大切な貴方へ。
――ある少女の記憶

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0

 何処か遠くで、『カタン』という音が響いた。


1

「……?」
 ふとした違和感を感じて包丁を置く。デジャヴとでも言うのだろうか。何か、同じ風景を前にも見た事があるような感じ。
 何気ない日常。いつもと同じように料理を作る自分。右手には包丁、左手は猫の手。コンロに掛けられたお鍋がプスンと息をする。毎日三食の食事当番は私だ。過去に作った事のある料理を全て同じ工程で作っていた、なんて冗談みたいな偶然もあるだろう。
 でも、この状況に突然放り込まれたような錯覚に陥ったのはどうしてだろうか。
「……」
 何か、変な感じ。掴めそうで掴めない感覚。頭の隅に存在するのに、そこにまで手が届かない。 
「んー……」
 ……まぁ、疲れているのだろう。
 今日は朝から一日掛けて大掃除をしてしまった。その疲れが今になって表れてきたのに違いない。うん。
 そう結論付けて包丁を握りなおすと、私は再び料理に集中し始めた。
 テンポ良く、付け合せに使うキャベツを刻んでいく。

 でも、『ロボット』である私にデジャヴなんて事が起る筈が無い。
 その事実に気づいたのは、夕食を食べ終わった後の事だった。

 だからだろうか。時間になっても現れなかった主人の食器を片付けながら、
「もう、私も寿命なのかな……」
 などと思う。
 私のような『ロボット』は、その平均稼働時間が限られている。何故なら、体内にある動力炉の交換が効かない為だ。
 人間の体で例えると、動力炉は心臓の役割を果たす。定期的なメンテナンスや身体パーツの交換を行っていても、体内で常に稼動し続ける動力炉だけは交換する事が出来ない。その上、『ロボット』には積み込める燃料の上限が決まっている始末。食事を取る事は出来るものの、それをエネルギーへと変換する事が出来ないのだ。結構切ない人生だと、『ロボット』ながらに思う。
 そして、思考の乱れが起こり始めたという事は、いよいよ停止までの時間が無くなって来た事を意味する。残り少ない燃料を動力炉へと回す為、思考や行動を司る部位を効率良く動かせなくなるからだ。
 ……まぁ、所詮『ロボット』は電化製品と同じ扱いだという事。壊れたら――いや、壊れる前に新しいモノに買い換える。
 今の主人との生活は長いけど、壊れた私じゃ此処にはいられない。
 どんなに頑張っても、お皿の上に残った料理のように、いらないものは捨てられてしまう。

 残り物を処分しながら、私は涙を流せない事を悲しく思った。 


2

 今の主人との出会いはとても唐突だった。
 今でも忘れない。
 どこまでもどこまでも、空が青く澄み渡っていた日の事。
『不良品』として、私は一人ごみ捨て場に居た。 

 身体パーツには異常が無い。でも、思考や行動を司る部位がおかしい。私を捨てた人……本来の主人はそんな事を言っていた。
 基本的に、『ロボット』というものは人間と同じ動きをするようにプログラムしてあるらしい。要するに、行動にあたっての知識が初めからあるという事だ。
 言われなくても掃除の仕方は解るし、料理も作れる。どんな趣味の相手にもなるし、読み書きも出来る。例え知識に無い事柄でも、すぐに習得してしまう――そういうモノになっているんだそうだ。
 でも、私は違った。思考や行動に『欠陥』があったのだ。
 様々な失敗を繰り返し、それをすぐに改善出来ないなどという事は何度もあったし、ふとした事で思考にエラーを発生させ、本来行う必要の無い行動を取ってしまう事も多々あった。自分ではプログラムの指示通りに動いている筈なのに、上手く動くことが出来なかったのだ。
 そんな『不良品』の私は壊れた電化製品と同じように、ごみ捨て場に棄てられてしまった。  
 逃げ出さないように、手足には拘束具。
 体は動かない。
 止まってしまえば楽なのに、ずっとずっと、私の五感は生きたままだった。 
 そして……どうする事も出来ないままに三日が経った時。
 私の前に、今の主人が現れたのだ。 

