ゾンビ

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 市街からちょっと外れた場所に寂れた住宅街があって、そこには歩く死体さんが住んでいる。いわゆるリビングデッドというヤツだ。……あ、ゾンビって言ったほうが通りは良いのかも。
 ともかく、そこには死んでいるけど死んでいない人が住んでいて、私もその近くに住んでいる。それは神様がくれた運命なんかじゃなくてただの必然なんだけれど、まぁ難しい話だから良いや。
 その人は死体に似合わず、明るくて陽気で、争い事が嫌いな優しい人だ。でも、暑い日は嫌いみたい。だって、腐りかけの体はどうしても臭ってしまうから。
 そんな彼の名前はカステラさん。何故ならカステラが大好物だから。名付け親はわたし。気に入ってくれているのか、カステラさんはカステラさんって名前を訂正しない。嬉しい。
 カステラさんは他にモモとかスイカとか果物も好きだから結構迷ったけど、やっぱりカステラさんにして良かったと思う。横文字ってなんだかカッコいいものね。ポルトガル語らしいし。
 でも、カステラさんはゾンビなのに人間は食べない。襲わない。夜中に暴れ出す事もない。
 どうして? って聞いたら、
「俺、血とか苦手なんだよ」
 って少し困ったように言ってた。残念。



 カステラさんはもう長い事歩く死体をやっている。でも、生前の自分がどんな人間だったか、なんてことには興味がないらしくて、それを知ることには意味が無いって思ってる。それでも時々、胸にある大きな傷が疼くらしくて、夜中に独りで泣いているのだ。
 それが悲しいのか悔しいのか、はたまた怒りなのか、カステラさんには解らない。でも、涙が溢れて止まらないのだそうだ。どうしても、止められないのだそうだ。
 けど、普段は明るく元気で、近所の人気者だ。映画に出てくるゾンビみたいに、顔がおどろおどろしくないのが功を奏しているのかもしれない。
 そう、カステラさんは男前なのだ。



 わたしはそんなカステラさんが好きだ。愛している。でも、わたしの想いをカステラさんは聞いてくれない。
 ううん。聞いてはくれるけど、受け入れてはくれないのだ。
「俺と君は生きる道が違うから」
 なんて、悲しそうに笑ってはぐらかす。
 そんなもの関係なく、わたしは貴方が好きなのに。ずっとずっと、貴方だけを見て、貴方の為だけに生きてきたのに。わたしは。『私』だけは。

 ……だから、ちょっと意地悪しちゃった。



 
 それはある満月の夜。
 満月の夜を選択したのは、彼がそれを好んでいたから。今も昔も、彼はロマンティストなのだ。
 そんな風に過去を懐かしく思う私の目の前には、正気を失った彼が居る。本来彼はこんな状態にはならないのだけれど、強制的に暴走させる事は簡単だった。
 ……正直、サンプル達のように醜く暴れるだけとなった彼の姿を見るのは心苦しい。でも、仕方が無い。以前のように、私の想いを受け入れてくれない彼が悪いのだ。
 満月の下、両手を開く。
 彼の視線が私を貫き、正気を失った瞳が獰猛な光を放つのを感じる。
 
 さぁ、愛しい貴方。私を食べて。




 目を覚ますとまだ生きていた。ちぇっ。
 でも、なんだか体の調子が変だ。全身が妙に冷たくて、胸の奥で響いていた心臓の音色が止まっている。……もしかすると、これはわたしもゾンビになったのかしら?
 取り敢えず、立ち上がってみる。月明かりの下で見る素肌は血の気がなくて青白く、首筋にそっと触れると、ごっそりとかじられた傷口から血はほとんど流れ出ていなかった。なんだか不思議な感じ。痛くないし。
 と、突然起き上がったわたしに驚いたのか、カステラさんが目を見開いてた。
 だから、微笑む。
 これでカステラさんと一緒に居られるね。
「……君という奴は」
 そう言って、カステラさんはゾンビの癖に泣き出しそうな――けれど涙の流れない顔で微笑んで、わたしを優しく抱き締めてくれた。


