○[The full moon] ――――――――――――――――――――――――――――
○[Present]
さよなら、という言葉が頭の奥に残っている。 それは拭う事など出来ない記憶として、脳の一番深い所に刻まれているのだ。 忘れようとも思わないし、忘れる事など出来ない記憶。 ずっとずっと、私が背負っていかねばならない。 そんな辛くて重い記憶。
毎日毎日。 何をしていても頭の端にそれはある。
それを重荷に感じる事は無い。 だが、逃げてしまいたくなる時は、ある。 そんな時、私は少しだけお酒の力を頼る事にしている。 何も考えず、感じず、ただ静かに。 一人傾けるお酒は、とても悲しい味がする。 でも、同時に訪れる眠気は、夢も見せずに意識を失わせてくれる。 だから、私はお酒の力に頼るのだ。
今でも夢に見る景色がある。 此処では無い遠い場所の記憶。 もう戻る事の出来ない場所。 重荷では、決して無い。 でも。 なら。 この涙は、何故。
止まる事を知らないのだろう。
∞
幸せという感情は、何かと比較する事で初めて生まれる。 そういう意味では、今の私は幸せだ。 家族と呼べる人々が居て、笑い合う事が出来る友が居て。 だが、過去の私も幸せだった。 家族と呼べる人々が居て、笑い合う事が出来る友が居て。 何も変わらない筈なのに、何もかもが違う。 家族と呼べる人々が居て、笑い合う事が出来る友が居るのに。
∞
しかし、此処は平和な場所だ。 楽園と呼ぶに相応しい場所だといえる。 だから私は忘れないようにしないといけない。 記憶の奥底に残る言葉の意味を。 皆と暮らす退屈な日常の中、せめて私だけは忘れずに居なければいけない。 もう戻れない、あの場所の事を。
☆[Recollect]
声が。 声が聞こえる。 それは大きな声。 皆が発する声。 高く低く、声が聞こえる。
それは叫び。
攻める者。 逃げる者。 戸惑う者。 生きている者が上げる声。
皆大きな口を開け、大きな叫びを上げる。
敵を殺せと。 助けてくれと。 何が起こったのだと。
声が聞こえる。 大きな声が。
∞
その時の私は、声を上げる者だった。 静かに暮らしていた私達の世界に、土足で踏み込んできた白い人影。 生気を感じられぬその姿に、私は逃げる事しか考えられなかった。 だから声を上げた。 助けて、と。
逃げ惑う人々の中、立ち向かう者は多かった。 それは家族であり、友であった者達。 皆、声を上げていた。 声を上げて、白い人影に立ち向かっていった。
∞
「行って来るよ」 「い、嫌だよ! 一緒に逃げよう? ねぇ、逃げようよ!」 「……さよならだ。レイセン」
∞
その結末を私は知らない。 私は一人、故郷から逃げ出したのだから。 大きな大きな、声を上げて。
○[Present]
そして数十年の月日が流れた。
●[Past]
声が。 声が聞こえる。 それは懐かしい声。 記憶の一番奥に残る声。
もう二度と聞く事が出来ないと思っていた声。 しかし、その声には感情が無くて。 ただ、事実を淡々と告げるのみで。
こんな声を聞くのなら、こんな耳などいらなかった。 ぴんと立っていた耳を強く握り締めながら、私は声を上げた。
∞
此処には、家族と呼べる人々が居て、笑い合う事が出来る友が居る。 だが、家族と呼べる人々や、笑い合う事が出来る友だった者達は、戦う為にそこに居る。 幸せだった日々はもう無いのだと、私は涙を流した。
○[Present]
そして私はこの場所に居る。 師匠の術は人間と妖怪の手によって破られてしまったが、使者がこの場所にやって来る事は無かった。 家族と呼べる人々が居て、笑い合う事が出来る友が居るこの場所に、私は居る。
∞
お酒を傾けながら、無意識に。 もう上手く機能を果たさない耳を何気なく弄る。 すると突然、ノイズ雑じりの声を受信した。
聞きたくない。 聞きたくない――!
しかし、想いとは裏腹に体は動き、そして――聞こえてきたのは、二つのメッセージ。 時間の波を越えて届いた、その声は。
∞
●[Old message]
「――またお前に逢えるのを、楽しみにしてるから」
○[New message]
「恐らく、これが最後、だな……。この通信が届くかどうかは解らないが……。
さよならだ、レイセン。みんな、お前の事を待っているから。だから――」
∞
声が。 声が聞こえる。 それは叫びの声。 私自身の声。
「――――!」
空に浮かぶのは満ちる月。
もう、声は聞こえない もう、声は届かない。
もう、そこへは帰れない。
○[This story ends] ―――――――――――――――――――――――――――― ○[No message] ――――――――――――――――――――――――――――
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