 今の主人に拾われてからの生活は、大変だったけどとても有意義なものだった。
 まず、主人は何も出来ない私に色々な事を教えてくれた。
 始めは、ミスをする度に怒られてしまう、棄てられてしまうと思い込み、逆に失敗を繰り返していた。でも、主人は何度でも私に教えてくれたのだ。……まぁ、同じくらい沢山、痛い事、苦しい事もあったけれど。
 そうして、主人と過ごす数年の間に、私は『ロボット』として十分通用するレベルにまで腕を上げたのだった。


3

 料理を全て片付け終わると、私はいつものように主人の部屋へと向かう。
 お世辞にも大きいとは言えない家に住んでいるので、寝る時は同じ部屋を使うのだ。
 いつものようにドアを二回ノックし、
「失礼いたします」
 静かにドアを開け、深々と頭を下げる。
 そして、視線を上げた先、

 六畳程の寝室その壁際に主人のベッドがあるのですがいつもなら全裸で私の事を待っている筈の主人の首がなにやらありえない角度に曲がっていて口からは赤い色をした液体がそれよりも主人の体はもう腐敗が始まっていてその足元には硬そうな灰皿が転がっていてそういつもなら泣こうが叫ぼうが喚こうが無理矢理私を犯そうとするあの男が死んでいてそれは私があの灰皿で殴ったからでまさか死ぬとは思わなくて――あれ?


4

 何処か遠くで、『カタン』という音が響いた。


5

「……?」
 ふとした違和感を感じて包丁を置く。デジャヴとでも言うのだろうか。何か、同じ風景を前にも見た事があるような感じ。
 何気ない日常。いつもと同じように料理を作る自分。右手には包丁、左手は猫の手。コンロに掛けられたお鍋がプスンと息をする。毎日三食の食事当番は私だ。過去に作った事のある料理を全て同じ工程で作っていた、なんて冗談みたいな偶然もあるだろう。
 でも、この状況に突然放り込まれたような錯覚に陥ったのはどうしてだろうか。
「……」
 何か、変な感じ。掴めそうで掴めない感覚。頭の隅に存在するのに、そこにまで手が届かない。 
「んー……」
 ……まぁ、疲れているのだろう。
 と、そう結論付けて料理の続きを始めようとした時、玄関のチャイムが鳴った。
「あ、はーい」
 思わず返事を返しながら、誰だろうかと考える。来客の予定は無いし、新聞の勧誘かもしれない。
 用心の為にお鍋の火を消し、手を洗うと、私は玄関へと向かった。
「どちら様でしょうか?」
 ゆっくりとドアを開けると、そこには、
「すみません、こちらから異臭がするという通報がありまして、少々調べさせてもらいたいのですが……」
 青い制服に身を包んだ警察官が二人立っていた。


6

「だから、私はロボットなんです。主人に忠実に作られているロボットが、主人を殺めるなんて事を出来る訳がないでしょう?」
 狭い取調室の中、もう何度目かも解らない言葉を口にする。
 どうしてこんな事になったのか……時間は数時間前に遡る。
 突然家にやって来た警察官は私の姿を一目確認すると、どんな事を言っても関係無しに中に押し入ってきたのだ。
 いきなりの出来事に動揺する私をよそに、警察官は主人の部屋へと向かっていった。そして、ノックも無しに部屋のドアを開けると、事もあろうに主人が死んでいると騒ぎ出したのだ。
 もちろんそんな筈は無い。今日も私は主人の為に料理を作っていたのだから。
 警察官の言葉を否定する為、私は主人の部屋へ向かおうとし――その瞬間、もう一人の警察官に肩を掴まれた。
「キミは見ない方が良い。あと、他に何か着る物は?」
「待ってください! 自分の主人が死んでいると言われたのに、見るなと言うのですか?! それに、私はちゃんと服を着ています!」
「と、ともかく、キミには署まで来てもらう事になります。良いですね?」
「だから、主人の姿を見ない事には――」
 明らかに動揺した顔を見せながら答える警察官に、私は食って掛かった。主人が死んでいると言うのなら、それを確認しなくてはいけない。
 けれど、そんな私を更に止めるように、開け放たれたドアの向こうから声が飛び込んで来た。
「まぁ、貴女なんて格好をしてるの!? 可哀想に……今ね、おばちゃんが何か着る物を持ってきてあげるからね!」
 突然の大声に視線を向けると、いつの間にか集まりだした野次馬と、その野次馬に注意をしている一人のおばさんの姿が見えた。
「こら、何見てるんだい! 可哀想じゃないか!」
 そう声を張り上げて居るのを見る限り、あのおばさんが先程の声の主なのだろう。
 しかし、何をそう騒いでいるのだろうか。そして、野次馬達は何をそう奇異の目で私の事を見るのだろうか。
 視線を自分の体へと向ける。
 主人の言い付け通り、下着だけをしっかりと見につけた細い体が見えた。