■□

 二人で手を繋いでカステラさんの家に戻ってきた時、もう外は薄っすらと明るくなっていた。
 本当なら眠ってる時間だけど、今は眠る気にもなれない。今日からここがわたしの家だと思うと、止まったはずの心臓の音色が聞こえてくるようで、すごくすごく嬉しくて恥ずかしい。わたしはその恥ずかしさをごまかすようにカステラさんのベッドへと転がり込んだ。
 丁寧にたたまれた布団を抱いて、わたしは一人考える。
 カステラさんはゾンビになって記憶を失った。でも、どうしてわたしは記憶を失わなかったんだろう。
 あれ、そもそもなんでカステラさんはゾンビなんだっけ?
 その理由、知っていた気がする。
 あれ?
 えーっと……。
 ……。
 あ。
 なんだろう、何かあった気がする。
 なんだっただろう。
 うー。
 あー。
 思い出せー。
 思い出せー。
 んんー……。
 んー……。
 ……。
 ……あ。
 思い出した。


 彼をゾンビにしたの、私だ。


 彼が死んでしまった当時、私はビデオゲームや映画に出てくるような、死者を蘇らせる薬を創る研究をしていた。
 どうして私がそんな物の研究をしていたのか、その理由までは良く思い出せないが……確かなのは、彼が私の愛を否定し、その結果、研究途中にあったその薬を使用する事になったという事実だ。
 その際、本当に効果があるのか確かめる為に、私は自分自身の体や集めたサンプルで実験を行った。その時反対した同僚は全員サンプルにしたから、この行動が表ざたになる事は無かった。
 しかし――というか予測通り、薬は生きている人間には当然のように効果はなく、死人にはしっかりと作用した。けれど、そこに精神と呼べるものは存在せず、映画に出てくるゾンビさながら、ただ暴れ狂うだけの肉塊にしかならなかった。
 とはいえ、私に絶望は無かったと思う。寧ろ、自身の研究成果を裏付ける結果となった事を喜んだ筈だ。何故だかは解らない。もしかすると、肉を喰らい暴れ狂う死人を作る事が、本来の目的だったのかもしれない。
 でも、私が望んだのは、そんな醜い形で復活する彼ではない。私はそこから更なる研究を繰り返し、精神を維持したまま蘇る死体を生成する新薬を造り上げた。
 完成した薬はその効能通りに作用し――しかし、彼は生前の記憶を失ってしまっていた。
 それはとても悲しい結果だったが……私は彼を見捨てる事など出来ず、新しい土地で新しい生活を始める事にしたのだ。
 そうして今日という日まで彼と共に過ごし、愛を囁き続け――喰われた。出血多量でそのまま召されるものだと思っていたが、どうやら自分自身の体で投薬実験をした事が功を奏していたらしい。あの薬は生きた人間に投与した場合、死んだ後にそれが作用するものだったのだ。ゾンビのように暴走する事が無かったのは、彼に投与した完成品も試していたから、だろうか。
 しかし、記憶が残存したのは何故だろうか。奇跡的な偶然か、或いは自分自身の体で幾度も実験を繰り返していた為に起こった現象か……もう答えは解らない。
 でも、こんな大事な事を忘れるなんて、わたしもダメダメだ。……あー、ゾンビになったショックで、記憶が混濁しているのかな? まぁ、もう過去なんてどうでも良いんだけど。
 だって、漸く元通りになったのだ。彼が死んでしまった日から長かった。遠回りしたけれど、これで恋人同士に戻れた。彼に食べられて、その血肉と成るのも良かったけど、やっぱり一緒に居る方が良い。
 そんな事を思いつつ、恥ずかしいのを我慢しながら起き上がって、わたしはカステラさんとキスをする。
 だって、こうやって触れ合う事が出来るのだから。


 嗚呼、幸せ過ぎて死んでしまいそう。
 これでもう、永遠に一緒だ。










end


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