっていうんだ?」
「お前を倒す事ぐらいなら」
「ハ! 面白い事を言う。――ならやってみせろ!」
 言葉と同時、男が魔理沙へと向かい再び体を飛ばして来た。
 美鈴より遅いな、などと思考の隅で考えながらも、ミニ八卦炉を正面に構える。倒すと断言した以上、一撃目から容赦するつもりは無い。
 腕を振り上げ、こちらの体を砕こうとせん男へと向け、
「マスター――?!」
 だが、詠唱は下方から止められた。
 下に居た妖怪達から、高速の勢いを持った弾幕が放たれたのだ。
 それは意識を前方に向けていた魔理沙に隙を生み出し、攻撃する為の動きは全て回避へと変換された。
 空いた片手で箒を操り、こちらへと迫る男の腕を何とか回避しながら距離を取り、下方から迫る弾幕をぎりぎりのところで回避していく。
 だが、迫る弾幕に途切れが無い訳ではない。
 弾幕の間に器用に体を潜り込ませながら、魔法を発動させる。
「スターダストレヴァリエ!」
 瞬間、箒の軌跡をなぞるように星々が生まれだし、迫る弾幕をその星屑で打ち砕いていく。
 更に魔理沙はその煌きを身に纏いながら、男へと向かい加速した。
 迫る魔理沙に男が目を見開き、しかし、
「上方注意だ」
「?!」
 次の瞬間、右腕に強い衝撃が来た。
 その衝撃により箒の軌道がずれ、魔理沙は男を避けるコースを取ってしまう。
 しかし、痛む腕を押さえながら、魔理沙の視線は、
「上?!」
 恐らくは弾幕を避けている間に上空へと飛んだのだろう。そこには数匹の妖怪が居り、魔理沙へと向かい弾幕を放ってきていた。
 だが、幸いにも傷は深くなく、ミニ八卦炉も手の中にある。
 しかし、一瞬でも意識が逸れてしまったという事実は、決定的な隙を生み出した。
「死ね」
 男の言葉に視線を戻すと同時、いつの間に近付いて来ていたのか、男の右腕が迫っていた。
 その腕で殴られれば、確実にこの細い体は砕けるだろう。
 しかし、魔理沙の心は恐怖に身を縮める前に、一つの単語を浮かばせた。
「?!」
 生まれるは光。
 瞬間、魔理沙を中心にして生まれたレーザーに男は吹っ飛ばされていた。
 当の魔理沙も一瞬何が起こったかを把握出来ず、しかし自分が生きている事を確認し、更に己を護るように回転するレーザーを見、
「努力が身を結んだ瞬間、だな」
 言い、しかし魔理沙は反撃の為に態勢を整えようとし、
「は、人間のくせに妙な術を使う」
 男の声に視線を向ければ、男は上空に居る妖怪の近くへと吹き飛んでいた。
 腹の部位が破れた服を脱ぎ捨てながら、男は魔理沙に言う。
「だが――!」
 言って、男が妖怪の一匹の足を掴んだ。
 そして、喚き散らす妖怪を無視し、その重さを感じないかのように振りかぶり、
「……おいおい、嘘だろ?」
 呟いた魔理沙の正面に、男が妖怪をふり投げた。
「無茶苦茶だぜ!」
 叫び、しかし直線で飛んでくるその妖怪を避ける。
 全く酷い事を、と思った次の瞬間、
「――?!」
 背後からの強い衝撃に、魔理沙は箒から吹き飛ばされていた。
 下方の妖怪達では無い。上空の男ではない。では、一体何処から、と思った思考に答えるように、
「後方注意だ」
 男の、笑みを持った声を聞く。
 男が放った妖怪は、元々魔理沙を後方から攻撃するつもりだったのだろう。つまりは、喚く妖怪の姿に魔理沙は騙されたのだ。
「く、そ!」
 だが、このまま墜落し、男の夕飯になるつもりは無い。
 その強い思いを胸に、魔理沙は痛む体を無理矢理動かし、男へと向け、
「マスタースパークッ!!」
 一撃を、ぶち込んだ。  
    
……
    
 落ちる。
 男にマスタースパークが当たったのかは解らない。
 だが同時に、追撃があるのかどうかも解らない。
 それでも何とか状況を確認しようとし、開いた瞳に、
「――」
 普段は見慣れぬ紅い屋敷の裏門側と、
「全く、何をやっているのかしらね」
 腰に手を当て、呆れた風に言う吸血鬼の姿があった。
      
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 気を失ったらしい魔理沙を抱きとめると、レミリア・スカーレットは一つ溜め息を吐いた。
 食後の紅茶を飲んでいたら、マスタースパークの光が見え、
 ……魔理沙が落ちてくるんだからねぇ。
 自慢の箒をどうしたのかは解らないが、怪我をしているようだし、
「紅魔館に……ん?」
 つ、と顔を上げれば、こちらへと視線を向ける影がいくつかあった。
 その視線の色は敵対色。
「……私も嘗められたものね」
 溜め息と共に言い、レミリアは魔理沙を中に離した。
 刹那、
「――」
 こちらを見る者達へと加速。
 瞬きの間に近付けば、相手は見た事の無い顔ぶれ。恐らくはまだこの幻想郷の事を良く解っていない妖怪達なのだろう。
 彼等が驚きの表情を浮かべる間も無く、レミリアはその首を跳ね飛ばし、再び戻ると魔理沙を抱きとめる。
 と、
「お嬢様、どうなさいました?!」
 下方から、焦りを持った従者の声が聞こえてきた。
 遅い、という思いと共に、レミリアは三度目の溜め息を吐いた。
   
4
   
 体を鍛え始めてから一ヶ月が経とうという頃。
 久々に巫女と再会した私は、巫女から思いもよらない一言を告げられる事となった。
「……多分、貴方は自力で空を飛べるわ」
 空を飛ぶ。
 それは今で挑戦した事が無かった事で、更には考えた事も無かった事だった。
 だが、巫女様に言われた、という事もあり、私はその日から空を飛ぶ練習を始めた。
 何度も何度も失敗を繰り返し、しかし少しずつ私はその力を手に入れていった。
 そしてそれを切っ掛けにして、私の力は飛躍的に伸び始めた。
 自分自身の力に自信を持てるようになった私は、定期的に顔を見せてくれるようになった巫女に、
「あの……私もいつか、巫女様と一緒に幻想郷を護れるようになりたいんです。だから……」
「……解った」
 彼女は微笑み、
「私が、貴女に力の使い方を教えてあげる」
 そうして、私は巫女に様々な事を教えてもらう事になった。
 一つ一つ、巫女のアドバイスを受けながら、空を飛び、弾幕を生み出す方法を知り、スペルカードを創り上げた。
 何も考えず盲目に。
 ただ、彼女の隣に立ちたくて。
   
……
   
 だから私は知らなかった。
 人間の身でありながら、自在に空を飛び、弾幕を生み出す事が出来るその理由を。
 この体の中にある、力の源を。
   
…… 
   
 その日、満月の晩。
「……」
 私は始めて、自分が妖怪だったという事を知った。





     

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