 そうして、おばさんが持ってきた服を無理矢理着せられると、私は段々と広がりを見せ始めた騒ぎを引き裂くように外へと連れ出された。
 そのままパトカーに乗せられ、警察署に向かうと思いきや、何故か私は病院へと連れて行かれた。
 そして、様々な検査の後、健康状態は正常だと判断された私は、息つく間もなく取調室へと連れて来られたのだった。
 部屋の中には二人の女性が居た。
 この手の取調べは男性が行うと思っていたから意外だった。けれど、行われていく質問は私を馬鹿にしているかのようなものばかりだった。
「貴女の名前は?」
「ありません。ロボットにそんなものは必要ありませんから」
「……ご両親は?」
「ロボットである私には存在しません」
「……死んでいた男性との関係は?」
「主人とその従者です」
「従者、というのは?」
「私はロボットなんです。完全二足歩行形のモデルなんて珍しくないのに、何で解ってくれないんですか? それに、主人に忠実に作られているロボットが、主人を殺めるなんて事を出来る訳がないでしょう?」
「そう……。じゃあもう一度始めから聞くわ。貴女の名前は?」
「……ありません」
 質問は見事にループを始めていた。
 そこそも、『ロボット』が主人に逆らえる訳がないのだ。私達の中にはロボット三原則というものがあって、それが『ロボット』から人間を護るのだと主人が教えてくれた。
 と、そう思った所で思い出す。
 困ったように質問を続ける女性の声を遮るように、私は口を開いた。
「あの、私は後期に開発されたタイプですから、思考部位にある記憶を抽出出来るように作られています。その解析を行ってもらえれば、私の身の潔白は証明される筈です」
 そうなのだ。機械である私の思考は、全てデータとして記録される。それを確かめてもらえば、こんな回りくどい事をしなくてもすぐに事実が判明する。
 期待を込めて言った一言だったのに、目の前に居る女性の困った顔は更に深刻そうなものになっていた。


7

 少女を部下に任せ、深刻な表情を崩す事も出来ずに女性は部屋を出た。
 どうしようもない困惑と疲労が心を蝕んでいく感覚がある。これでは駄目だと深く息を吐いた所で、廊下の先から見知った声が聞こえて来た。
「どうだった?」
「……どうもこうもないわ」
 女性は同僚である男性の前までゆっくりと歩いて行くと、その肩へと頭を乗せ、まるで懺悔を告げるかのように、
「あの子、完全に自分がロボットだって信じ込んでる」
「ロボット?」
 驚きを浮かべる男性へと頷き、女性は先程まで繰り返していた少女との問答を思い出す。
「そうよ。完全二足歩行を可能にした、後期モデルの一人らしいわ。自分の中にあるデータを取り出して調べてくれ、とまで言い出したもの」
「な、なんだそりゃ……」
「言ったでしょ、信じ込んでるって。そもそもこの世界に人間と見間違えるようなロボットなんてまだ作られてない。それでも、彼女はそう信じ込む事で、自分に降りかかる暴力に耐え続けたんだと思う」
 言いながら、心に痛みが走るのを感じる。男性も目を通しているだろう報告書の中には、明らかな暴行の形跡があった。少女の細い体には無数の傷があり、性的暴行を受けていた可能性も高いという。
 不快感と共に表情が曇っていくのを感じながら、女性は言葉を続ける。
「相手の男がサディストだったみたいで、体の至る所に傷があった。長い年月が積み重なった傷が。……でも、それも彼女が言う主人が死んでからは無くなっているから、今では痛みもなく過ごせているんでしょうけど」
 だからといって、昔と同じ生活に戻れている訳ではない。あの少女の心は、完全に壊れてしまっていた。
「まだ十代だろ? 最低の事をするヤツが居たもんだよ……」
 吐き捨てるように言う男性に、女性は頷きを返し、
「……過度の恐怖は思考を停止させるわ。これはまだ予想だけど、結果的にあの子は解離性同一障害……所謂二重人格になっていたのかもしれない」
 そしてその結果が、『ロボット』である自分、なのだろう。
 でも、どうして少女は自身に暴力を降るってくる相手を主人と思い込んだのだろう。そして、どうして彼女は男が死んでいる事に気付かなかったのだろう。同じ家に住んでいた以上、腐臭は確実に感じていた筈なのに。
 心の内側に埋没するように疑問が膨れ上がっていく。そんな女性を慰めるように、男性の手が彼女の髪をそっと撫で、
「まぁ、それはおいおい調べが……って、ちょっとすまん。電話だ」
 と、男性がスラックスのポケットから古い型の携帯電話と手帳を取り出した。その邪魔にならないように一歩距離を取ると、彼は通話を始めた。
 とはいえ、ここは二人の他には誰も居ない静かな廊下の中だ。電話の内容が断片的ながらも聞こえてきて、女性は憂鬱だった気分が更に落下していくのを感じた。
「ん……解った。またこっちに戻ってきたら連絡してくれ」
「……あの子の事ね」
 通話を終えた男性へと思わず呟くと、彼は頷き、
「ああ、該者の素性が解った。精神科の医師で、専攻は心理学。メンタル面での診断を主としていて、催眠術を使った治療では多くの患者を救ったセンセイだったそうだ」
 だが、彼は数年前から行方不明になっていた。犯罪に巻き込まれるような人ではなかった為、失踪した当初は騒ぎになったものの……結局は行方知れず。独身で兄弟は無く、既に両親が亡くなっていた為、捜索は早々に打ち切られたらしい。
「そうして、どんな理由かあの子と出逢い、今に至るという訳だ」
「……つまり、彼女が自分をロボットだと思い込んでいるのは、自分でそれを選択した訳では無く、催眠術に掛けられていたからなのね?」
 嫌な推測だ。こんな状況でなければ、ドラマや映画の設定だろうと笑える所だろうに……目の前にした少女は紛れもなく現実だった。
 女性の呟きに、男性は頷き、
「多分そうなるな。何か切っ掛けを与えて、ずっと催眠状態に陥るようにしていたんだろ」
 そして女性の仮定が合ってるとすれば、彼女が相手をした少女の人格――今、表層に現れている人格は催眠状態にある可能性が高かった。恐らく、少女が騒ぎ出したり、別の人格が現れたりした時に切っ掛けを与え、黙らすようにしていたのだろう。
 でも、それも完璧ではなかった。
「ある時、あの子は催眠状態に陥る前に男を殺してしまった。もしかしたら、抑えられていた主人格が出てきたのかもな。けど、そのまま逃げ出す前に、何らかの切っ掛けのせいでその事を忘却しちまったんだろう」
「もしそれが事実だとしたら……あの子が死体に気付かなかったのは、それを死体だと理解していなかったから、なのかもしれないわね……」
 だから、今の彼女は――今の人格は解っていないのだろう。自分の持つ記憶が全て偽りであり、その体は『ロボット』などではなく、人間なのだという事を。
「酷い話だわ……」
「ああ……。でも、例え与えられたものだとしたって、自分の記憶を偽り続ければ苦しかった事を思い出さなくて済むんだ。仕方無いのかもしれないよな、これは……」
 そうして、二人の大人は言葉を失う。
 蛍光灯の青白い光の下、重い沈黙が広がっていった。


8


 ――そうして、何処か遠くで『カタン』という音が響いた。  


9

「……?」
 ふとした違和感を感じて包丁を置こうとして、手に何も持っていない事に気付いた。視線の先にあるのはまな板では無くスチールの机で、台所に居た筈の私はどこか見知らぬ場所に移動していた。
 どうして私はこんな所に居るのだろう。その理由を思い出そうとしてみるけれど、記憶が霞み、良く解らない。
 だから私は、目の前に座る女の人に聞いてみる事にした。

「あの……ここは何処ですか? 私、家で主人のご飯を作っていた筈なのですが……」










end


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